95.市場へ行こう!②
「ここが、ヴェイロンで一番大きな市場だよ!」
そう言って振り返ったエレナの言葉通り、先ほどまでの街並みとは打って変わり、道の両端には色とりどりのテントがひしめき合っていた。所狭しと並べられた商品と行き交う人々の熱気は、先ほど通ってきた通りとはまた違った活気に満ちている。
一層増した人混みは、気を抜けばすぐに波へと飲み込まれてしまいそうだ。
はぐれないように注意を払いながら、ルシアンは珍しい品々の数々に目を奪われていた。
その隣で、エレナは街中では見かけない品について楽しそうに解説してくれている。
『エレナ?』
ゆっくりと見て回るうち、足を止めたテントの中から聞き覚えはあるが、訛りのある言葉が耳に入ってきた。
『わぁ!久しぶり!まだやってたんだね!』
『しばらくはここで商売をする予定だからね。王都へ行くと聞いていたけれど、今日はどうしたんだい?』
『休みになったから遊びにきたんだよ』
店主はどうやら他国からやってきた商人らしい。
知識としては知っている言語だったが、強い訛りのせいでルシアンは会話を追うのに少し苦労していた。
「おにさん、楽しんでいてね!」
そんなルシアンに気づいたのか、店主は片言の共通語で親しみやすい笑顔を向けてくれる。
『ノワールに寄ったら、向こうでも店を出してくれると嬉しいな! 兄上たちも喜ぶと思う!』
『分かった、そうさせてもらうよ! あ、そうだ、これ持っていきな!』
エレナが店主から何かを受け取り、そのひとつをルシアンへと差し出してきた。
「はい!これ!」
手渡されたのは、爽やかな香りの漂う飲み物だった。
「これは…?」
「隣国の端にある街の名物で、さっぱりして飲みやすいんだよ! しかもこれ、紙で出来てるから飲み終わってもお店に返さなくていいんだって!」
手の中にある容器は一見しっかりとした作りだが、紙製だと聞いてルシアンは思わず目を丸くする。
そんな彼の珍しい反応に、エレナはくすくすと嬉しそうに笑うと、再び足を前へと進めた。
この市場は他国の商人が多いらしく、奥へ進むたびに多くの人々から声をかけられるエレナの顔の広さには驚かされるばかりだ。
彼女はその都度、相手の母国語で流暢に言葉を交わしている。
中には、ルシアンでさえ聞き取れない言語まで混ざっているほどだった。
「……お前は、あの商人の国の言葉まで分かるのか?」
「ん?ノワールは国境に面してるからね。ここへやって来る商人の多くはうちを通るから、自然と身についたんだよ」
「……ちなみになのだが、どれほどの言語を話せるんだ?」
「えー、そんなこと聞かれたの初めてだから分からないや! でも、ある程度話せるし字も読めるよ。ノワールじゃ珍しくもないしね」
何でもないことのように言い切るエレナだったが、ルシアンは彼女の意外すぎる一面に内心驚きを隠せずにいた。
そんなルシアンの隣で、エレナはまた別の商人から話しかけられていた。
【エレナ!久しぶりだね!】
【レマさん!わー!久しぶり!】
商人の女性はどうやらレマという名で、ここは装飾品や小物を扱う店のようだ。今回はルシアンにも理解できる言語だったため、二人の会話を邪魔しないよう、静かに商品へ目を向けた。
【しばらく見ない間に、綺麗になって!今日はデートかい?エレナにもやっと恋人ができたんだね!】
【っ?!?!レマさんまで何言ってるの!!恋人じゃないって!!】
【そんな事言って!恥ずかしがらなくてもいいじゃない!いい男捕まえたね!国に帰る前にエレナの恋人を見れて私は嬉しいよ!】
「〜っ?!?!」
ルシアンが聞き取れなかっただけで、これまでも何人もの商人から同じように冷やかされていたのだろうか。
慌てて気まずそうに視線を逸らすエレナの横顔は、先ほど街で店主から揶揄われた時以上に赤く染まっていた。
◇ ◇ ◇
「みんな冗談が好きすぎる……」
どこか諦めたような表情で呟くエレナを横目に、商品を見て回る。
小腹が空くと屋台で買い、食べながら歩く。
貴族だからと、気後れすることなく話しかけてくれる人々。
ノワール領でも似たような事はあったが、王都では味わえない体験に、ルシアンは内心とても楽しんでいた。
そうして色々な品を見て回るうちに、どうやら彼女とはぐれてしまったらしい。
背の低いエレナをこの大混雑の中で見つけ出すのは困難だと判断し、少し開けた場所へ移動しようとしたその時、背中に強い衝撃が走った。
「ルー!見つけた!」
背後から勢いよく飛びついてきたエレナに、ルシアンは驚きを隠せずにいた。彼女の突拍子もない行動には慣れてきたつもりだったが、まさか背中に抱きつかれるとは完全に想定外だ。
反射的に落とすまいと彼女の体をしっかり抱え込んだものの、ルシアンはそのまま固まって動けずにいた。
「へー。ルーの目線ってこんな感じなんだ」
ルシアンの動揺などお構いなしに、背中の上から興味深そうに周りを見渡すエレナの声で、我に返る。
「…おい、離れろ」
「えー!いいじゃん!これならはぐれないし!」
「そういう問題じゃない」
「少しだけ!あ、あそこの広くなってる所まででいいから!」
そう言って指さした先には、確かに人が少なく開けた場所があった。
何を言っても降りる気配のないエレナに諦めたルシアンは、深いため息をひとつ吐き、その場所を目指して歩き出した。
背中に伝わる体温に心臓を跳ねさせつつも、常日頃からあまり変わらない自分の表情に、この時ばかりは助けられたと内心安堵する。
余計なことを考えないよう無心で足を進めていると、不意に後ろから腕が回り、顎を掴まれた。
「ルー、楽しい?」
「……?!」
顔を後ろに向けられ、間近で重なる視線にさらに胸が高鳴るのを感じる。
動揺を悟られないよう何とか頷いてみせると、エレナは満足そうに楽しげな笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇
夕暮れまでたっぷりと遊んだ二人は、ヴェイロン邸までの道のりを歩いていた。
ルシアンの少し前には疲れた様子もなく、楽しそうに歩くエレナの背中がある。
街や市場で散々恋人だと揶揄われ、顔を真っ赤にしていたかと思えば、背中に飛びついてくるような大胆な行動には心底驚かされた。
だが、他国の商人たちと流暢に言葉を交わす姿は新鮮で、自分の知らなかった彼女の新たな一面を知ることができたのは、純粋に嬉しいことだった。
そんな風に思いを馳せるルシアンの一方で、エレナもまた今日の出来事を振り返っていた。
久しぶりに再会した他国の商人たちは、女学院時代と変わらず元気そうだった。
(今日は楽しかったなー!)
心の中で満足感に浸った瞬間、ふと我に返る。
周りから散々恋人同士だと冷やかされていたにもかかわらず、腕を引いたり背中に飛び乗ったりしていた自分の過剰な行動が頭を駆け巡った。
(〜〜っ!!!どうしよう!!またやっちゃった!!無意識って怖い!!)
唐突に立ち止まり、頭を抱え出したエレナの奇妙な行動に、ルシアンも脚を止めた。
「…どうした?」
「な、なんでもない!」
怪訝そうな視線を向けるルシアンだったが、自分のやらかし具合に耐えかねたエレナは、恥ずかしさのあまりとても彼の顔を直視できない。
赤く染まった顔を夕暮れの光で隠すように勢いよく前を向き直ると、彼女はそのまま足早に帰路につくのだった。




