94.市場へ行こう!①
ヴェイロン領に来てからエレナは充実した日々を送っていた。王都に帰る日が着々と近づいているため、女学院を卒業して以来の訪問とあって、数日では周りきれないほどの思い出がある。
今日は少しでも巡ろうと、廊下を歩いていると前から見慣れた姿が歩いてきた。
「あれ、ルー?今日は一人? 殿下たちは?」
ヴェイロンに到着して以来、街の視察やお茶会などでアレクシスの予定は詰まっており、同行する事が多いルシアンが一人でいるのは珍しい。
「会食。セドリックとカイも同行している。領内の貴族や商人、職人たちとの顔合わせらしい」
「へえ。ルーは行かなくていいの?」
「今日は非番」
「そうなんだ!」
話を聞いたエレナの顔がパッと明るくなる。
「ルー、こっちの市場ってもう行った?」
「いや、まだだ」
つい先日の視察では、街を回ったと話を聞いていたが、市場には足を運んでいなかったらしい。
「今日暇?」
「……まあ」
「じゃあ市場に行かない? ちょうど遊びに行こうと思ってたところだし。案内するよ!」
その提案にルシアンは少し考えると頷いた。
「じゃあ、門で待ってるから準備したら来てね!」
「わかった」
玄関へ去っていくエレナの背中を見送り、用意されている自室へと足を向ける。
思いがけずできた予定に、自らの足取りが少し急ぎ足になっているのを感じていた。
◇ ◇ ◇
門で待っていたエレナと合流すると、二人はさっそく街へと繰り出した。
市場は街の奥にあるらしく、先日目にした景観を横目に見ながら先へと進む。
視察の際にも感じたが、ノワール領とは異なり他国からの往来も多く、また違った賑わいを見せていた。
進むにつれて人がさらに増していくが、エレナは気にする様子もなく、混雑の隙間をすり抜けるように歩いていく。
時折商品を指差してはどこの国のものかを説明してくれ、市場まであと少しというところで、近くの店から声がかかった。
「あれ?エレナ様じゃないか!久しぶりだな!女学院以来か?」
声のする方に視線を向けると、店の前で話をしていた男が笑顔で手を振っている。
「あー!!久しぶり!そうだよ!遊びにきたんだ!」
そう言うやいなや、エレナは隣にいるルシアンの腕を引いて男の前まで駆け寄ると、さっそく話に華を咲かせ始めた。
「この間、シャルロット様が王太子殿下たちと街の視察に来ていたと聞いたけど、エレナ様もヴェイロンに来ていたんだな!」
「もうすぐ王都に帰るから、ノワールを出る時にシャルに便乗してきたんだ!」
「そうか! 殿下たちはこの辺りまでは来られなかったから話でしか聞いてなかったけど、一目でいいからお姿を拝んでみたかったよ!」
そう言って豪快に笑う男はどうやら店の店主らしい。
「殿下を? 見てどうするの?」
「どうするって……この国の王太子なんて、俺たちみたいな平民がそうそう拝めるお方じゃないからな! 王都なら機会もあるだろうが、ここは遠いしな」
店主の言葉にエレナは最初不思議そうな顔をしていたが、本人も思い当たる節があったらしく、すぐに納得したようだ。
「それにしても、エレナ様もついに婚約者ができたのか?今日はデートか?」
ニヤニヤしながら尋ねてくる店主にエレナは何の事か理解できずに首を傾げる。
「手なんか繋いで、青春だねぇ」
その一言に自分の手元へ視線を落とすと、無意識のうちにルシアンの腕を引っ張っていたことに気づき、慌てて手を離した。
「ち、違うよ!!友達!!アカデミーの友達!!」
「そんなこと言って、本当は彼氏なんじゃないのか?」
顔を赤く染め、慌てて否定するエレナだったが、店主はお構いなしにおもしろがっている。
その傍らで、ルシアンは相変わらず表情一つ変えずにやり取りを見守っていた。
「エレナ様の恋人ってことはお兄さんも貴族ですよね?エレナ様のことよろしくお願いします」
いきなり話を振られて一瞬だけ戸惑ったものの、ルシアンは何でもないことのように頷いて見せた。
「ちょっ!!ルーも何頷いてるの!!本当に違うからね!!」
「まぁ、楽しんできなよ!」
必死に否定しながらも、エレナの顔はさっきより一層赤くなっている。そんなエレナに、店主はニヤニヤしながら手を振り店の中へ入って行った。
「何なのもう…ルーも冗談なんだから、真に受けなくていいからね!」
ぶつぶつと文句を言いながら歩き出すエレナだったが、その顔は赤くなったままだ。
ルシアンは気にした素振りも見せずに隣を歩いていたが、いつもと違う彼女の反応に内心では何とも言えない胸の高鳴りを覚えていた。
ノワールでも恋人に間違われることはあったが、これほどの反応を見せたことはない。
否定こそしているものの、真っ赤になって恥ずかしがっている姿は明らかに以前と違っていて、その変化が嬉しく、自然と口元が緩むのを抑えきれない。
「もうすぐだから早く行こう!」
隣で必死に顔をあおいでいるエレナは、そんな彼の小さな変化に気づくはずもなく、誤魔化すように足早に先へと進んで行った。




