93.お茶会と地図制作
エレナたちが応接室で話し合いを始めていた頃、シャルロットとアレクシスは、庭園を見渡せるテラスにいた。
このお茶会は、視察した日にシャルロットから誘っていたものだった。当初は妹のエミリアも誘うつもりだったのだが、彼女にはエレナとの先約があると分かり、結果的に二人で過ごすことになったのだ。
「本日はお越しいただきありがとうございます」
「こちらこそ、お招き感謝する」
軽く挨拶を交わして席につくと、ゆったりとしたお茶の時間が始まりを告げた。
「先日の視察はいかがでしたでしょうか?少々急ぎ足で回りすぎてしまったのかと思っているのですが……」
「いや、得られるものが多く、大変有意義な時間になった。案内して感謝している」
そう言って小さく微笑むアレクシスを見て、シャルロットはくすくすと笑った。
「どうした?私の顔に何かついているか?」
怪訝そうな顔をするアレクシスを見て、シャルロットはさらに笑みを深める。
「いえ、大変失礼いたしました。ノワール領に滞在されていた時分から現在まで、殿下がずっと楽しそうにされていると思いまして。普段アカデミーの私的な場では、あまり表情を変えられませんでしたから。この休暇を心から楽しまれているのが分かり、嬉しく思っております」
シャルロットの言葉に、アレクシスは一瞬言葉を詰まらせた。
学年が違う彼女とは、アカデミーで頻繁に会えていたわけではない。それなのに、自分の表情の変化を気にかけてくれていたのだ。
好きな相手に気にかけてもらえていた嬉しさに胸が跳ねると同時に、素の自分を見抜かれていた恥ずかしさが同時に押し寄せてくる。
「……それほど分かりやすかっただろうか」
必死で照れを隠すように軽く咳払いを挟むと、アレクシスはそっと彼女へ視線を向け直した。
「セドリック様たちほど、殿下の表情の変化を汲み取ることは難しいですが…少なくとも、知り合ったばかりの頃と比べれば、随分と表情が豊かになったように感じられます」
そう言って微笑むシャルロットに、アレクシスは一瞬息をのみ、見惚れてしまう。何とか表情を整えたものの、内心では動揺したままだった。
しばらく会話に華を咲かせていると、なにやら屋敷の正面の方が騒がしいことに気づく。
二人しばし無言で見つめ合った後、同時に立ち上がった。
◇ ◇ ◇
声のする方へ近づくにつれ、賑やかな騒がしさは増していった。
シャルロットとアレクシスが屋敷の正面へ到着した瞬間、ふたりは目の前の光景に驚き、言葉を失って目を見開いた。
そこにいたのは、地面に這いつくばって熱心に何か作業をしている六人の姿。
その中の一人に目を留めたシャルロットは、思わず半ば悲鳴のような声を張り上げる。
「お父様?!?!いったい何をなさっているのですか?!?!」
シャルロットの叫びに、作業に没頭していた面々が一斉に顔を上げる。
そのうちの一人、ヴェイロン公爵は何事もなかったかのように穏やかな笑みを浮かべた。
「シャルも殿下も、いかがされました?」
「“いかがされました?”じゃありません!!お父様方はいったい何をなさっているのですか!? しかも、揃ってインクまみれではありませんか!」
公爵だけではなく、作業をしていたエレナとエミリア、さらにはルシアン、カイ、セドリックまでもが、顔や袖口をインクで染めていたのだ。
「…何をしているんだ、お前たちは。誰か説明しろ」
あまりの光景に絶句しかけたアレクシスが問いかけると、近くにいたセドリックが申し訳なさそうに寄ってきた。
セドリックの口から語られた経緯はこうだ。
訓練をしていたルシアンとカイをエレナが遊びに誘ったこと。刺繍地図の話題から“自分たちで地図を作ろう“という話に発展したこと。そして応接室で話し合っていたところ、偶然通りかかったヴェイロン公爵が興味を示して混ざり、気づけば今の状況に至っていたこと。
「公爵様が参加されてからというもの、あっという間に規模が大きくなりまして……」
「……どうした?」
どこか言葉を濁すセドリックに、アレクシスは眉をひそめる。
「それが、ですね…地面に広げているこの布、実は隣国で織られた布でして…。インクも他国から輸入されたものなのだとか…」
布自体は珍しいものではないが、糸の精紡や織りの技術、そして大きさによって価値は跳ね上がる。隣国の織物は特に有名で、滑らかな手触りはもちろん、あれほど大判の生地を織り上げる技術はそう手に入る代物ではない。
インクも同様だ。自国では出せない鮮やかな色合いを出すため、わざわざ他国から買い付けている最高級品だという。その言葉を聞いた瞬間、アレクシスの顔がわかりやすく引きつった。
「…お前はそれを止めなかったのか?」
「止めましたよ…。ですが、公爵様が随分と張り切っておられて……私の手には負えませんでした」
遠い目をして力なく首を振るセドリックの表情には、ノワール領で容赦ない訓練に揉まれていた頃と同じ哀愁が漂っていた。
公爵の張り切りぶりとセドリックの悲哀に溜め息をつきかけたアレクシスだったが、大判の布に描かれた精密な線に気づくと、ふっと面白そうに目を細めた。
「……それにしても、全員で作り上げる巨大地図か。なるほど、なかなか興味深いな」
アレクシスの言葉に隣にいたシャルロットの顔が驚きにかわる。
「殿下も一緒にやろうよ!シャルも!カイカイがめちゃくちゃ絵が上手いんだよ!」
アレクシスの言葉を聞き咎めたエレナがふたりを手招きし、布の一角を指さす。
シャルロットは呆れつつも促されるままそこへ目をやると、確かにカイの描いた地形は繊細で美しく、素直に感心してしまった。
その横では、エミリアが父親の手元を凝視したまま、ひきつった顔で固まっていた。
「お、お父様……? もうそのあたりでやめておかれた方が……」
引き留めようとする彼女の声に気づき、アレクシスが覗き込んでみると、そこには何やら怪しげな物体が描き込まれている。
「……公爵、これは何だ?」
「おお! これはヴェイロン領ですぞ! なかなか良い味が出ているでしょう?」
自信満々に胸を張る公爵だったが、布全体を見渡してみれば、カイの描いた美しい地形の所々に、似たような謎の物体が散りばめられていた。
「おじ様、もうやめな?」
エレナが諭すように声をかけるものの、当の本人はすこぶる楽しそうに筆を走らせており、まったく耳に入っていないようだった。
「……お父様。ひとまず、その筆を置いていただけますか?」
シャルロットの静かな呼びかけと、アレクシスの全体を監督する側に回ってほしいという一言により、公爵はようやく納得したように引き下がった。
もともとこの地図制作は、ルシアンが縮尺計算、エレナが地形の確認、カイが絵を描き、エミリアがそれを塗り、セドリックが地名を記入するという役割分担の元で進められていたのだ。
「シャルロット嬢もいかがですか?」
「……私まで参加するのですか?」
「ここまで来たら、皆さんで完成させた方が楽しそうですから」
そう言われてしまえば、シャルロットも断りきれない。
「……分かりました。ただし、お茶の用意をさせてください。皆さん、休憩も取らずに作業されていたのでしょう?」
そう告げると、シャルロットは使用人に声をかけるため、その場を離れていった。
こうして、当初は四人で始まった地図制作は、いつの間にか八人が参加する大掛かりなものとなった。
皆が再び作業に取りかかる中、ヴェイロン公爵はふと思い出したようにアレクシスへ声をかける。
「そういえば殿下。到着された際におっしゃっていた件ですが、夜でもかまいませんか?」
「もちろんだ。こちらからお願いしたことだからな」
「では、そのように手配してまた改めて声をかけさせていただきます」
アレクシスが頷くと、公爵は満足そうに微笑んだ。そして何事もなかったかのように、そっと足元の筆へと手を伸ばす。
「おじ様!!だから描かないでってば!!」
「まあ、そう言わずに!」
結局、公爵を止めることは誰にもできなかった。




