第9話
「――高柳さん? 高柳さん、しっかりしてください!」
肩を揺すっても、まるで反応がなかった。
七月一日、水曜日。時刻は、恐らく午前零時を回った頃だった。ついさっきまで隣で話していた高柳さんが、契約の通知が届いた直後、糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。
「高柳さん! 高柳さん!」
呼びかける声が、自分でも思っていた以上に大きくなっていたらしい。気づけば、床に横になっていた皆が、次々と身を起こしていた。
「――な、なんだ? もしかして、ゾンビに動きが?」
真っ先に飛び起きたのは赤堀さんだった。目を擦りながらも、既に臨戦態勢のような顔つきになっている。
「違うんです。そうじゃなくて、高柳さんが急に倒れて」
「倒れたって……何があったんだ?」
戸惑う皆に、私は手短に事情を説明することにした。高柳さんが覚醒したこと。契約という機能で、私にもその力が使えるようになったこと。そして、その直後に、彼が意識を失ったこと。
「それは、本当か?!」
「どんな能力を得たんだ?」
赤堀さんと本田さんが、ほぼ同時に食いついてきた。
「『システムウィンドウ』っていう能力に覚醒したんですが……私と契約したのと、ほとんど同時に、倒れちゃって」
その言葉に対する反応は、三者三様だった。
「なんだ、そんなものか」
そう呟いたのは細野さんだった。名前を聞いた瞬間に、戦闘には使えなさそうだと判断したのか、興味を失ったような素っ気なさだった。
対照的に、赤堀さんと皆川さんは「何それ?」と言いたげな顔をしている。それはそうだろう。普通は、こちらの反応の方が自然だ。
そして本田さんだけは、真顔のまま尋ねてきた。
「それは、どんな機能を持ったシステムなんだ? 今、契約したって言ったよな。もしかして星野さんも、その能力が使えるのか?」
「そうなんです」
答えてから、私はふと思い立ち、頭の中で念じてみた。
――システムオープン。
途端に、青く光る画面が、自分の胸のあたりに浮かび上がった。皆の視線が、一斉にそこへ集まる。
___________________________________________________________________
名前:星野紗夜
レベル:0
HP:12
MP:3
EXP:0/0
ATK:13
SpATK:6
DEF:13
SpDEF:10
STA:11
AGI:14
DEX:16
スキル:―
___________________________________________________________________
数値の欄には、実際の数字が並んでいた。だが、それが高いのか低いのか、私には判断のしようがなかった。何しろ、この画面を目にするのは、私自身が初めてなのだ。ATKが13、DEXが16――そう言われたところで、比べられる基準は、さっき見た高柳さんの数字くらいしかない。
EXPの欄は「0/0」のまま灰色になっている。スキルの項目も同様に、灰色に沈んだままだった。
「――やっぱり、ただのステータス画面じゃないか。これじゃ、戦闘には使えないだろ」
細野さんが、そう切り捨てるように言った。
「これらの数値って、星野さんの能力なんですか?」
皆川さんが、恐る恐る尋ねてくる。
「はい、そうです」
「それって……高いんですか? それとも、低いんですか?」
「分かりません。高柳さんの場合は、全部の項目が25で揃っていて、私の数字より、全部上でした。もしかしたら、覚醒すること自体が関係しているのかもしれません」
一頻り、皆がそれぞれに画面を覗き込んでは、驚きの声を上げていた。だが、ふと本田さんが顎に手をやり、考え込むように呟いた。
「そういえば、さっき星野さん、契約が済んだ直後に高柳が倒れたって言ってたよな」
「はい、そうです」
「だとしたら、もしかして、屋上での細野さんと同じで、MP不足かもな」
「MPって?」
赤堀さんが聞き返す。
「ゲームでよくある、スキルを使うのに必要なエネルギーみたいなもんだ。さっき星野さんが見せてくれた画面にも、MPの項目があったろ。多分、それだろうな」
「なるほど……なら、一時間くらいで意識は戻るってことか?」
「多分な。だが、そうだと思う」
皆川さんが、不安げに尋ねた。
「なら、この後どうします? まだ交代の時間じゃないですけど、星野さん一人にするのは、ちょっと違いますし」
「――俺が、そのまま起きてる。お前らは寝ていい」
本田さんがそう言うと、赤堀さんが眉を寄せた。
「本田さん一人か?」
「いえ、私も残ります。まだ、私の当番の時間ですし」
「なら、それでいいか」
そう話がまとまった、その時だった。
エアコンの低い唸りが、ふつりと止んだ。パソコンの画面も同時に暗転する。
「――え? あれ、急にパソコンの画面が落ちたみたいですが」
皆川さんの声に、本田さんがエアコンの前まで歩み寄り、電源が入っていないことを確認した。
部屋の照明は、そもそも最初から消していた。灯りが漏れてゾンビの意識を引きつけたくない、という判断からだ。だが、本当に電気そのものが止まったのかを確かめるため、細野さんが壁のスイッチへ手を伸ばした。
「――付かない。やっぱり、電気が切られたんだ」
「これ……ヤバいんじゃないですか? 外の様子は、もう見れないってことですよね」
「一応、マップは使える。でも、さっきのMPの話だと、それもどれくらい保つか分からない」
「くそ、よりによってこんな時に」
細野さんが苛立たしげに舌打ちする。
「――むしろ、よく保った方だろうな」
本田さんが、抑揚のない声でそう言った。
「外にはゾンビがうろついてる。普通に考えりゃ、供給が続いてる方がおかしかった」
「でも、それって……これから、電気が使えないってことですよね。本当に、大丈夫でしょうか?」
皆川さんの声が、震えていた。
本田さんは、それにすぐには答えなかった。しばらくの沈黙の後、ようやく口を開く。
「――大丈夫じゃないだろうな」
抑揚のない、それでいて有無を言わせない声だった。
「これで、大人しく救助を待ってた連中も、勝手に動き出すかもしれない。地震とは、わけが違う。ゾンビに追われながら、三日も四日もじっと待てる人間なんて、そういないだろうよ」
誰も、その言葉に言い返さなかった。反論の余地がない、というより、反論する気力すら湧かない、という方が近かったかもしれない。重い沈黙だけが、しばらく事務所の中に居座っていた。
「どのみち、こんな夜中じゃ何もできないだろ。特に、電気がない今ならなおさらだ」
沈黙を破ったのは、細野さんだった。
「細野さんの言う通りだな。状況が動くとしたら、朝になってからだろう」
赤堀さんがそれに頷く。
「なら、俺は休む。明日の朝、覚醒者の俺が疲れてたら洒落にならない」
「赤堀さん、お前も寝ろ。ゾンビに立ち向かえる、お前の力が必要になる」
「本田さんは?」
「俺は普段から徹夜には慣れてる。一日くらい、どうってことない」
「そうか? そう言うなら、信じるが」
「大丈夫だ」
________________________________________
そうして、皆がまた横になっていった。だが、エアコンが切れたこと、七月の夜で窓も塞がれていること、そして室内に六人もいることが重なって、事務所は瞬く間に蒸し風呂のような熱気に包まれていった。
気づけば、私自身も汗をかき始めていた。首の後ろで束ねていた髪が汗ばんで肌に貼りつき、シャツの背中も湿り気を帯びている。指先で軽く払っても、すぐにまた張り付いてくる不快感だけが残った。
「――ふぅ、何だか、暑いですね」
「そうだな。さすがにキツい」
「ドアを開けましょうか?」
「それしかないだろ。窓は開けられないんだし」
「でも、ドアを開けるのも、ちょっと怖いですね」
「誰もいないスーパーの夜、か。確かに、ちょっとしたホラーだな」
本田さんがそう言ってから、続けた。
「だが、お前のシステムウィンドウでマップが見えるなら、大丈夫だろう」
「そうかもしれませんけど……さっきも言った通り、いつまで保つか分かりません」
「ま、いずれお前も寝ることになるし、どのみち、常時頼りきりにはできないだろうな」
「それもそうですね」
「――なぁ星野さん、それ、俺も使えないか?」
赤堀さんが聞いてきた。
「どうでしょう。私の方では、契約画面を開いても、自分の契約内容と契約解除のオプションしかないので……多分、新規の契約は高柳さんにしかできないと思います」
「なら、待つしかないか」
「ですね」
「――おい、お前ら。うるさいぞ。ただでさえ暑くて寝れないのに、喋ってると余計に気が散る」
細野さんの声に、私たちは思わず口をつぐんだ。
「ごめんなさい」
「いい。それより、ドア開けるんだろ。さっさとしてくれ。空気を入れ替えたい」
「了解だ」
本田さんが入口のドアを開ける。多少は楽になったものの、それでもやはり暑さは変わらなかった。
「くそ、たった一日で、何でこんなことになるんだよ」
細野さんの愚痴が、静かな空気に落ちた。気を失っている高柳さん以外、全員がそれを聞いていたはずだ。だが、答えられる者は誰もいなかった。
________________________________________
午前二時、交代で私が少し休むことになった。だが、案の定、この暑さでは眠れそうになかった。
屋上に出れば、いくらか涼めるだろう。だが、気を失ったままの高柳さんを置いていくのは、どうにも気が引けた。屋上から降ろすのはともかく、意識のない人を屋上まで運び上げるのは、一苦労どころではない。それに、屋上に出たら出たで、今度は蚊がうるさそうだ、とも思った。
結局、朝の五時になっても、私は一睡もできないままだった。
そして、その時が来た。
マップの端、最大距離である五百メートル圏内に、動きがあった。
「――皆、起きてください! 何だか、外に動きがあったみたいです!」
私の声に、皆が一斉に飛び起きる。
「星野さん、動きって?」
「外に、人間の集団が――こっちに向かってきているみたいです」
「集団って、どれくらいの人数だ?」
「私たちと同じ、六人グループみたいです。移動速度からして、真っ直ぐこっちを目指している感じがします」
「おいおいおい、まだ外にはゾンビがいるんだろ? 大丈夫か?」
「シャッターの前と、駐車場のあたりに、全部で十二体います。でも、もっと外側――マップの端の方には、まだ何体もいます。戦闘が始まって音が響けば、それが一斉にこっちへ集まってくるかもしれません」
「くそ、どうする」
細野さんが呻くように言った。
「見捨てられないだろ」
赤堀さんが、迷いのない声でそう言った。
「真っ直ぐこっちに向かってるってことは、このスーパーを目指してるってことだ。俺も外にいたら、まずはここを目指す。水と食料の確保が最優先だからな」
「でも、どうするんだ。あの数のゾンビ相手に真正面からぶつかれば、こっちにも犠牲が出るだろ」
「ゾンビが音に反応するなら、まず屋上からできるだけ遠くへ何かを投げて、シャッターの前からゾンビを引き離す。そうすれば、少しは開けられるはずだ」
「開けるんですか?!」
皆川さんが声を上げる。
「ほんの少しだけだ。ゾンビは、屈んで入ろうとはしないだろう、多分」
「なるほど」
「それに、念のため俺と本田さんで裏口から回る。最悪の場合、少しでも相手をすれば、成功率は上がるはずだ」
「なら、最初から裏口まで案内すればいいんじゃ?」
「それもあり得るが、集団の様子を見てみないと分からない。もし子供や年寄りが交じってたら、悠長に裏へ回ってる余裕はないかもしれない」
「じゃあ、屋上には誰が上がるんですか」
「それは細野さんだ。悪いが、昨日と同じように、火の玉でゾンビを攻撃してくれ。気を失っても、屋上なら安全なはずだからな」
「――まぁ、そうなるよな」
「星野さんと皆川さんは、まだ寝てる高柳さんを起こしてくれ。もし失敗して、ゾンビが入ってきたら、すぐに逃げないといけないからな」
「分かりました」
「あと、誰か、シャッターの内側で待ってる人間が必要だ。彼らがシャッターから入ってきたら、すぐに引っ張り込んでくれる奴がいると、色々と時間が短縮できる」
「それ、私も手伝えます」
皆川さんが、震える声ながらもそう申し出た。
「そう言ってくれると助かる。ありがとう、皆川さん」
「――じゃあ、そうと決まったら、行くぞ」
ろくに眠れなかった五人が、急激に動き出そうとする状況に合わせて、それぞれの持ち場へと駆け出していく。
私は皆川さんと共に、まだ目を覚まさない高柳さんのもとへ向かった。




