第8話
奥歯に力を込め、欠片を噛み砕く。
その瞬間、喉の奥がかっと灼けた。だが熱はほんの一瞬で引いていく。
淡い光が収まった時には、視界の端に、覚えのある青い光の板が音もなく浮かんでいた。
信じられない気持ちのまま、俺はそれを見つめた。ついさっき、紗夜と話しながら思いついたばかりのものが、今、確かに目の前にある。
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名前:高柳 誠一
レベル:1
HP:25/25
MP:25/25
EXP:0/1,000
ATK:25
SpATK:25
DEF:25
SpDEF:25
STA:25
AGI:25
DEX:25
【スキル】 システム ウィンドウ
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その下には、いくつかの項目が横一列に並んでいた。マップ、チャット、マーケット、収納、契約――ステータス以外にも、機能がいくつも控えている。
数字は、どれも判で押したように綺麗に揃っていた。一つとして飛び抜けたところがない。まるで、まっさらな紙に定規で線を引いたような、そっけない均一さだった。
「――マジかよ」
掠れた声が、口をついて出る。本当に、これが現れた。
隣で紗夜が息を呑む音がした。振り返ると、彼女は俺の体に視線を貼り付けたまま、まだ驚きの抜けきらない顔をしている。今しがた放たれた光を、目の当たりにしたばかりなのだろう。
「――それで、覚醒したん、ですよね?」
「ああ、多分」
「何の能力を得たんですか?」
前のめりに聞かれて、俺は一瞬言葉に詰まった。答える代わりに、目の前に浮かぶ画面へ視線を戻す。だが、紗夜の顔には反応らしい反応がない。
「え……星野さん、見えてないのか、これ」
「見えてないって、何がですか?」
紗夜が眉をひそめる。俺は仕方なく、何もない空間を指差した。傍から見れば、さぞ滑稽な姿だっただろう。
「これだよ。目の前に浮かんでる、システムウィンドウってやつ」
紗夜は俺の指の先を目で追ったが、しばらくして首を振った。
「――何も、ないですけど」
「俺にしか、見えてないってことか」
呟いた拍子に、ふとした思いつきが胸をよぎった。誰かに見せたいと願えば、見せられるのかもしれない。理屈は分からないが、なぜかそんな気がした。
半信半疑のまま、頭の中で念じてみる。
――紗夜にも見えるようにする。
「――あ! 見えました、今!」
紗夜の声が弾んだ。
「レベルまである……何だか、本当に子供の頃にやったポケモンみたいですね」
彼女は食い入るように虚空を見つめながら、興奮を隠しきれない様子だった。
「――これ、上限とかあるんですかね。Lv100まで、とか?」
「さぁ、どうだろう。分からないな」
正直な答えだった。分からないことだらけだ。だが一つだけ、感覚として確かに分かることがある。俺は今、本当に覚醒したのだ。それだけは、疑いようがなかった。
――だとすると、あの欠片も。本当にゾンビの落とし物だったのか。
「いや、待てよ」
「急にどうしたんですか?」
「俺、ゾンビと戦った覚えがない」
「さっきも、そう言っていましたよね」
「でも、欠片は本物だった。なら、出どころは? ゾンビじゃないなら、一体……」
「それを拾った時のこと、何も思い出せないんですか?」
「いや、それが昨日の夜のはずだと思うけど……本当に酔っていたから、記憶が曖昧でさ」
「え? 平日から、飲んでいたんですか?」
「あ、それは聞かないでくれ。頼む」
「――高柳さんが、そう言うなら」
紗夜は、それ以上は追及せずに引き下がってくれた。
「ありがとう」
――思い出せ。何かがあったはずだろ。俺がこれをポケットに入れようと思ったきっかけは、絶対にあるはずだ。
記憶の底をさらうように目を閉じる。あの蒸し暑い夜、裏路地で見た何か。酒に溶けて曖昧だった輪郭が、じわりと形を持ち始める。
「――そうだ! あの時、青く光る円が浮かんでたんだ。ちょうど、頭一つ分くらいの大きさの」
「円、ですか?」
「ああ。縁が青白く発光してて、中は渦を巻くみたいに光ってた。SFに出てくる、異次元への扉、みたいなやつ」
紗夜は困ったように眉を下げた。
「そんな話、聞いたことないですよ。さっき情報を探していた時も、それらしい話は一つも出てきませんでしたし」
言われてみれば確かにそうだ。あの夜の俺は、正体をなくすほど酔っていた。あれは酒精が見せた、都合のいい白昼夢だったのかもしれない。
だが、今こうして光の板が浮かんでいる以上、何かが起きていたことだけは疑いようがなかった。
紗夜は、それ以上は追及せず、話を切り上げるように軽く息を吐いた。
「――それより、能力です。他に、どんな機能があるんですか?」
紗夜の一言に、思考の渦から引き戻される。
「あ……ああ、悪い。順番に確かめてみるか」
肩を寄せ合うようにして、二人で画面を覗き込む。薄暗い事務所の中でも、青く発光するその画面だけは、輪郭までくっきりと浮かび上がって見えた。
「まずは、これだな」
インベントリのタブに触れると、画面が切り替わり、四角く区切られた枠がいくつも並んだ。中身は、当然どこも空白だ。
「――何もないですね」
「そりゃそうだろ。何も入れてないんだから」
試しに使うものを探して、視線を落とす。ちょうど傍に、昼間の弁当と一緒に飲んだお茶の、空になったペットボトルが転がっていた。それを拾い上げる。
「収納したいな」
そう思った瞬間、目の前に短い一文が浮かんだ。
【収納しますか?】
下に「Yes」「No」の選択肢。「Yes」に触れると、手の中からペットボトルがふっと消え、代わりに画面の枠の一つに「空のペットボトル×1」という表示が現れた。
「あ、映りました!」
「そうだな」
俺は表示されたアイテムの部分に指で触れてみた。すると「詳細」と「抽出」、二つの選択肢が現れる。
まず「詳細」をタップしてみた。
【使用済みのお茶の空のペットボトル【150ml】。保存状態良好。】
「――詳細まで、分かるんですね」
紗夜が感心したように呟く。
「これは便利だな。後で何をしまったのか、いちいち開けて確かめなくて済む」
「あと、『×1』って表示されてますけど……これ、上限とかあるんでしょうか?」
「あー、あるだろうな、普通に考えれば。よくあるゲームだと、99とか999あたりで止まるけど――この場合はどうだろうな」
「後で色々、試すしかなさそうですね」
「だな。とりあえず、今は抽出の方も試しておくか」
そう言って、今度は「抽出」に触れる。すると、また新しい画面が現れた。
【抽出する数を決定してください】
収納の時とは違い、今度は数を指定できる項目があった。もっとも、今は「1」しかない。迷う余地もなく、そのまま1を選ぶ。
【抽出しますか?】
再び「Yes」「No」の確認。「Yes」を選ぶと、消えたはずのペットボトルが、また俺の手の中に現れた。
「本当に、しまえるんですね……」
紗夜はしばらく、俺の手の中のペットボトルと、空になった枠を交互に見比べていた。
「じゃあ、次はこれか」
マップのタブを開く。円形の画面が広がり、中心付近に、小さな青い点がいくつか固まって表示されていた。
「これが、俺?」
「――一つじゃないですね。これ、私たちも映ってるんじゃないですか」
紗夜に言われて数えてみると、青い点は全部で六つ。ちょうど、この事務所にいる俺たち全員の数と一致していた。
「そうか……俺だけじゃなくて、この場にいる全員が表示されるのか」
赤い点は、その青い点の塊から少し離れた位置に、いくつも散らばっていた。シャッターの外に集まっている、あのゾンビの群れだろう。
「――数えてみます?」
紗夜がそう言うので、二人で赤い点を指差しながら数えてみた。八、九、十――大体、先ほど監視カメラの映像で見た数と近い。
「大体、合ってますね」
「だな。位置関係まで、こんなにはっきり分かるとは思わなかった」
画面の端には、小さく「半径50m」という表示がある。試しに、画面を指で広げるようにしてみると、円の範囲がじわりと拡大していった。100、200――指を動かすたびに数字が増えていき、最終的には「半径500m」というところで、それ以上は広がらなくなった。
「――これが、多分限界みたいだな」
「500メートルか……そう考えると、心強いような、逆に怖いような、微妙な距離ですね」
紗夜がそう言って、小さく笑った。それから、ふと真顔に戻る。
「便利ですけど……ちょっと、不気味でもあります。自分の周りに何がいるか、全部見えてしまうというのは」
紗夜がそう言って、小さく身震いした。
続けてチャットのタブを開く。だが、そこに広がっていたのは、システムウィンドウと同じ青一色の、何もない画面だった。
「――誰もいませんね」
「あれ? 何も、できないな……」
チャット欄に何を打ち込んでも、送る相手すら選べない。反応のない画面を前に、俺は少し戸惑っていた。
「次、見てみましょう」
紗夜にそう促されて、俺はマーケットのタブへ切り替えた。そちらも同様だった。出品されている品も、売り買いできる相手も、何一つ表示されない。
「これも、今は使いようがないですね」
「かもな。でも――」
俺は、その何もない画面をしばらく見つめた。
「今はこうやって、青一色なだけだけどさ。いつかここに、誰かの名前とか、売り物とか、いっぱい並ぶようになるのかもな」
そう口にしてみると、妙にむず痒い気分になった。柄にもないことを言った自覚はあった。
紗夜は、少しだけ目を細めてこちらを見ていたが、何も言わなかった。
「で、最後がこれだ」
俺は最後に残ったタブに触れた。契約――そう名付けたページだった。
「本当に、作ったんですね」
紗夜がぽつりと零す。その声には驚きと、どこか腑に落ちたような響きが同居していた。
「もしかして――望んだ能力が、そのまま形になるものなんでしょうか」
「かもな。他に説明のしようがない」
俺が頷くと、紗夜はしばらく考え込むように黙っていた。だが、それも長くは続かなかった。
「なら、さっき話してた……他の人にも契約で使わせる、っていうのも、試せるんですか」
「やってみるか」
契約のページには、「新規契約」という項目があった。触れると、短い一文が浮かび上がる。
【システムウィンドウ使用者を契約で追加しますか?】
その下に、「Yes」「No」の選択肢。「Yes」を選ぶと、続けて一覧が現れた。
【以下の人物から、次に契約したい人を選択してください】
紗夜の名前があった。少し離れた場所で寝息を立てている、残り四人の名前も並んでいる。
迷いはなかった。俺は、紗夜の名前を選んだ。
「――え?」
紗夜が小さく声を上げる。彼女の視界にも、何かが表示されたのだろう。
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【契約内容の確認】
一、本契約は、システムウィンドウの
利用権を提供する代わりに、
契約者が新たに得る経験値の1%を
自動的に提供者へ送付するものとする。
二、契約が有効な間、契約者同士による
意図的な死闘・加害・殺害を禁じる。
違反した場合、即座にシステムへの
アクセス権を失い、インベントリの
中身は凍結される。
三、契約者は、理由の如何を問わず、
いつでも契約から脱退できる。
脱退時、インベントリの中身は
全て契約者本人へ返却される。
上記の内容に同意しますか?
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その下に、「Yes」「No」の選択肢。
――あれ? これだけか?
自分で目を通しておきながら、拍子抜けした。もっと細かい条項がずらずら並ぶものだと思っていたが、実際に表示されたのは、たったこれだけの短い文章だった。
「――やけに、あっさりしてるんですね」
紗夜も同じことを感じたのか、そう呟いた。
「まぁ……普段使ってるアプリの利用規約とか、もっと長ったらしいもんな。それに比べたら、随分あっさりしてる」
「でも、長くしたところで、結局は誰も読まないですよね」
「それは、否定できない」
紗夜はしばらくそれを目で追っていたが、やがて静かに「Yes」に触れた。
一拍置いて、視界の端に通知が浮かぶ。
【新規契約が締結されました】
紗夜の傍らにも、同じ青い光が生まれる。
「――見えます。私にも」
そう零す彼女の声を、最後まで聞き取ることはできなかった。
視界が、唐突に暗転する。
体の内側から、何かがごっそりと抜け落ちていくような感覚。座っているはずの上体を支えきれず、そのまま横倒しに崩れていく。誰かが名前を呼んでいる気がしたが、その声もすぐに、闇の底へと沈んでいった。




