第7話
その後、皆で相談し、交代で寝ずの番をすることに決まった。三組に分かれ、常にどこか一組が起きている体制を作る。誰からともなく組み合わせが決まっていき、最終的にこうなった。
赤堀と皆川。本田と細野。そして――俺と紗夜。
最初の夜番は、俺と紗夜だった。
事務所は、そう広くはない。他の四人は、その同じ部屋の中、床のあちこちに適当な間隔で横になっていた。一日中張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、横になって数分と経たないうちに、誰もが深い寝息を立て始めていた。赤堀のいびきに混じって、皆川の寝返りの音が時折聞こえてくる。
その寝息を確かめてから、俺は非常灯の薄明かりの下、紗夜と並んで座り直した。誰かに聞かれる心配はなさそうだった。窓という窓を塞いでいるせいで、エアコンが効いていても、部屋の空気はどこか重く澱んでいる。時折、シャッターの向こう側から漏れ聞こえてくる、低いゾンビの唸り声が、この静けさが偽物であることを思い出させた。
紗夜は少し距離を置いて座り直すと、膝を抱えるようにして俺の方を見た。しばらく、どちらからともなく無言の時間が流れる。
「――もし、本当に覚醒できるとしたら」
やがて、紗夜がぽつりと切り出した。
「高柳さんは、どんな能力が欲しいですか?」
質問の意図を測りかねて、俺は少し考えた。だが、答えるのに時間はかからなかった。さっき、情報を探しながらふと思い浮かんだ願望だったからだ。
「ゲームみたいに、システムウィンドウが見れる能力かな」
「どうして、そう思うんですか」
紗夜が、興味深そうに首を傾ける。
「いや、あれがあれば、どんな世界になっても便利だと思わない?」
「――そうなんですか? 私、あまりゲームをしないので、よく分からないかもしれません」
心底ぴんと来ていない、という顔だった。
「あ、そうか。なら、ピンとこないよな」
「普通は、どんな機能があるんですか?そのシステムウィンドウというのは」
紗夜が、少し身を乗り出すようにして聞いてくる。薄明かりの下でも、その目には素直な好奇心が浮かんでいた。
「そうだな。まず、自分の基本情報とステータスが見れる」
「それって、ポケモンのレベルとかの、あれですか?」
「お、さすがにステータスは知ってるんだな。そうそう。レベルとか、攻撃力とか、経験値とか」
「それは、確かに欲しいかもしれません」
紗夜は、少し考えるように視線を落とした。
「少なくとも、自分がどれくらい強いか分かりますから」
「だろ? それに、今回はどうやら一人用のゲームじゃなくて、皆で同じ世界を生きてるマルチプレイヤーのゲームみたいなものだろ。なら、チャット機能も、俺なら絶対に入れるな」
「俺なら、って。高柳さんは、ゲームを作る仕事でもしてたんですか?」
「ちょっと違うけど、SEはやってたから、割と近いかもな」
俺は自分の膝の上で、指を折るようにして数え上げた。
「チャットくらいなら、そんなに難しくないし、自分で作るなら間違いなく入れる」
「なるほど。他には?」
「あとは、当然マップも入れるな。少なくとも、半径500メートル以内の敵と味方が分かるやつ」
「どうやって、識別するんですか?」
「それはもちろん、自分と味方は青で表示して、ゾンビとか敵は赤で表示する。それだけで、パッと見て分かりやすいだろ」
「なるほど……」
紗夜は感心したように、小さく頷いた。
「それに、必要性を考えれば、マーケット――ショップみたいなものと、インベントリは外せない」
「インベントリ?」
聞き慣れない単語だったのだろう、紗夜が小さく首を傾げる。
「アイテムとか、お金とか、色々収納できる場所」
「じゃあ、逆に聞きますけど。普段はそういうシステムウィンドウにあってもおかしくないのに、高柳さんなら入れない機能って、ありますか?」
「うん、それなら――クラフトだな」
「それって、どんな機能ですか?」
「複数のアイテムを使って、新しいアイテムを作る機能。だけど、自分でやるとなると、色々複雑になりすぎるから、俺ならパスかな」
「そんな理由ですか?」
紗夜が、少し意外そうな顔をする。
「いや、自分で作るとしたら、の話だけどさ。テスト段階で想定されるバグだけでも、もう考えたくないくらいだ。それに、一度作ったら、その後もずっと維持しないといけないだろ。そっちの方が、正直もっと地獄だな」
「なんだか、SEも大変なんですね」
紗夜がそう言って、小さく笑った。
「――でも、そんなシステムなら、それは確かに欲しいですね」
紗夜は、今度は迷わずそう言った。
「なら、契約を使って、相手にも使わせるようにするとか」
「契約って、対価は何にするんですか?相手から、何を貰うんですか?」
「んー、何だろうな。お金は、この状況だと価値がなくなりそうだし」
俺は腕を組み、しばらく宙を睨んだ。答えの出ない問いを、ただ口にしただけのつもりだった。だが、紗夜の方が先に、その答えに辿り着いた。
「なら、経験値とか使うのはどうですか?その割合を、少し貰うとか。1%くらいなら、誰も欲しがると思います」
「――お、それいいな。気に入った」
思わず声が弾んだ。薄暗い部屋の中で、その一言だけが妙にはっきりと響いた気がした。
「確かに、俺だけがそんな便利な機能を持ってたら、恨まれるかもしれないしな。かといって、タダで使わせるのも癪だし、高い料金を取ればまた恨まれる。経験値の1%くらいが、ちょうどいい」
「気に入ってもらえたなら、よかったです」
紗夜はそう言って、少しだけ目を伏せた。口元には、微かな笑みが浮かんでいる。だがそれも、次の一言で陰りを帯びた。
「でも私は――そういう便利さより、自分の身を守れる、絶対的な力が欲しいです」
その声の温度が、一段階落ちたのが分かった。
「絶対的な力って、どんな?」
「分かりません。でも、少なくとも、自分自身で戦える力が欲しいです」
紗夜は膝を抱える腕に、僅かに力を込めた。今日、あのゾンビに組み伏せられた記憶が、まだ体のどこかに残っているのかもしれない。
「まあ、女性なら、そう思うのも無理はないよな」
俺はできるだけ軽い調子でそう言ったつもりだったが、口にした端から、それがどれほど軽薄な慰めにしかならないか気づいた。
「こんな世界で、男に頼るしかできなくなったら――結果は、見なくても分かる」
「ですね」
紗夜は静かにそう頷いただけだった。責めるでもなく、ただ事実として受け止めているような声だった。
「でも、それもこれも、覚醒するための欠片を手に入れないと、始まらない話ですけど」
その一言で、俺は内心考え込んだ。覚醒には欠片が必要で、俺たちにはそれがない。手に入れるにはゾンビを倒す必要があるが、今日この店の中で、そして屋上で見た光景の恐ろしさは、まだ肌に張り付いたままだった。あれにもう一度、生身で挑みたいとは、到底思えなかった。
――紗夜も、きっと同じだろう。だからこそ、彼女は「絶対的な力」が欲しいと言ったのだ。戦えないことの恐怖を、今日一日で嫌というほど味わったから。
「欠片、か……」
呟いた拍子に、ふと胸の奥に引っかかりを覚えた。
そういえば――最初に赤堀がゾンビを倒した時、地面に残ったあの欠片を見て、妙な既視感を覚えたことがあった。だが、よく考えてみれば、あれと同じような色をした石を、今朝も一度、目にしていなかったか。
記憶の底を探るうちに、唐突に像が結ばれた。
「――あ、そうだ! これだ!」
思わず声が出た。紗夜が、驚いたように目を見開く。
俺は自分のポケットに手を突っ込み、財布を引っ張り出した。その奥に、指先が硬い感触を拾う。財布と一緒に、小さな黒い石が転がり出てきた。
「――あれ? 高柳さん、ゾンビ倒してたんですか?」
紗夜が、身を乗り出すようにしてそれを覗き込む。
「いや、倒してない。でも、なぜか今朝起きた時には、もうポケットの中に入ってたんだ」
「そんなことって、あるんですか」
「まあ、世界がこんな有様だし。あってもおかしくないだろ」
自分でも、ずいぶん投げやりな理屈だと思った。だが、紗夜はそれ以上追及せず、小さく頷いた。
「――それも、そうですね」
その黒い石を、二人の間に置くようにして見せる。薄暗い非常灯の下でも、それはかすかに、確かに光を放っているように見えた。
「じゃあ、これ食べれば覚醒できるか、試してみるか。どうする、星野さんが使うか?」
「いえ、いいです」
紗夜は、迷う素振りもなく首を振った。
「それ、高柳さんのものですから。あなたが使ってください」
「そう? なら、そうするけど」
「はい。その代わり――後で私も、欠片を手に入れるのを手伝ってもらえますか」
紗夜の目には、静かな、それでいて揺るがない光があった。
「ああ、当然だ」
俺は頷き、指先でその欠片をつまみ上げた。
「じゃあ、いくぞ」
「はい」
そうして、俺はその欠片を口に含んだ。




