第6話
モニターの中で、ゾンビたちは駐車場を当てもなく歩き回っていた。
「……シャッターを、破ろうとしてる感じじゃないな」
しばらく画面を睨んでいた本田が、そう呟いた。
言われてみれば、その通りだった。何体ものゾンビが視界に入っているにもかかわらず、誰一人としてシャッターを攻撃しようとはしていない。ただ、目的もなくふらふらと歩き、時折思い出したように立ち止まる。
「たまたま、他より強くシャッターにぶつかった個体がいたのか?」
赤堀がそう言う。
「そうかもですけど、まだ分かりません」
それに紗夜が返す。
だが、すぐ後に、皆川が別の映像を指差した。
「ね、これ見てよ。駐車場のところのカメラから、ゾンビがもっと集まってきているよ!」
皆がそれを見ると、揃って息を呑んだ。
ゾンビが集団をなして、全員がこちらを目指していた。
「やっぱり、こっちに来てる!」
細野がそう叫ぶ。
「でも、どうして?! さっきまで普通だったのに!」
「夕暮れ、とか?」
「夕暮れって何よ。ゾンビは夕方にスーパーへ行く近所の主婦か何かなの?」
「いや、俺にそう言われても分かんねぇって」
皆が口々に言い合いを始める。理由も分からず数を増していくゾンビの群れに、誰もが苛立ちを隠せずにいた。
「――音に、反応しているのかもしれません」
その中で、紗夜だけが静かにそう言った。
「音って、音量にってことか? でもこっちは、外よりよっぽど静かだろ」
そう言いかけて、赤堀が言葉を止めた。
外が、静かになっている。
そういえば、避難した直後からずっと鳴り続けていたはずの警報のサイレンも、ヘリコプターの音も、いつの間にか聞こえなくなっていた。
「……外、静かになってるな」
本田が言う。
「さっき、食事の途中からだと思う。あの辺りから、うるさい警報の音がやんでた気がする」
「たしかに、そうかも」
「私たちも食事に夢中で、気づきませんでした」
「なら、こいつらが今ここに集まってきてるのは何でだ? 俺たちも、大してうるさくしてないだろ。少なくとも、あの数を呼び寄せるほどの声量では」
「――BGMだ」
それまで黙っていた俺は、ふとその可能性に思い当たった。
「スーパーの売り場で流れ続けてる、あのBGM。あれに反応してるんだ」
その一言で、皆が一斉に理解した顔になる。
もし外に他の音がなければ、この店から漏れ続けている音楽だけが、周囲のゾンビを呼び寄せる唯一の目印になっていてもおかしくない。
「今すぐ止めるぞ!」
「どうやって止めるんだよ、俺は知らないぞ」
「――ちょっと貸してみろ」
俺はそう言って、座っていた皆川越しにパソコンのマウスを取り、管理用のソフトウェアを開いた。それらしき機能を片っ端から探し、目についたものを手当たり次第に停止させていく。
やがて、店内に流れ続けていたBGMがふつりと途切れた。
「――止まった、みたいだな」
「これで、大丈夫かな」
「さぁな」
その時、細野がシャッターの向こうに集まりつつあるゾンビの群れをじっと見つめていた。
「――俺、ちょっと屋上に出てくる」
それだけ言うと、彼は説明もないまま歩き出した。
だが俺には、彼が何をしようとしているのか、見当がついていた。以前、彼と交わした会話――屋上から下のゾンビを狙い撃ちすれば、シャッターを開けずに済むし、能力のテストにもなる、という話だ。
「――俺たちも行こう」
そう言って、俺は彼の後に続いた。
残された面々は、互いに顔を見合わせ、「一体何なの?」と言いたげな表情を浮かべながらも、結局は同じように後を追ってきた。
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非常階段を上りきり、屋上へ続く扉を押し開けた瞬間、俺たちを迎えたのは、真っ赤に染まった空だった。
冬ならば、もうとっくに夜になっていてもおかしくない色合いだ。だが今は夏の盛りで、日没はまだ遠い。それでも空は、まるで血を流したかのような赤に焼かれていた。
その空の下に広がっていたのは、見慣れたはずの町の姿ではなかった。
あちこちに影を落とす建物群の隙間から、黒い煙が幾筋も立ち上っている。量からして、ガソリンスタンドか何かが燃えているのだろう。ただの火災では到底説明のつかない本数の煙が、赤い空へと溶けていくように昇っていた。
「そんな……」
皆川がそう漏らし、その場に膝から崩れ落ちる。
「皆川さん、しっかりして」
赤堀がとっさに彼女を支えた。
そんな二人を横目でちらりと見ただけで、細野は一歩前へ進み出て、眼下で蠢くゾンビの群れを見下ろした。
触れられる心配はない。だが、スーパーは一階建てだ。想像していたよりもずっと近い。
細野はそれらを睨みつけると、右手を静かにかざした。
俺はその様子を、黙って見つめた。紗夜もまた、彼が何をしようとしているのか気づいたのだろう、そっと前に出て近づいていく。本田は動かず、その場で腕を組んだまま、不思議そうに成り行きを見守っていた。
細野は一度、深く息を吸い込む。
「――はっ」
短く声を上げて目を見開くと、下にかざした手の先に、火の玉が生まれた。スーパーの中で練習していたものよりも、遥かに大きい。運動などろくにしてこなかった俺の目測でも、バスケットボールほどの大きさはあった。
「――死ねっ!」
その掛け声とともに、細野は火の玉をゾンビの群れへと放った。
声に反応したのか、ゾンビたちが一瞬こちらを見上げる。だが、遅かった。
火球は真下にいた一体に直撃した。全身を包んだ炎はほんの一呼吸ほどの間に燃え広がり、断末魔の声を上げる暇さえ与えなかった。ゾンビの輪郭はそのまま崩れ、後には小さな欠片だけが残った。
「――一撃……」
そう漏らしたのは紗夜だった。
「はは! やっぱり、これでゾンビは殺せるんだ!」
興奮した様子で笑う細野。だが、
「おい、あんた大丈夫か? 汗がすげぇぞ!」
本田の声に、皆の視線が細野に集まった。
「それに、顔色が真っ白よ」
「何言って……大丈夫に決まって――」
言い終わる前に、細野の足元がふらついた。倒れかけたその体を、ようやく皆川を落ち着かせたばかりの赤堀が、横から支える。
「よっと」
「おい、細野!」
呼びかけても、反応がない。
「気絶している、のか?」
呼吸はある。胸が上下しているのは、傍目にも分かった。だが、意識はどこにもなかった。
「さっきの力、相当な負荷がかかるみたいだな。まるで貧血の症状だ」
本田がそう分析する。
俺はそれよりも、下に転がる欠片が気になっていた。あれを回収できないか、と。
「――これじゃ、無理そうですね」
隣に立っていた紗夜が、俺の考えを読んだようにそう言った。
「……うん、無理だな」
一体は仕留めたものの、まだ群れには十数体が残っている。今この状態で下に降りるのは、あまりに分が悪い。
「今日は、中へ戻ろう」
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細野が目を覚ましたのは、夜になってからだった。
事務所の隅、床に座り込むように寝かされていた彼は、ゆっくりと瞼を開くと、しばらく天井の染みを見つめたまま動かなかった。頭の中で状況を整理しているのだろう。やがて小さく息を吐き、右手をゆっくりと天井に向けてかざす。
ぼっ、と小さな音を立てて、掌の上に親指の先ほどの火が灯った。頼りない、ささやかな炎だった。それでも細野は、それをしばらく見つめ続けた。
「――よかった。ちゃんと、使えるみたいだ」
安堵の滲む声だった。力そのものを失ったわけではない、ただ使いすぎただけらしい――そのことを確かめられただけで、強張っていた彼の表情が、目に見えて緩んでいく。
「今夜は、皆でここに固まって過ごそう」
赤堀がそう提案した。誰も異を唱えなかった。むしろ、それ以外の選択肢など考えられない、という顔つきだった。事務所の限られた床面積の中、それぞれが適当な場所を見繕って腰を下ろす。段ボールの上、事務椅子の上、壁に背を預ける格好。狭い空間に、六人分の疲労が沈殿していくようだった。
俺は事務所の隅にあるパソコンの前に座り、ネットに繋いだ。
スマホでも同じことはできる。だが、電気がいつ止まるか分からない今、充電できる保証もないバッテリーは、できる限り温存しておきたかった。古いモニターの光だけが、薄暗い部屋の中でやけに白く浮かび上がる。
その光に誘われるように、他の皆も画面を覗き込もうと、俺の背後に集まってきた。皆川の吐息が肩のあたりにかかる。細野は椅子の背もたれに手をついて身を乗り出し、本田は少し離れた場所から腕を組んで眺めていた。
流れてくる情報の中には、昼間に細野から聞いた覚醒の話も確かにあった。誰かが投稿した粗い動画、それに対する数千件のコメント。だが、それ以上に俺の目を引いたのは、この騒動がどうやら世界各地で同時多発的に始まっているらしい、という情報だった。
――いや、もしかすると、海外の方がずっと酷いかもしれない。
アメリカ、ヨーロッパはもちろん、南米、アフリカ、中東、東南アジア。どの地域のタイムラインを覗いても、似たような混乱を伝える投稿が絶え間なく流れてくる。言葉の分からない言語のものも多かったが、写り込む映像だけで、そこで何が起きているかは十分に伝わってきた。
しばらく、誰も口を開かなかった。
「――覚醒したら、どんな能力があるのか、まとめてる人とかいないんですか?」
沈黙を破ったのは紗夜だった。声にはどこか、縋るような響きがあった。彼女なりに、この状況を生き延びるための希望を探しているのだろう。
俺はキーワードを変えながら、しばらく検索を続けてみた。だが、それらしいまとめサイトも、Wikiのような一覧も見当たらない。ゲームのようにステータスが見える、という情報も出てこなかった。鑑定のような能力に覚醒した者が、世界のどこかにいるのかもしれない。だが、少なくとも今の時点で確認できる情報は、何もなかった。
「――今のところ、無さそうだな」
「そうですか……」
紗夜は、小さく肩を落とした。




