第17話
キャバ嬢のゾンビと、それに続く群れが、完全に見えなくなった。
辺りに残ったのは、焼け焦げた車と、燻る煙の匂い、そして、耳鳴りのような静けさだけだった。
「――はぁ……」
赤堀が、大きく息を吐き出す。緊張から解放された安堵と、それでも拭いきれない疑問が、その表情に入り混じっていた。
「今の、一体何だったんだ」
誰への問いというわけでもなく、そう呟く。だが、答えられる者は、この場に誰もいなかった。俺自身、まだ心臓の音が耳の奥で鳴り続けているのを感じていた。
かなり体力を消耗していたのだろう、赤堀はしばらくその場に立ち尽くし、深く息を吐いては吸うことを繰り返し、乱れた呼吸を整えていった。バットを握ったままの手が、微かに震えている。それが一段落すると、ようやく周りを見回す余裕が戻ってきたらしい。
「皆、無事か?」
その一言に、それぞれが、ばらばらのタイミングで答えていく。
「MP切れ寸前でした。ゾンビが引いてくれて、本当に助かりました」
白鳥が、へたり込みそうな声でそう漏らした。地面に片膝をつき、大きく肩で息をしている。
「そうだな。あのままだったら、俺もすぐにMP切れになってただろうな」
細野も、同じように肩で息をしながら頷いた。額から流れる汗を、袖でぐいと拭う。
「お前らの方は?」
後方で防衛を担っていた本田が、こちらへ向けてそう尋ねてきた。
「後方から見てた感じ、大丈夫だと思うが……怪我とか、してないよな?」
「平気だ」
赤堀が、そう短く答える。紗夜も、俺も、それぞれ無事であることを口にした。互いの体を軽く確かめ合うようにして、目立った怪我をした者は、誰もいないことを確認する。
一頻りそのやり取りが済むと、皆川がおずおずと口を開いた。
「これから、どうします? あっちの人たちと合流するんですよね?」
そう言いながら、バリケードの方角へ視線を向ける。見れば、向こうの人々も、こちらと同じように集まって、互いの無事を確認し合っているようだった。怒声や悲鳴の代わりに、今は安堵混じりのざわめきが、風に乗って微かに届いてくる。
「あれ、うちの学校の人たちです」
大宮が、目を細めながらそう言った。人だかりの中に、見覚えのある制服の色を見つけたのかもしれない。
「なら、決まりだな」
赤堀が、軽く頷く。
「俺の方で、最初に話をしに行く。皆で一気に行くと、向こうも警戒するだろうしな」
その言葉に、大宮が手を挙げた。
「なら、俺と白鳥さんも一緒に行きます。知り合いですから、話がスムーズにいくかもしれません」
「――それなら」
俺は、口を挟んだ。
「他の皆は、今の戦闘で倒したゾンビの欠片を回収しておこう。あの力は、絶対にこの先も役に立つはずだ」
「そうですね」
紗夜が頷く。
「覚醒しているのとしていないのとでは、天と地の差がありますから。できるだけ、持っておいた方がいいと思います」
その言葉に、皆が頷き合った。赤堀は、大宮と白鳥を連れて、バリケードの方角へと歩き出す。その背中が小さくなっていくのを見送りながら、俺たちも自分たちの作業に取り掛かった。
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欠片を拾い集める間、俺たちは黙々と手を動かしていた。
地面に転がるそれを、一つ、また一つと拾い上げてはインベントリへ収める。誰も多くを語らなかったが、それぞれの荒い息遣いだけが、辺りに響いていた。
一通り回収を終える頃には、バリケードの向こうで、赤堀たちの話がまとまりつつあるようだった。
思い返せば、最初にバリケードへ近づいた時から、既に緊張感は張り詰めていた。
「――誰だ! そこで止まれ!」
内側から、誰何の声が鋭く飛んできていた。得体の知れない武装集団――向こうから見れば、そう見えても仕方がない。手にした金属バット、埃と血に汚れた身なり。避難民のそれとは、明らかに違って見えたはずだ。
だが、その警戒の質は、俺が想像していたものとは、少し違っていた。
「怪我は? 噛まれてないか?!」
真っ先に飛んできたのは、そんな問いだった。よく考えれば当然だ。俺たちの力そのものより、感染しているかどうかの方が、彼らにとってはよほど切実な問題なのだろう。バリケードの向こうから、いくつもの視線が、値踏みするように突き刺さってくる。
その空気が動いたのは、少し遅れて、大宮と白鳥の姿に誰かが気づいた時だった。
「――圭吾?! 白鳥さんも……無事だったのか?!」
石を投げていたらしい男子学生が、目を丸くしてそう叫んだ。近くにいた教師らしき男性も、驚いたようにこちらへ視線を向ける。
その瞬間、張り詰めていた空気が、目に見えて緩んだ。誰かが息を呑む音、安堵したようなどよめきが、バリケードの内側から漏れ聞こえてくる。
「俺たちは、避難所に向かってる途中だった」
赤堀が一歩前へ出て、代表するように話し始めた。
「そこで、大宮さんたちのグループと偶然会ってな。ここのことを聞いて、来たんだ」
「――大宮! お前たち、勝手に出ていったのか?! しかも、誰にも言わずに!」
教師らしき男性が、声を荒げてそう言った。
「お前たちがいないって分かって、他の生徒たちだって心配してたんだぞ! 探しに行こうとしたが、ちょうどゾンビの侵攻が始まって……それどころじゃなくなった」
その剣幕に、大宮は一瞬たじろいだ。だが、叱責の奥に滲む安堵の色にも、気づいていないはずはなかった。仲間を守れなかった負い目と、それでも自分たちを心配してくれていた事実への複雑な感情が、その顔に綯い交ぜになっているようだった。
「すみません」
大宮が、ようやくそれだけを絞り出す。俯いた肩が、微かに震えていた。
「そういえば、他の四人は? 六人で出ていったはずだろう。一緒じゃないのか?」
教師の問いに、大宮と白鳥の表情が、揃って翳った。二人とも、俯いたまま何も答えられずにいる。
その様子に気づいたのか、赤堀が二人の間に割って入るように、静かに口を挟んだ。
「そのことについても、話したい。だが、できれば後にしてもらえないか。ゾンビは引いたが、いつまた戻ってくるかも分からない状況だ。ここも、いつまでも安全とは限らない」
「そう、だな」
教師は、渋い顔をしながらも頷いた。
「確かに、いつまでも生徒たちを、ここに立たせておくわけにもいかない。分かった、その話は、落ち着いてからにしよう」
その一言で、その場の空気が、一旦区切りをつけられたように緩む。大宮と白鳥は、それでも俯いたままだった。
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俺は、少し離れた場所からそのやり取りを見守っていた。隣には、紗夜が並んで立っている。
『どう思う?』
不意に、チャットにそんな文字が浮かんだ。グループにではなく、俺個人に宛てたものだった。
――戦闘の直後だってのに、まだ個人チャットを新しく開くだけのMPが残ってるのか。
隣に立つ紗夜の横顔を、思わずちらりと窺う。息こそ上がっているものの、その表情に疲労の色は薄い。彼女のMPの底知れなさに、今更ながら舌を巻く。
『何がだ?』
そう返すと、すぐに返信が来た。
『こういう時、ゾンビ映画とかだと、大抵揉めるじゃないですか。今回はどうなるのかなって』
その一言に、俺は思わず小さく笑ってしまった。
『――何?』
すかさず、そんな文字が届く。紗夜が、視線だけをこちらへ寄越していた。
『いや、何でもない。星野さんも、そういう映画観るんだなって思って。つい、可笑しくなった。ごめんごめん』
紗夜が、こちらをちらりと見て、眉をぴくりと動かした。
『別に、普通でしょう。ゾンビ映画なんて、誰でも一度くらい見たことあるんじゃないですか』
『それは、確かに』
そんなやり取りをしている間に、赤堀と、バリケードをまとめているらしい人物との話が、どうやらまとまったらしかった。相手が道を開けるように指示を出し、こちらへ入るよう促している。
「どうやら、上手くいったみたいだな」
俺がそう言うと、紗夜も小さく頷いた。
「そうみたいですね」
俺たちは互いに顔を見合わせ、それから、少し離れた場所で様子を窺っていた他の皆とも視線を交わした。誰の顔にも、安堵と、これからへの緊張が同居していた。
「――行こうか」
誰からともなくそう言って、俺たちはバリケードの内側へと足を踏み入れた。




