第15話
全員が売り場に戻り、数人が棚から商品を取り出しては、手早く箱に詰め始めていた。段ボールの潰れる音と、缶詰やレトルト食品がぶつかり合う音が、静まり返った店内に妙に大きく響く。
その様子を、皆川がぼんやりと眺めていた。
「あれ?」
棚に整然と並んだままの商品と、赤堀たちが一つ一つ手に取っては箱に移していく様子を、交互に見比べる。眉間に、小さな皺が寄っていた。
――棚に乗ってる状態と、箱に詰められた状態。確かに違うようで……でも、何かに支えられて、まとまってるっていう意味では、同じなんじゃ。
そんな考えが、頭の中でぼんやりと像を結んでいく。
「もしかして」
少し迷うような間を置いてから、皆川はゆっくりと口を開いた。指先を、落ち着きなく擦り合わせている。
「――あの、待ってください!」
赤堀が棚の商品を一つ手に取り、収納しようとした、ちょうどその時だった。
「え? 何だよ」
赤堀が、商品を手にしたまま振り返る。
「今、作業を見ていて思ったんですけど……そういう風に箱詰めにしなくても、もしかしたら、もっと効率を上げられるかもしれません」
皆川は、思いついたことを慌てて言葉にするように、早口で続けた。
「箱にまとめた分が1回5MPで済むなら……この棚とか、冷凍庫を一つの箱として扱って、中身ごと収納すれば、もっと効率が上がるはずです」
「それ、試してみる価値があるな」
俺は近くの陳列棚に歩み寄り、その表面に手をかざした。冷たい金属の感触。頭の中で、強く念じてみる。
――収納。
棚が、中身ごと、丸ごと視界から消えた。まるで最初から何もなかったかのように、そこにはただ、床の跡だけが残っている。慌ててインベントリを確認すると、棚に並んでいたはずの商品が、一つ一つきちんと分類されて表示されていた。
「マジで、棚ごと消えた」
思わず声が漏れる。その様子に、周りにいた皆の目の色が、目に見えて変わった。
「皆、優先順位を決めましょう」
紗夜が、皆を見回しながら言った。声には、これまでの浮ついた空気を一瞬で切り替えるだけの、はっきりとした芯があった。
「まずは水、食料、薬、それに衛生用品――日用品の中でも、そのあたりを優先してください」
「待てよ」
その言葉に、細野が何かを思い出したように声を上げた。
「電気がないんだから、ろうそくとかマッチ、カセットコンロも要るんじゃないか」
「確かに」
言われてみればその通りだった。水や食料には皆の意識が向いていたが、明かりと火の確保を、誰も気に留めていなかった。これから夜を迎えることになれば、致命的な見落としになっていたかもしれない。
「それも、優先度高めでお願いします」
紗夜がそう付け加えた、その時だった。
「――あ、それなら、もう一つ」
皆川が、再び声を上げた。
「半分くらいしか埋まってない冷蔵庫があったら、中身を別の冷蔵庫にまとめちゃえば、収納する数自体を減らせますよね。棚も同じで……お客さんのために綺麗に並べる必要、もうないですし。溢れそうなくらいぎゅうぎゅうに詰め込んだ方が、一回あたりの量、増やせるはずです」
「なるほどな」
赤堀が、感心したように頷いた。
「言われてみりゃ、当たり前か。誰のために並べてたんだって話だもんな」
そのひと工夫で、必要な収納回数は、さらに絞り込めそうだった。皆がそれぞれの持ち場へと散っていく。
そこから先は、早かった。各自が手分けして、棚から棚へ、冷凍庫から冷凍庫へと、片っ端から収納していく。時折、「――こっちの棚、もう終わった」「じゃあ、次はあっちを頼む」という短いやり取りが飛び交うだけで、あとは黙々と作業が進んでいった。
気づけば、あれほど商品で埋まっていた売り場が、蛍光灯の光だけを反射する、がらんとした何もない空間に変わり果てていた。がらんどうになった店内を見渡しながら、俺はどこか奇妙な達成感と、同時に一抹の寂しさのようなものを覚えた。
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「――マップで確認した限り、今なら比較的、道が開けてる」
紗夜がそう報告する。円形の画面に浮かぶ赤い点の並びを、皆で覗き込んだ。
「陣形は、決めた通りだ。前は俺と星野さん、左右は高柳さんと本田さん、後ろは細野さん、皆川さん、大宮さん。白鳥さんは遊撃で頼む」
赤堀の確認に、皆が無言で頷いた。
「――あ、そうだ」
俺は、朝のうちに拾って持っていたバットを取り出した。
「星野さん、これ使って」
「いいんですか?」
「前衛だろ。俺より、よっぽど活きる」
紗夜が、少し驚いた様子でそれを受け取る。
「なら、俺のも貸すよ。赤堀さんも、前衛なんだから」
大宮も、自分のバットを差し出した。赤堀はそれを軽く素振りしてみせ、感触を確かめるように頷く。
「あと、外に出たら、声は極力出さないようにしましょう」
紗夜が、皆を見回しながら付け加える。
「連絡は、チャットのグループで。声を出すのは、本当に緊急の時だけにしてください」
その提案に、誰も異を唱えなかった。むしろ、当然のことのように、皆が頷く。誰の顔にも、これから外に出るという緊張が滲んでいる。籠城していたこの数時間が、ひどく遠い過去のことのように感じられた。
ドアノブを回す小さな音とともに、裏口の扉が、静かに開いていく。
裏口から回り込むようにして、正面入口の前を通りかかった時だった。
見覚えのあるものが、地面に転がっているのが目に入った。学生たちが落とした、あの二本の金属バットだった。あの時は距離があった上に、それどころじゃない状況だったから、拾う余裕もなかった。だが、今なら話が違う。
念のため確認すると、この辺りにゾンビの反応はない。俺は足早にそこへ近づき、それを両手に拾い上げた。
黒ずんだ染みが、金属の表面にこびりついている。血だと、すぐに分かった。あの時、目の前で命を落とした生徒たちの姿が、脳裏を掠める。
俺は、ほんの数秒だけ手を合わせた。誰に見せるためでもない、ただの自分への区切りだった。
その様子に気づいたのだろう、周りの反応は分かれていた。本田は油断なく周囲を見回したまま、警戒を解かない。一方で、皆川と大宮は、俺と同じように、そっと目を伏せて手を合わせていた。誰も、それについて何も言わなかった。
一本は自分の分として構え直し、もう一本を本田に差し出す。本田は無言のまま頷き、慣れた手つきでそれを握り直した。
声は、誰も出さなかった。
『――行くぞ』
赤堀が、チャットにそう打ち込む。俺たちは頷き、足音を殺しながら歩き出した。
スーパーの敷地を出た辺りで、俺は改めてその光景に息を呑んだ。乗り捨てられた車の列、割れたガラスが陽光を反射して光る様、あちこちに残る焼け焦げた跡。人の気配のない静けさの中に、それでも肌を刺すような異様な緊張が立ち込めている。空気そのものが、以前とは違う匂いを孕んでいる気がした。屋上や、今朝の戦闘の最中にも似た光景は目にしていたはずなのに、改めて地上から見ると、その異様さは一段と重かった。
対照的に、大宮と白鳥の二人は、思いのほか落ち着いた顔をしていた。ここへ来る道中で、既に似たような光景を目にしてきたのだろう。誰よりも、この惨状に慣れてしまっているのかもしれなかった。
道中は、思いのほか静かだった。
『――前方、右手から一体』
不意に、チャットにそんな文字が浮かんだ。紗夜からだった。マップを確認すると、確かに赤い点が一つ、俺たちの進行方向を横切るように近づいてきている。
赤堀が、無言で顎をしゃくった。すぐそばに停まったままの乗用車を指し示す。誰からともなく、その陰へと身を寄せた。息を潜め、体を縮めながら、フロントガラス越しに外の様子を窺う。
ゾンビの足音が、こちらへ近づいてくる。ずるり、ずるりと、路面を引きずるような重い足音。心臓の音が、やけに大きく聞こえた。
やがて、その足音は、車のすぐ横を通り過ぎていった。誰かと目が合うことも、気づかれることもなく、そのままふらふらと反対側の道へと消えていく。
『――行ったか』
細野が、そう打ち込んだ。皆が、詰めていた息をそっと吐き出す。
赤堀が、車の陰から再び顔を出し、周囲を確かめてから、無言で歩き出す合図をした。俺たちは、また列を整えて進み始める。
似たようなやり取りを、その後も何度か繰り返した。時折、道の先にゾンビの姿を見かけることはあったが、そのたびに物陰に身を潜め、息を殺してやり過ごす。無駄な戦闘は、極力避けた。足音も、話し声も、できる限り抑えながら、一歩一歩、慎重に進んでいく。誰かが小石を踏んで小さな音を立てるだけで、全員の肩がびくりと強張った。
だが、学校に近づくにつれて、その張り詰めた静けさは、徐々に崩れていった。
遠くから、金属同士がぶつかり合うような音、怒声、悲鳴――そういったものが、次第に大きく、はっきりと聞こえてくるようになる。ゾンビの数も、明らかに増えていた。密集する赤い点が、マップの画面を埋め尽くしていく。
「――マサル! しっかりしろ、マサル!」
「くそっ、くそがぁ!」
「何で……何でこんなことに……!」
「死ね! 死ねよ、化け物共が!」
怒号と悲鳴が、幾重にも重なり合いながら風に乗って届いてくる。まだ姿は見えないのに、その声の数だけで、規模の大きさが伝わってきた。
角を曲がったところで、俺たちの視界に飛び込んできたのは、必死にゾンビの進行を食い止めようとしている一団の姿だった。
だが、誰の目にも明らかだった。あれは、押されている。
バリケード代わりに並べられた車の陰から、何とか食い止めようとする人々の姿があった。制服姿の男子学生が、体育館にあったらしい棒高跳びのポールを振り回している。防災用のヘルメットを被った教師らしき男が、消火器を思い切りゾンビの顔面に叩きつけていた。物資を運んできたのだろう、作業服姿の配送業者らしき男が、台車の金属フレームを両手で構え、ゾンビの群れに突っ込んでいく。避難してきたばかりらしい青年は、折れた傘を槍のように突き出しながら、後ずさっていた。バリケードの後方では、何人かが手当たり次第に石やコンクリート片を拾い、少しでも足止めになればと、ゾンビの群れへ向けて投げつけている。狙いも何もあったものではない、めちゃくちゃな乱れ撃ちだった。
誰もが、まともな武器と呼べるものなど持っていなかった。手にしているのは、その場でかき集めただけの、何の変哲もない道具ばかりだ。それでも、皆が必死だった。武器を振るう腕にも、既に疲労の色が濃い。その防衛線は、今にも突破されそうなほど、薄く、脆くなっていた。
その光景に、皆川が大きく息を呑んだ。とっさに口元を両手で覆い、声にならない悲鳴を必死に堪えている。
――ガンッ!
突然、鈍い衝撃音が響いた。乱戦の中から飛んできた石か、コンクリート片か――何かが、俺たちの隠れている車の側面に直撃したのだ。
続けて、ブザーが甲高く鳴り響いた。
そのけたたましい音に、近くにいたゾンビの数体が、ぎこちなく首を巡らせ、一斉にこちらへ顔を向ける。
「――来るぞ!」
赤堀の叫びと同時に、ゾンビの群れが、地面を蹴ってこちらへ向かって殺到してきた。
「私が!」
紗夜が真っ先に前へ躍り出て、バットを構える。赤堀も、大宮から借り受けたバットを握り直し、その隣に並んだ。
二人が、迫るゾンビへと立ち向かっていく。




