第14話
売り場に散らばって早々、最初に異変が起きたのは細野だった。
「よし、どんどん行くぞ」
そう意気込みながら、手当たり次第に商品をインベントリへ収めていく。棚から棚へ、休む間もなく動き続けていた彼の体が、不意にぐらりと傾いだ。
「細野さん?!」
紗夜の悲鳴に近い声が響くのとほぼ同時に、細野はその場に崩れ落ちた。手にしていた缶詰が、乾いた音を立てて床に散らばる。
「気を失ってる……ただ、呼吸はある」
駆け寄った俺は、その顔色と、力なく投げ出された腕を見て、すぐに思い当たった。屋上での一件と、同じ症状だ。
「多分、MP切れだ。皆、収納するたびにどれくらいMPを使ってるか、確認してくれ」
促されて、各々が自分のステータスに視線を落とす。
「本当だ。一回につき、5も減ってる」
赤堀が、自分の画面と見比べながら、驚いたようにそう言った。
「これ、下手すりゃ、まともに物資を運べないんじゃ……」
その一言で、その場に再び不安げな空気が広がっていく。せっかく覚醒したというのに、また新たな壁にぶつかった――そんな沈んだ空気だった。
「――あの」
控えめに口を開いたのは白鳥だった。皆の視線が集まり、少し気後れしたように肩を縮めながらも、彼女は続けた。
「もし消費が回数に依存するなら、例えば、一つの箱に全部まとめて入れて、それをまるごと収納すれば……効率、上がりませんか?」
「それ、試す価値あるな」
俺は近くに転がっていた段ボール箱を拾い上げ、手当たり次第に商品を詰め込んでいく。パンパンに膨らんだ箱を、そのまま丸ごと収納した。
消費は、確かに一回分だけだった。
「――本当に、まとめて入れられるのか」
驚いたのは、それだけではなかった。インベントリの画面を開くと、箱ごと収めたはずの中身が、一つ一つ個別の項目として、きちんと分類されて表示されている。缶詰、パン、水――それぞれの名前と数量が、律儀に並んでいた。
「何だ、これ?ちゃんと中身まで、分けて表示されるのか」
思わずそう漏らすと、紗夜が不思議そうな顔で覗き込んできた。
「それも、高柳さんが能力を考えた時に、決めたことじゃないんですか? どうして、本人が驚いてるんですか?」
「いや」
俺は、言葉に詰まった。
「そこまで細かい設定は、正直、深く考えてなかったんだが……一体、どうなってるんだろうな?」
自分で作ったはずのものが、自分の想定を超えている。その違和感だけが、胸の奥にしこりのように残った。だが、今はそれを深く考えている余裕もなかった。
「それより、細野さんはどうします?」
皆川が、気を失ったままの細野を見下ろしながら尋ねる。心配そうに、彼の傍にしゃがみ込んでいた。
「回復を待つしかないだろうな」
そう答えたところで、皆川が何かに思い至ったように顔を上げた。
「なら、丁度いい機会かもしれません」
俺が首を傾げると、皆川は続けた。
「出発前に、屋上で皆の能力を試してみませんか。細野さんが起きるまでの間、待ってるだけよりは」
「それはいいな」
赤堀がすぐに頷いた。
「細野さんが起きるまで、時間を無駄にする手はない」
屋上へ続く扉を開けると、朝の空気が頬を撫でた。まだ幾分か涼しさの残る、静かな朝だった。
「――うおっ」
真っ先に声を上げたのは赤堀だった。屋上の手すりに手をかけ、片手で軽々とそれを持ち上げてみせる。自分でもその軽さに驚いたのか、目を丸くしていた。
「これ、マジで力が全然違う。しかも……何だ、集中すると、目とか耳だけ、ピンポイントで良くなる気がする」
視力・聴覚・嗅覚――特定の部位だけを強化することもできるらしい。全身を底上げするだけでなく、細かい制御も利くようだった。赤堀は面白がるように、遠くの看板の文字を読み上げてみせたりしていた。
その様子を横目に見ながら、本田がぽつりと呟いた。
「器用なもんだな」
そう言いつつも、本田自身は少し離れた場所に佇み、自分の手のひらをじっと見つめていた。
「本田さんは、どんな感じなんです?」
俺が尋ねると、本田はゆっくりと口を開いた。
「材料と、欠片と、火――その三つが揃わないと、何も作れないってことだけは分かる」
そう言って、本田は小さく肩をすくめた。今この場では、どうしようもない、という顔だった。それでも、その目には、いつか使える時を見据えるような、静かな光があった。
ふと視線を巡らせると、皆川が屋上の隅にしゃがみ込んでいるのが目に入った。売り場の園芸コーナーから持ってきたらしい、培養土の袋を少し開き、そこに手をかざしている。小さな芽が、瞬く間に伸びていく。だが、その成長は数センチほどで、すぐに止まってしまった。
「MPが、そんなに多くないので、一気には育てられないみたいです」
残念そうにそう言いながらも、その顔には、どこか満たされたような色があった。芽を見つめる目が、優しかった。
「毎日、少しずつ、木魔法で育てていけば……いつか、魔素を含んだ植物が作れるかもしれません」
そう呟いてから、彼女はふと懐かしそうな顔をした。
「そういえば、家でも、毎日水やりしてました」
その声は、少しだけ震えていた。もう戻れないかもしれない、あの部屋のことを思い出しているのかもしれなかった。
そんな皆川の様子に気を取られていると、屋上の縁の方から、賑やかな声が聞こえてきた。振り返ると、白鳥と大宮が下のゾンビに向けて攻撃を試しているところだった。
「なぁ、ゲームみたいに、風の刃とか飛ばせないのか?」
大宮がそう促す。声には、どこか無理に明るくしているような響きがあった。
「風の刃、ですか?」
「ほら、鎌鼬みたいなやつ。試しにやってみろよ」
白鳥は少し戸惑いながらも、手すりから身を乗り出すようにして、近くにいた一体へ手をかざした。
――ひゅっ。
風を切る鋭い音と共に、そのゾンビが一瞬で崩れ、後には欠片だけが残った。
「おお!すごいな、それ!」
大宮が拳を握りながら歓声を上げる。だが、白鳥本人は少し複雑な顔をしていた。手のひらを見つめ、小さく息を吐く。
「すごいけど、これ、MP結構持っていかれます。あんまり連発できないかも」
「なら、とっておきにしとけばいい」
大宮がそう言った。
「危なくなったら、迷わずぶっ放す用に」
その大宮自身は、別のゾンビに向けて使役を試みていた。眉間に皺を寄せ、集中しているのが分かる。だが、思うようにはいかないらしい。
「どんな命令、出してるんだ?」
本田が、興味深そうに尋ねる。
「『俺に従え』、みたいな感じです」
「事務所で聞いた話だと、お前の力が発動したのは『ついてこい』って強く思った時だったよな。それに近い、もっと単純な命令を試したらどうだ」
大宮は頷き、一体のゾンビに狙いを定めた。目を閉じ、意識を集中させる。
――ここから、出ていけ。
強く念じると、そのゾンビが、ふらふらとその場を離れ始めた。
「本当に、できた」
驚きの声を上げるのと同時に、大宮の顔には、目に見えて疲労の色が浮かんでいた。
「何か、すごい抵抗というか、拒絶されてる感じがしました。前に、無意識にやった時とは、全然違う手応えです。そのせいか、MPの減りも尋常じゃないです」
肩で息をしながら、そう漏らす。
俺はといえば、白鳥が仕留めたゾンビの落とした欠片を、収納しようと試みていた。だが――何度念じても、反応がなかった。
「あれ、駄目だ。何でだ……あ、もしかして、距離が関係あるのか?」
見えてはいても、遠すぎるものは収納できないらしい。新たな制約が、また一つ判明した。前線に立てない自分にとって、これは地味に痛い発見だった。
そんな俺のぼやきを聞いていたのか、少し離れた場所から紗夜が歩み寄ってきた。
「私も、色々分かったことがあります。マップは、一度開けば、それ以上MPを消費しません。チャットも、皆で試した感じ、同じみたいです。マーケットだけは、まだ試しようがないですけど」
「そんなに色々試して、大丈夫なのか?」
「はい。私、どうやらMPがかなり多いみたいなので」
紗夜は、そう言ってから、自分の感覚を確かめるように続けた。
「私にできるのは、多分、空間を歪めて切る攻撃と、空間を隔絶する結界のようなもの、だと思います。どちらもMPを使いますし、結界の方は、動くと解除されるみたいです」
俺は、皆から得た情報を頭の中で整理した。
「マップとチャットは、常に開いておいた方がいいな。一度開けば追加でMPを食わないなら、閉じる理由がない」
その提案に、皆が頷いた。
『――おい、皆、屋上か? 目、覚めた』
不意に、チャットにそんな文字が浮かんだ。
「細野さんだ」
紗夜がそう言うのとほぼ同時に、非常階段を上ってくる足音が近づいてくる。やがて扉が押し開けられ、細野本人が姿を現した。
「大丈夫か?」
俺が尋ねると、細野は軽く自分の肩を回してみせた。
「平気だ」
そう答えながら、辺りを見回す。赤堀が手すりを持ち上げ、皆川が土いじりをしている光景に、細野は軽く眉を上げた。
「俺が寝てる間に、随分と賑やかになってたんだな」
「まあ、色々な」
俺が苦笑気味にそう返すと、細野はふと思い出したように、自分のステータスに目を落とした。
「お、今度はMPの最大値、72から80に伸びてる」
「お前な、また倒れるとこだったんだぞ」
赤堀が、呆れたようにそう言う。
「無茶するのも、大概にしとけよ」
「分かってるって」
細野は肩をすくめて笑った。悪びれる様子もない、いつもの調子だった。
そのまま、細野も皆の輪に加わり、それぞれが分かったことを一つずつ確認し合っていった。
皆の能力確認が一段落する頃には、時刻は九時を回っていた。太陽は既に高く昇り、屋上を照りつけ始めている。
「腹、減ったな」
赤堀が、腹をさすりながらそう漏らす。無理もなかった。朝五時から動き通しで、誰も何も口にしていない。
「先に、何か食べましょう」
紗夜の提案で、皆は一旦、食事を取ることにした。売り場から弁当とパンを見繕い、事務所の隅に車座になって座る。
「――あれ?」
食べながら、大宮がふと自分のステータスに目をやった。
「MPの回復、心なしか早くなってません?」
言われてみれば、確かにそうだった。パンを頬張りながら、皆がそれぞれの数値を見比べる。
「なら、食べ終わったら、また収納を再開するか。午後には出発できるかもな」
赤堀がそう言った、その時だった。
――ドォンッ。
離れた場所から、腹の底に響くような爆発音が届いた。反射的に、皆の箸が止まる。窓の外を見やると、大きな煙が立ち上っているのが見えた。
それだけではなかった。爆発から少し遅れて、車のクラクションやアラームがけたたましく鳴り響き始めた。この距離からでも、はっきりと聞き取れるほどの音量だった。
「――ね、あれ、学校の方じゃない?」
白鳥が、箸を持ったまま、不安げにそう漏らす。
「どうだろう。ちょっと遠くて、分からない」
大宮が、眉根を寄せながら答えた。声には、認めたくない、という響きが滲んでいた。
「方角自体は、そうかもしれないけど……何とも言えない」
だが、それよりも重要な変化があった。マップを開いていた者たちが、ほぼ同時にそれに気づく。
スーパーの前に居座っていたゾンビの群れが、少しずつ、その場を離れ始めていた。
何が起きたのかは、誰にも分からなかった。だが、今この瞬間が、店を出る最大の好機であることだけは、確かだった。
「皆、動くぞ」
俺は、箸を置き、そう声を張った。
「収納を再開する。優先順位の高いものから、急いでだ。このチャンスで、ここを出る」
誰も、それに異を唱えなかった。それぞれが食べかけの手を止め、一斉に腰を上げる。




