第8話 散乱
◆ 田中誠
CQ_Ebisu77氏から、一週間ぶりにメッセージが来たのは、木曜の深夜だった。
——田中さん、一つ聞いていいですか。
誠は画面を見た。時刻は零時を過ぎていた。
——どうぞ。
——その信号を最初に見つけたとき、何かを感じましたか。数字じゃなくて。
誠はしばらく考えた。
正直に答えた。
——感じました。向こうに誰かがいると思いました。
間があった。
——そうですか。
それだけで、会話は終わった。
誠はスマートフォンを置いて、天井を見た。
何かを感じましたか、という問いの意味を、誠はうまく測れなかった。技術的な話ではない。そのことだけは、わかった。
翌金曜の昼、誠は久しぶりに外でランチを取った。
川本さんに教えてもらった、会社近くのサンドイッチ屋だった。
列に並びながら、スマートフォンを見ると、川本さんからメッセージが来ていた。
——今日のランチ、どうでした?
昨夜、誠が「明日あそこに行ってみます」と送っていた。
——今並んでます。
——でしょ、並ぶ価値ありますよ。ところで田中さん、今週末どうですか。また恵比寿。
誠は列を一歩進みながら、返信を打った。
——予定はないです。
——じゃあ土曜の昼。私の行きつけのカフェ、一階が可愛くて。
誠は少し止まった。
一階、という言葉が、どこかに引っかかった。
理由を確かめる前に
——わかりました。
と送った。
土曜の朝、誠は久しぶりに受信データを開いた。
一号機の基板が交換されてから、あのパターンは消えていた。代わりに、別の波形が記録されていた。規則的だが、以前よりも単純な波形。機械だけが作る音だった。
誠はしばらく、それを眺めた。
以前の波形のほうが、複雑だった。複数のものが重なっていたから、複雑だった。
今は、一つだけが鳴っている。
誠はファイルを閉じた。
押し入れからSDRドングルを取り出して、また片付けた。特に理由はなかった。ただ、そうした。
昼、恵比寿に向かう電車の中で、誠はあの論文のことを考えていた。
カナダの研究チームが記録したケース。機器と操作者のリズムが一致して、通常では生まれないパターンが現れた、という話。
その論文の最後に、一文あった。
当時は読み流していた一文が、今朝から頭の中に残っていた。
Once the device was repaired, the phenomenon was not observed again.
(機器が修理されると、その現象は二度と観測されなかった)
電車が恵比寿に着いた。
川本さんは、駅の改札前で待っていた。
「久しぶりですね、といっても先週ぶりですが」と川本さんは言った。
「そうですね」
「今日は一階のカフェ、空いてるといいんですが」
歩きながら、誠は川本さんの話を聞いていた。職場の話、先週末に観た映画の話。誠は相槌を打ちながら、少し前を歩く川本さんの横顔を、時々見た。
よく話す人だと思った。それが不快ではないと気づいて、誠は少し驚いた。
「ここです」と川本さんが足を止めた。
白い外壁の、三階建てのビルだった。
一階にカフェの看板。
誠は建物を見上げた。
「どうしました?」川本さんが言った。
「いえ」と誠は答えた。「知ってる建物だと思って」
「え、そうなんですか。田中さん恵比寿来たことあるんですか」
「一度だけ」
二人は一階のカフェに入った。
誠は窓際の席に座りながら、天井を見た。
三階の床が、自分の頭の上にある。
◆ 橘あかり
その土曜の午後、あかりは施術の合間に、一階のカフェが混んでいるのを窓から見た。
「今日、一階賑わってますね」と松田が言った。
「土曜だから」
「あかりさん、今日終わったあと予定あります?」
「ない」
「じゃあ一緒にご飯でも」
「いいよ」とあかりは言った。「たまには」
松田は嬉しそうな顔をして、施術室に戻っていった。
あかりは次の予約のカルテを開いた。
新規の客だった。二十代、初来店。担当は橘あかり、と書いてあった。
施術が終わり、着替えて外に出ると、もう夜になっていた。
松田と並んで歩きながら、あかりは空を見た。
雲があって、星は見えなかった。
「あかりさんって」と松田が言った。「最近、なんか変わりました?」
「変わってないと思う」
「なんか、少し、柔らかくなったというか」
あかりは少し考えた。「そう見える?」
「なんとなく」
あかりはそれ以上答えなかった。
二人は駅に向かって歩いた。
あかりは今日、一階のカフェに寄ろうと思っていたことを、思い出した。閉店前に少しだけ、コーヒーを一杯。でも松田がいたから、そのまま通り過ぎた。
ビルの前を通るとき、一階の灯りはまだついていた。
閉店間際の、温かい光だった。
複雑で読む者を驚かせるハイクオリティの小説はAI生成されたものでは書けないのではないか。
たしかに時間はかかってないので効率的ではあるが、限界を感じるし不自然な箇所や伏線の隠蔽がやたら難しいと思う。




