第53話 「新入部員(しんじん)さん、いらっしゃーい!」
新潟中央女子学園の春は、少しだけ海の匂いがする。
入学式を終えたばかりの校舎には、まだ余白がある。
誰もがこれから、自分の場所を書き込んでいく時間だ。
島見桜は、その余白の中を歩いていた。
(……ここ、だよね)
廊下の奥。
扉の前に貼られた紙を見上げる。
『はむぶ』
ひらがなで、やや右下がり。
(姉さん……ほんとにここ……?)
長野にいる姉――島見杏果の言葉を思い出す。
「いいとこだよ」
それを信じて、ノック。
ガラッ。
部室は、静かだった。
窓からの風がカーテンを揺らし、机の上には整然とした無線機。
それぞれが、思い思いに過ごしている。
(……ちゃんとしてる)
少しだけ安心した、そのとき。
「いらっしゃい!」
元気な声。
振り向くと、満面の笑みの先輩。
「見学?入部?それともハム?」
「え?」
「ハム!」
この人が部長だった。
寺尾華。(お飾り)
「えっと……見学で」
「じゃあ座って!ハムないけど!」
「だから違うって」
横から、落ち着いたツッコミ。
西蒲真宵だった。
「紅茶、いかがですか?」
柔らかな声とともに差し出されるカップ。
月潟澄香。
テーブルには、異様に充実したお菓子。
(……すごい)
「無線、やってるの?」
真宵が聞く。
「はい。小学校のときから」
「へえ、早いね」
「姉の影響で」
「なるほど」
それ以上は聞かない。
距離感がちょうどいい。
(いい部活だな)
そう思えた。
「入る?」
自然に言われる。
「……はい。お願いします」
「やったー!」
華が飛び跳ねる。
「これでハムが――」
「増えない」
「増えないかー」
(増えないんだ)
入部届が差し出される。
名前。
学年。
志望理由。
“無線が好きだから”
迷わず書く。
「で、あとこれね」
真宵がもう一枚の紙を出す。
「選解任届。局の運用するなら必要だから」
「あ、はい」
桜は頷いて――
固まった。
「あの」
「ん?」
「……従事者免許証、家に忘れました」
沈黙。
「え」
華が止まる。
「免許証って……あのカードの?」
「はい……」
「じゃあ今――」
「運用、できないね」
真宵があっさり言う。
「規則的にアウト」
「アウトかー」
華が残念そうに言う。
「じゃあ今日はハムだね!」
「ならない」
桜は少しだけ肩を落とした。
(せっかくなのに……)
ガラッ。
「お、いいタイミング」
軽い声が、空気を横から変える。
「あ」
真宵が小さく言う。
「来た」
入ってきたのは、制服ではない人物。
ラフな服装。
でも、この部室に妙に馴染んでいる。
白根彩鼓。
元部長で、現在は短期大学部のOG。
「新しい子?」
「あ、はい。島見桜です」
「へえ」
自然に近づく。
距離の詰め方がうまい。
「それ、入部届?」
ひょいと取る。
「ちょっ、あやこ先輩それ部長の仕事ー!」
「いいじゃん部長」
「お飾りでも仕事はあるのー!」
聞いていない。
視線が流れる。
名前。
学年。
そして――姓。
「……」
一瞬だけ止まる。
だが、すぐ戻る。
「無線、好きなんだ?」
「はい」
「どんなのやってたの?」
「VHF帯とか、コンテストも少し」
「ふーん」
(島見……ね)
心の中でだけ転がす。
(たぶん当たり)
「で、運用は?」
さらっと聞く。
「免許証忘れて、今日はできなくて……」
「あー」
少しだけ、楽しそうに頷く。
「それは残念」
本当に残念そうには見えない。
「じゃあさ」
入部届を机に戻す。
「今日はやめとこ」
「え?」
「交信」
あっさりと言う。
「代わりに」
少しだけ身を乗り出す。
「話、しよっか」
「……話?」
「うん」
にこっと笑う。
「どんな運用してたか」
真宵が横で小さく息を吐く。
(そっちで来たか)
華はよく分かっていない顔で言う。
「運用ってなに?」
「そこからかー……」
その中心で。
島見桜は、少しだけ背筋を伸ばした。
無線はできない。
でも――
(話なら、できる)
白根彩鼓は、静かに観察している。
言葉の選び方。
間の取り方。
用語の使い方。
(やっぱり)
ほぼ確信する。
(あの人の系統だ)
「じゃあさ、桜ちゃん」
「はい」
「一番最初に覚えたコール、何?」
その問いが、
ただの雑談ではないことに気づくのは――
もう少し先の話だった。




