第7話 勇者鈴木と橋本(本名)
朝から宿がやけに騒がしいと思ったら、街の門番たちが慌ただしく街道を封鎖していた。
「通行止めだ! 郊外で魔物の大群が暴れてる! 迂回してくれ!」
「はぁ? 迂回? どんだけ遠回りさせられるんだ」
俺は思わず舌打ちした。次の街に向かう道が、よりによって唯一の街道らしい。面倒なことにはできるだけ関わりたくないが、道が塞がっているとなれば話は別だ。
「仕方ない、様子だけ見に行くか。倒すためじゃない、道を空けさせるためだ」
「あら、フェングラン様。そういうの、世間では『首を突っ込む』って言うんですよ」
「うるさいな」
現場に着くと、そこは地獄絵図だった。
畑という畑が焼け、用水路がひび割れ、あちこちに魔物の死骸が転がっている。そして、その中心で一人の青年が、血と泥にまみれた鎧で魔物の群れに斬りかかっていた。
「はぁっ……はぁっ……まだ、だ……!」
見覚えのある顔だった。というか、忘れかけていた顔だった。
「あれ……鈴木?」
召喚された時、同じ部屋にいた四人のうちの一人。真面目そうな青年だったことだけは覚えている。
「戦わなきゃ……勇者、だから……皆を、守らなきゃ……!」
鈴木の剣から放たれた斬撃が、魔物ごと近くの水路を消し飛ばした。制御を失った力が、周囲を巻き込みながら暴れている。
「うわ、下手くそ。あの子、出力の絞り方、まったく分かってないわね」
エレンが呆れたように呟く。他人事のような口ぶりだが、その視線は真剣だった。
「フェングラン様、このままだと村ごと更地になりますよ。わたくしたちの晩御飯の食材も含めて」
「それは困る」
食材、という単語に俺の腰が軽くなった。理由は不純だが、動く理由としては十分だった。
「エレン、被害を抑えるのを手伝ってくれ。倒すんじゃない、これ以上壊させないためだ」
「はいはい、分かってるわよ。……『局地的重力場』」
エレンの魔法が、暴れる魔物たちの動きを一斉に鈍らせる。巻き添えで、鈴木自身の動きも急に重くなった。
「な……!? 体が……!」
魔法行使の反動で、エレンの角を隠す幻影がわずかに乱れ、頭の角がちらりと覗いていた。
おまけに、隣に立つセレナの顔には見覚えがあった。召喚の儀式の日、壇上でずっと祈りを捧げていた、あの聖女だ。忘れるはずがない。
「魔王……! お前が、魔王か……!」
鈍った体を無理やり引きずるようにして、鈴木が最後の力を振り絞り剣を構え直す。血走った目に、初めて「勇者」らしい闘志が宿っていた。
「エレン、危な——」
言い終わる前に、鈴木は突っ込んでいた。
エレンは眉一つ動かさず、指先を軽く振る。
それだけで、鈴木の体がふわりと宙に浮き、そのまま力なく地面に落ちた。攻撃らしい攻撃は、何もされていない。ただ、突進の勢いだけが行き場を失って消えたようだった。
「な……、なんで……」
「あんた、今のあたしに勝てるつもりだったの? その状態で」
エレンの声に嘲りはなかった。むしろ、どこか気の毒そうですらあった。
セレナの光が鈴木の体に絡みつき、そのまま地面に縫い留める。
「静かにしていてくださいね。じっとしていないと痛いですよ」
荒い息のまま倒れ伏していた鈴木が、俺たちを見上げた。目が合った瞬間、その顔が驚愕から怒りに変わっていくのが分かった。
「……橋本? お前、橋本だよな……!?」
「あー……久しぶり、鈴木」
気まずさを誤魔化すように片手を挙げてみせる。だが、鈴木の目つきは笑えないほど据わっていた。
「久しぶり、じゃねえよ! お前が三日でバックレたせいで、こっちがどれだけ大変だったと思ってるんだ……! 神殿の連中、『抜けた分は残り三人でちゃんと稼げ』とか言い出して、討伐のノルマが跳ね上がったんだぞ……!」
初耳だった。俺が消えた分のしわ寄せが、まさか他の誰かに行っていたとは考えたこともなかった。
「……それは、まあ、悪かったな」
軽く言いすぎたと自覚しつつも、他に言葉が見つからない。
「悪かったな、で済むかよ……! ってか、それより……」
鈴木が、俺の後ろに立つエレンとセレナに視線を移す。
「なんで、魔王が、お前と一緒にいるんだよ……。聖女はまだしも、魔王って、意味わかんねえよ……」
思わず鈴木の口を両手で塞ぎたくなった。せっかく「フェングラン」で通してるのに、こんなところで本名をバラされてたまるか。
「……いま『橋本』って聞こえたんですけど」
エレンとセレナが揃ってジト目を向けてくる。
「い、いやぁ……気のせいじゃないですかね?」
一度これで乗り切った実績がある台詞だ。今回も通用してほしい。
「フェングラン様、目が泳いでいますよ」
セレナには通用しなかったらしい。
鈴木の目に、明らかな混乱が浮かんでいる。彼の中では「魔王は敵」「聖女は味方」という単純な図式が、怒りと一緒に音を立てて崩れていくのが見えるようだった。
「別に、助けたわけじゃない。晩飯の食材が心配だっただけだ」
「は……?」
「それより聞くけど。ノルマのために無理してるのは分かった。だが、それにしたって一人でここまでやることないだろ。田中や佐藤は、手伝ってくれないのか?」
鈴木が言葉に詰まる。
「……あいつらとは、はぐれてから会ってない。多分、それぞれ好き勝手やってるんだと思う」
「なら尚更、お前一人で背負い込む理由がないだろ」
「頼れるわけないだろ……! あいつらが今どこで何してるかも、俺は知らないんだよ……! だったら、俺がちゃんとやらなきゃ、皆が困るんだよ……! 勇者に選ばれたんだから、ちゃんとやらなきゃ……それが、当然だろ……!」
「誰が『当然』だなんて決めたんだ。神殿か? それとも、お前が勝手にそう思い込んでるだけか?」
沈黙が落ちた。鈴木の肩から力が抜けていく。今まで張り詰めていた何かが、糸が切れるように緩んでいくのが分かった。
「……分かんない。ただ、勇者に選ばれたんだから、ちゃんとやらなきゃって、それだけで……」
「別にお前の代わりに誰かが決めてくれるわけじゃないだろ、この先どう生きるかなんて」
我ながら偉そうなことを言っている自覚はある。三日でバックレた男の台詞じゃない。
セレナが拘束を解くと、鈴木はしばらく地面に座り込んだまま、焼け跡と壊れた水路をぼんやり眺めていた。
「……少し、自分のペースってやつを、考えてみる」
そう言って、鈴木はふらふらと立ち上がり、荷物をまとめて街とは逆方向へ歩き出した。何かを吹っ切ったような、それでいてまだ迷っているような、そんな背中だった。
「フェングラン様、あの子、大丈夫でしょうか?」
「知らん。自分で決めることだろ」
冷たいようだが、それが一番いい距離感な気がした。
「それより、晩飯どうする。畑、けっこう焼けたぞ」
「隣街まで我慢ね。フェングランのせいで水路も壊れたし」
「俺のせいかよ!」
焼け野原になった畑を横目に、俺たちは何事もなかったかのように街道を歩き出した。
その後ろ姿を、遠くの茂みから息を潜めて見ていた者がいたことに、俺たちはまだ気づいていなかった。




