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それからの日々の話をしよう(R15版)  作者: 鈴乃


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9/12

 やれやれ、大変な一日だったぜ。


 俺は家のカギを開けた。ランチどころかディナーも終わる時間だ。真っ暗な部屋の手元を照らそうとして、スマホの通知に気が付いた。

 マシューからメッセージが届いていた。


今朝(けさ)は何も言わずに帰ってごめん』

『兄さんに「食欲がないならプロテインはどうだ」って言われて取りに帰ったんだ』

『とりあえず3種類までしぼれたよ』


 俺は電気をつけた。

 メッセージの下に写真が添付(てんぷ)されていた。


「っ、はは」


 俺は吹きだした。

 テーブルの上にプロテインらしき袋が何種類か置いてある。床に見切(みき)れてるのは別の大袋か。多くないか?


『すごいな』

『お言葉に甘えて1、2食分もらうよ』

『良さそうなら自分でも買ってみる』


 俺は送信を押してスマホを伏せた。

 さて、夕食にするか。


 俺は手を洗ってキッチンに立った。

 ひとまず簡単で手早(てばや)くできるものがいい。ケイティの話に出た野菜スープでも作るか。


 俺は当時のレシピを思い出しつつフードプロセッサーを出した。

 レシピというほど大層なものじゃない。家にある野菜を順序良く細かくして味をととのえるだけだ。


 とはいえ、たまねぎを切りもせずフードプロセッサーにぶちこむわけにはいかない。

 俺はペティナイフを取ろうとして、少し考えて、隣のシェフズナイフを握った。

 手になじんだ柄の感触がしっくりくる。だが脳は久しぶりの重みにぎょっとしたようだった。何て名前だったかな、扁桃体(へんとうたい)


 俺は苦笑した。

 一度包丁を置いて深呼吸し、軽く腕を振る。


 ――――たまねぎひとつだ。そう(りき)むなよ。

 ――――()にもの(ぐる)いで握りしめなくても、ちゃんと俺の手の中にある。


 俺はみじん切りにした野菜の小山(こやま)を鍋に入れた。

 湯気を眺めながら、ちょうどよく煮詰まってきたスープを味見する。


「……もう一品欲しいな」


 俺は冷蔵庫の中身を思い返しつつ壁のエプロンをとった。


 前菜(ぜんさい)は終わりだ。メインディッシュにかかろう。



 洗い物を済ませたころにスマホの存在を思い出した。

 俺はスマホを見た。

 マシューからメッセージの返事が来ていた。


『遠慮しなくていいのに』

『でもわかった。兄さんにも伝えておくよ』


 まだ続きがあった。俺は画面をスクロールした。

 何度か送信取り消しの跡があって、

『また連絡するね。おやすみ』

 とだけあった。送信時刻は2分前だ。


 俺は少し考えて、通話アイコンをタップした。


『っ、ライアン?』


 3回目の呼び出し音が終わる前につながった。


「マシュー、今いいか? 用はないんだ。きみの声が聞きたくて」

『……僕もそう思ってたんだ』


 俺は自然と目を細めていた。

 電話の向こうの空気もゆるんだような気がした。


「写真見たよ。すごいコレクションだな」

『いいよ、倉庫って言って。きみに渡してから出勤するつもりだったけど、思ったより数が多くて』

「ははっ」


 マシューがつられるように苦笑した。


『……今日は大変だったね』

「まったくだ。あそこできみに会うとは思わなかった」


 俺はソファにもたれなおした。


「いや、前に話してくれたよな。職場が変わったって話は覚えてたんだが、今日の場所とはつながらなかった」

『無理ないよ。駅からも離れてるし、用がなければわざわざ行かないエリアだと思う』


 マシューが電話口で一息ついた。


『僕が介護士(かいごし)だって、話してなかったよね』

「ああ」


 立派な仕事じゃないか。

 俺は思った。が、マシューの言葉を待った。


『隠してたつもりはないんだ。ただ……なんて言えばいいかな』


 俺はあいづちを打った。ちゃんと聞いているぜ、という意思表示だ。


『きみに「患者扱いするな」って拒絶(きょぜつ)されるのがこわかったんだ。……もし介護士だって言ったら、僕が何をしてもケアの一環だと思われるんじゃないかって」


 マシューは困ったように笑った。自嘲(じちょう)にも聞こえた。


『仕事は好きだよ。でも公私混同(こうしこんどう)はちょっとね』

「ああ」


 だろうな。


 俺はケイティと居合わせたときのマシューの態度を思い出した。もしあの場で俺たちが知り合いだと明かしていたら、警察もケイティも無視はできなかっただろう。


 マシューが息をつく。


『僕は、きみの恋人で』

「うん」

『一緒にいるのも、大切にしたいのも僕の意思で』

「ああ」

『……あまり言いたくないけど、きみと親密になりたいって下心もあるから』

「わかるよ」


 俺は本心から言った。痛いほど身に覚えがあった。


「なあマシュー。職場なら大問題だが、俺個人はきみの下心は歓迎(かんげい)なんだぜ?」

『あっ、やっぱり昨日は誘ってたんだね!? やつれてるきみに手を出せるわけないだろ!』


 マシューは冗談めかして怒った。

 俺は心から愛しいと思った。

 この声の持ち主が目の前にいたらいいのにな。そうしたら今すぐ抱きしめてキスするのに。


「次の週末出かけないか? きみに会いたい」

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