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それからの日々の話をしよう(R15版)  作者: 鈴乃


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 かくして週末の午後、俺とマシューは近くの美術館に来ていた。


 目当(めあ)てはある絵本作家の特別展だ。

 名前は知らないけど子供のころに一度は読んだ、そういう作家だ。


 美術館もそういうコンセプトで宣伝してるらしく、展示室には何組もの親子連れや恋人たちの姿があった。

 ルーヴルほどじゃないがそれなりの盛況(せいきょう)だ。


 後年は画家としても活動してたそうで、長い通路にビビッドなキャンバスがずらりと並んでいた。

 唯一の誤算(ごさん)はそれが全部抽象画(ちゅうしょうが)だったことだ。


「このうずまき何に見える?」

「カタツムリかな。キャンディーにも似てるね」


 なんて会話をしながら、俺とマシューは展示室を出た。


「――――ああ楽しかった。いろいろあったね」


 マシューが椅子に腰かけて一息ついた。

 時刻は夕方5時を少し過ぎたころだ。


 展示を見終わってまっすぐ帰る人もいれば、併設(へいせつ)されたカフェでもう少し美術館の雰囲気を楽しむ人もいる。

 今日の俺たちは後者だ。


「芸術的だったな。正直半分くらいはよくわからなかった」

「それは僕も」


 俺はメニューを開いた。


「何か食べるか?」


 マシューは首を横に振った。


「お昼は済ませてきたんだ」

「そうか」


 スパイスティーとホットアップルサイダーがテーブルに置かれた。

 飲むのをためらうほど熱いはずはない。が、俺はカップで指を温めながらマシューを見た。


「この前は大変だったな。警察に何か言われなかったか?」

「全然。戻ってからはうちの上司と話してたよ。出入口のセンサーが無反応だったから、近々チェックするって。僕は裏庭のフェンスが怪しいと思うな」

「ああ、子供にはいいアスレチックだな」


 俺はちらっと向かいの壁を見た。真珠の耳飾りの少女がこっちを見ていた。照れるだろ、あっち向いてな。


「あー……ケイティ・ベイカーさんのことだが」

「うん」

「大学時代の恋人で、いろいろあって在学中に別れた」


 『いろいろ』の部分はケイティのプライバシーだ。俺が話すべきはそこじゃない。


「この前会ったのは本当に偶然で、住所も連絡先も知らない。母親になってたことも初めて知った。……別れたのは何年も前だが、やっとさよならが言えて良かったと思ってる」


 俺は言葉を切ってマシューに視線を戻した。

 マシューは一言、


「知ってるよ」


と言った。


 俺は言葉を失った。

 マシューは困ったようにくすっと笑った。


「プライベートなことは知らなかったよ。話してくれてありがとう。ただ、きみが今彼女となにかあるわけじゃないのは、なんとなくわかってたんだ」


 俺は手品を見せられた気分でマシューの顔を眺めた。

 わざわざ話してよかったんだろうか、いや、実際話してよかったんだろう。


 マシューは俺の手に手を重ねた。

 その指先がかすかに冷えていた。


 俺はマシューの手を握り返した。


「僕、彼女のお母さんの担当なんだ。仕事上の情報だから言えないけど、きみと彼女の今を疑うのはちょっと……論理的じゃないなって」


 マシューは苦笑した。

 俺は両手を上げて降参(こうさん)のポーズをした。


「まいった。俺より彼女に詳しいな」

「書類にあることだけだよ」


 マシューは肩をすくめた。片手をカップに触れさせながら、()(けっ)したように唇を閉じる。


「……やきもちついでに一つ聞いていいかな」

「いくつでもいいぜ、なんだ?」


 マシューはスマホを出した。

 アプリのスクリーンショットだろう。どこかの厨房らしき床と、二人分の手が写った写真だ。

 なんの加工も個人情報もなさそうな写真だが、俺には見覚えがあった。


「ああ、この写真……」


 俺は言いかけて口を閉じた。

 マシューはハムスターもかくやの表情でむくれていた。


「この人誰!」

「職場の後輩だよ。まだティーンなんだ」


 俺はマシューの勢いに押されつつ言った。


「僕だって数年前までそうだったよ!」

「今は大人だろ?」


 俺は目の前のハムスターのほっぺをつついた。

 マシューは肩とほっぺの力を抜いた。


 俺はにやけそうになるのを我慢できなかった。

 そりゃそうだ。マシューには写真の相手の年なんてわからない。俺と写真を撮った誰かさんを警戒するのは当然だ。

 実際にはその子はティーンだから、俺がそっちに行く可能性なんてゼロなのにな。


 ああクソ、かわいい。にやけるなよ、格好つかないぜ。


「よく手だけでわかったな」

「わかるよ。きみだもの」


 マシューは俺の小指側の手の甲を撫でた。

 写真の手は同じ位置に傷がある。とはいってもほとんど治りかけていて、角度的にも見えづらい。

 今の俺の手はほとんど新しい皮膚(ひふ)になっているから、鮮明(せんめい)な指の感触がくすぐったかった。


 ああ、テーブルの距離がもどかしいな。


 店員が隣の席を片づけに来るのが見えて、俺たちはそれとなく手をほどいた。手に残る体温が名残惜(なごりお)しかった。


 俺は空いた手で頬杖(ほおづえ)をついて、唇で指の甲に触れた。

 マシューが熱っぽくそれを見ていた。


「出ようか。……夕飯(ゆうはん)食べていくだろ」

「うん」



 帰り道は二人とも無言だった。日が落ちて風も冷たくなってきたのに、じわりと頬が熱い。


 急ぎ足の数人が俺たちの横を通り過ぎた。

 俺とマシューは道のはしへよけた。コートごしの腕が触れた。


 俺はコートの陰でマシューの手を握った。

 薄暗い上にこの寒さだ、みんなちぢこまって前を見てる。見えたとしてもまあな、ありふれた光景だ。


 マシューがぎゅっと俺の手を握り返した。


 手袋ごしだから互いの体温なんてわからない。だからこそ布の向こうの、さっきまで触れてた指をありありと想像できてしまった。


 俺は早く家に帰らなきゃなと思った。

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