ep.05 自衛隊
* * *
【同日 午前10時30分 海上自衛隊下総航空基地 司令部作戦室】
「各基地、駐屯地との回線は繋がったか?」
海将の階級章をつけた教育航空集団司令官が、通信卓に並ぶ隊員たちを見渡した。
「はっ! 各地が通信できる状態になっております」
「各基地・駐屯地、秘匿会議回線へ移行。各局、暗号同期を確認せよ。既定の識別コードを使用」
下総航空基地の司令部作戦室において、通信員が接続先に伝達する。
〔峯岡山、移行完了〕
〔木更津駐屯地、同じく完了〕
〔館山、同期完了〕
〔習志野、移行完了〕
〔松戸、同期に少し時間を要します〕
続々と各基地、駐屯地から返答が入る。松戸だけ少しかかったが、これで用意は整った。
〔松戸、移行完了しました〕
「よし、では始めよう」
海将が会議の始まりを告げる。
「現在までに判明した事項は、一〇一五に各部隊へ共有済みだ」
10時15分に各地へ送られた情報は、
1.通信
国・県外の上級部隊との交信不可。
2.電波・レーダー
通常なら観測される航空機、既知の衛星信号、県外施設の電波はいずれも確認されなかった。
3.目視・航空偵察
東京湾対岸、県境、海岸線の先に既知の地形を確認できなかった。
「現時点の作業仮説として、千葉県域が日本列島から分離し、別の場所へ移動したものと判断する」
回線の一つから声が上がった。
〔司令官、その判断の根拠を確認させてください〕
「一〇一五の情報の通りだ。通常の通信は市ヶ谷にも関東周辺のいずれの司令部にも接続できない。また、航空偵察によるレーダー探査と目視確認により、元の地図とは異なる地形を確認した」
〔元の地形とは異なるとはどういう意味ですか?〕
「言葉の通りだ。海はある。だが、東京湾の反対側に見えるはずの陸地には東京も神奈川もない。荒野と森のようなエリアだけだ」
実際、ヘリから見えた景色は日本のそれとは異なっていた。
隊員たちの報告にも戸惑いと不安が出ていたが、報告書に記された内容は、通常なら機器の故障か、観測者の錯誤を疑うようなものだった。
「現時点で確認できた江戸川、利根川の主要橋梁は、いずれも途中で途切れていた。切断面は不自然なほど平滑で、自然崩落や爆破によるものとは考えにくい。一部は自重に耐えられず崩落している」
〔平滑? テロによる破壊工作ですか?〕
「その可能性は低い。爆発や火災の痕跡は確認されていない」
橋の情報を知らない各地から、ため息とも、息をのむ声ともつかない反応が漏れた。
「現状、断定できることは少ない。また可能性を追えば色々と見えてくるかも知れないが、今言えるのは一つ。千葉県はどこかへ移動した」
〔そんなことがあり得ますか?〕
比較的若い陸将補が問いかける。
〔司令官。複数の通信障害と地形異常を、ただちに同一事象と判断するのは早計ではありませんか?〕
別の回線から、先ほどより落ち着いた声が割り込んだ。
「その指摘は正しい。だから断定ではなく作業仮説と言った。だが、機器故障や通信障害だけを前提に動く方が、現状では危険だ」
〔では、今流行りの異世界転移だとでも?〕
陸将補の声には、抑えきれない動揺がにじんでいた。
「呼び方はどうでもいい。我々が日本から切り離され、外部支援を受けられない可能性が高い。それだけで行動する理由には足りる」
〔移動してきたなら、元に戻る可能性もあるのでは?〕
「そうだな、だが、いつ戻れるか誰にもわからん。いつここへ来たのか誰にもわからないように」
〔六百万人いるんですよ? どうやって県民を何から守れと?〕
司令官にもわかっていた。
本当に千葉県だけで生き抜かなければならないのなら、県民すべてを守り切るのは極めて難しい。
それでも守るしかない。自衛官である以上、それが務めだった。
「不安や疑問、また私の頭を心配する者もいるかと思うが、少しだけ聞いてほしい。命令じゃないお願いだ」
一息置き、彼もまた覚悟を決めたように話し始めた。
「千葉県だけが移動した。原因はわからない。いつ復旧するのか……いや、この場合は、いつ帰れるのかと言った方がいいか」
話しながら自分にも言い聞かせるように続ける。
「これから先、何の支援も受けられない状況が続けば、数日のうちに恐慌が起こる。初動に使える猶予は、今日一日しかないと考える」
「今ある食料、水、燃料をどのように配るのか。民間の物流や事業者が動ける間は、まだ多少の猶予はある。県内の備蓄の総量も、各施設の稼働状況も把握できていない。物資が存在していても、輸送と配給が止まれば使えない。地域によっては数日で不足が表面化する」
「皮肉なことに、広域の民間通信はほぼ途絶している。情報が断片的な今のうちに、県、市町村、警察、消防、民間事業者との連絡体制を作らなければならない。買い占めや無秩序な移動が始まってからでは遅い」
「何を優先し、どこへ先に手を伸ばすのか。その基準を今日中に決める必要がある」
「備蓄はやがて底をつく」
「問題は、その先だ。外部から何も届かない状況で、どうやって県民を守り続けるか。それを今から考えなければならない」
短い沈黙が落ちた。
「私は海自の教育航空集団司令官だ。陸上自衛隊と航空自衛隊を指揮する権限はない」
各回線が、しばし沈黙した。
〔しかし、誰かが全体を調整しなければ、部隊ごとに燃料と人員を消耗するだけです〕
一人が発言すると、それに続く声が上がった。
〔確かに。上級司令部との連絡が回復するまで、県内所在部隊の統合調整を司令官に委ねることを提案します〕
〔確認させてください。この提案は、各指揮官の自由意思によるものですね? 後になって、「場の空気で決まった」では済みません〕
〔異論はない〕
〔同意します〕
〔上級司令部との接続が回復するまでの臨時措置として、賛成する〕
〔こんな事態を想定した台本があるなら、書いた者に指揮を任せたいところですがね〕
軽口を挟んだのは松戸駐屯地の代表だった。
「よし、私は別に陸自や空自の指揮権を奪うつもりはない。私が引き受けるのは、県内所在部隊の統合調整だ」
「だが、一人では何もできない。皆の知恵と力を貸して欲しい。我々も持てるものをすべて出そう。どうか頼む」
〔演習じゃないんだな〕
〔国民――いや、今ここにいる県民を、我々が守るしかない〕
各回線から届く言葉を聞きながら、司令官はこの先のことを考えた。
戻りたい。
家族と話したい、と。
* * *
【同日 午前10時45分 匝瑳市】
「ただいま」
「あら早かったじゃない、今日は終わり?」
子どもが帰ってきた安堵と、昼ごはんを用意しなければという現実が同時に胸をよぎった。
「先生が停電がなおるまで学校は休みにしますって」
「あらそうなの? 給食がないのは困るわねえ。ちょっとアテにしちゃった」
母親が本音を漏らす一方で、子どもは休校と聞いてどこかうれしそうだった。視線は早くも、置きっぱなしの携帯ゲーム機へ向いていた。
「お父さんは?」
母親は、昨夜から仕事に出たままの夫を思った。
「まだ帰ってないわよ。出がけに今日は戻れないかもって言ってたし」
「そっか」
「学校と違って、自衛隊だから停電の間はずっと仕事かも知れないわね」
さっきまで浮かれていた子どもの声は、わずかに小さくなった。
「でも、お父さんは立派だよね。僕も将来自衛官になるんだ。そしてお母さんもおじいもばあばも僕が守るんだ」
「よし、よく言った! じゃあ早速勉強しないとね。防衛大は狭き門だぞお」
「しまった! 地雷だったか。お母さんの作戦にはまってしまった」
「作戦でもなんでもないでしょ」
笑いながら母親は子どもを見る。
震災で夫がしばらく帰ってこなかった日々を思い出しながら。
そして今度もまた、自分がこの子を守らなければならないと、強く思った。
いつか再び日常に戻ることを信じて疑わずに。
* * *
【同日 午前11時45分 流山市 アパートの一室】
電気がつかない。
フォンは、コールさえしない。
翻訳アプリは動く。
でも、電気がつかないからいつまで使えるかわからない。
日本に来てまだ一か月にも満たない。
シェアアパートメントの中や、周辺のコンビニ、駅までの道をようやく覚え始めたばかり。
日本は、世界で一番安全で安心な国だと言われていた。
アニメが好きで、日本の文化が好きで。
あこがれていた国。
停電なんておきてもすぐに直る、世界でも有数の技術大国。
そんな日本で、朝からの停電が回復しない。
ルームメイトのマディが泣きそうな顔をしている。
「大丈夫よ、マディ。心配いらない」
「ベス、私怖い」
そうね。私だって怖い。
日本人の友人もまだいない。日本で知ってるのは、このシェアアパートメントの年配の女性オーナーぐらい。
失礼かもと思ったけど、私たちは親愛をこめてグランマって呼んでる。
本当のグランマみたいに優しい。
「さっき、グランマがおにぎりっていうの? あれを持ってきてくれたでしょ?」
「うん。おいしかったね」
毎食コンビニかファストフードばかりで、部屋の冷蔵庫はソフトドリンクばかりだ。
「グランマは大丈夫って言ってた。こういう時は慌てないのが一番なんだって」
「フロリダだったら、今頃は大変なことになってるわよね」
「そうね、ポリスだけじゃなくて州兵も出てるかもね」
「うん、日本ってこんな時でも静かよね」
そう、普通だったら、こんな異常事態に騒がないなんてあり得ない。
でも、それが日本なんだろう。
「それにね、うちは海兵隊ファミリーよ。何かあれば、すぐに駆けつけてくれる」
「頼もしいわね」
少し目に力が戻ってきたみたいね。
「何よりダディから習った格闘術で、私があなたを守るわ。だから心配いらない」
「ありがとう、ベス。あなたは私のベストフレンドだわ」
私だって誰かに守ってほしい。
でも、今は私がこの子を守らなきゃ。




