ep.11 乱れ
* * *
【4月21日 午前8時 千葉市沿岸区 マンション】
今日も曇りだ。
電気はまだつかない。
スマホの充電も20%を切った。
電源を落とす。
エレベーターも動かないから、歩いてエントランスまで来た。
出勤するとおぼしき人たちが集まって何か話してる。
「あの、すみません、皆さんどうされたんですか?」
「え? ああ、水が出ないんですよ」
「水?」
うちはウォーターサーバーだから気にしてなかった。
停電でも温水や冷水にしなければ飲める。
「管理組合の人に言いに行ったんだけど、設備会社も水道工事の人も連絡がつかないって」
「困りましたね」
「随分落ち着いてらっしゃる?」
ウォーターサーバーのことを言えないよな。
分けてくれって言われる。
「ああ、昨日は疲れてたので寝て過ごして、気づいたら朝でした。はは」
「そりゃお疲れですね」
ごまかせたか? まあいいや、知らない人だし。
分ける義務もないし。
「しかし、困ったな。私らは良いが、子どもたちも家にいて水がないと何もできない」
「お子さんがいらっしゃるんですか」
「ええ、二人。上が小6で、下が小3です。うるさいですよ。よく下の階の人に怒られてます」
集合住宅の悩みだよな。
最上階でよかった。
今は階段がつらいけど。
「お宅は?」
「うちは独身です」
独身で悪いか。
「ああ、それは失礼しました」
何が失礼なんだ? 結婚してなきゃこのマンションには住んじゃいけないってのか?
「しかし、電気も水もだめ、連絡もできないとなると、高層マンションは困りもんですね。失敗したのかな。住宅ローンまだまだあるのに」
よくしゃべる人だな。
あなたが住宅ローンで苦しもうがこっちには関係ない。
「お宅もローンですか」
「あ、ああ、ええ、ローンです」
また嘘をついた。
親の遺産で一気に払った。
一昨年、二人を同時に失ったが、何の感情も起きなかったな。
「どうされるんですか、皆さん?」
「どうもこうも、今日まで様子を見て、ダメなら妻か私の実家を頼ろうと思ってます。埼玉と群馬なんで」
「ああ、いいですね。ご実家があると」
「また、悪いこと言っちゃったかな? 何か申し訳ない。みんな不安なんですよ。勿論、私もいい年して不安ですけど」
勝手に勘違いして、勝手に謝って。
自分勝手な人だな。
まあいいや。
「水とかはそのうち配りにくるんじゃないんですかね? 管理組合で備蓄もありましたよね?」
「ああ、そうですね。手動式の浄水器もあったような。その線がありますね。助かります」
余計なこと言っちゃったか?
こっちの分は残しておいてくれよ?
管理費高いんだから。
こっちにも権利はある。
あんたらだけのもんじゃない。
* * *
【午前8時15分 松戸市役所 橘】
少しだけ寝られた。
徹夜はできない年齢になったんだなと気づいた。
「おはよう」
「室長、おはようございます。泊まりですか?」
ぼさぼさの頭を見られてしまった。
「はは、資料をまとめないとね。昨日一日だけでも尋常じゃない情報が集まった」
「電話つながったんですか?」
「いや、警察と消防の方に無線と人を借りたんだ。市役所に駆け込んでくる人もいるからね」
「もう、居ますよ?」
「本当かい、じゃあ開けないとね」
「いや、まだこっちも人が来てないです。開けても対応できないですよ?」
「うん、だが、せめてロビーには入れてあげようよ」
「わかりました、私行ってきます」
最後のまとめだけしておこう。
昨日は結局市長のところには行けなかった。
市長も遅くまで部屋にいたのはわかってる。
だが、声がかけられなかった。
水道課の皆の報告を待つ、という大義名分を自分で作って。
一晩だけ時間をもらった。
馬鹿な私でも、市民のために役に立ちたい。
抜けはないか? 見落としてないか?
そればかり考えていた。
昨日まとめた資料を見る。
(市内の状況について 1日目の報告)
・電気
復旧の見込みなし
河川経由の送電線が全滅
・通信
非常電源および自家発電により一部再開可能
限定エリアでの再開について協議が必要
・水道
上水……給水ポンプは、三日から最長で一週間程度稼働
ただし、発電機の燃料、水量の調整により以後も継続可能
下水……県の処理場に依存。
すぐに使用不可となる可能性は少ないが、上水の使用状況ならびに降雨による影響により、早めに止まる可能性あり
一旦、資料を読む手を止める。
高台をどうするか。水道課の人は切り捨てるのもありだと言った。それなら長くもたせられると。
悩ましい。
市長の判断を仰ぐしかない。
あとは市長にしかできない決断の部分。
・医療福祉関係
物資、人員の手当ての見込みは立たず
緊急を必要としない人の優先度について
また、治療および物資の使用について、優先度の決定についての検討と即日実施についての提案
・市の備蓄
分配の再検討
優先度の決定
・自衛隊・警察
災害出動を要請し、備蓄の保全
民間の商品および在庫の警備
暴動、略奪への対処の検討
まだいくつも報告して決めてもらわなきゃならない。
議会招集では間に合わないし、採決を待っている暇もないだろう。
電気、通信は我々にはどうにもできない。
そして、おそらく、もう回復しないのかも知れない。
それが市民に知れ渡った時、混乱が起こる。
それをどう未然に防ぐか。
ああ、ダメだ。医療はもうすべてを救える段階じゃなくなってしまうんだろう。
高齢者だけに焦点をあてているが、それだけじゃない。
継続的な治療、投薬が必要な市民だって多い。
それをどうやって平等に分配するのか。
できるのか?
備蓄だってそうだ。五十万人は無理だろう。わかってる。
地震や災害の多い我が国において、国からは「災害に備えて一週間の備蓄を」と呼びかけられていた。
だが、市の備蓄だって無尽蔵にあるわけじゃない。
どれだけの家庭に一週間分の備蓄があるのかわからない。
ほとんどない家庭も多いだろう。
買い物に行けない人だっている。
ネットスーパーを頼る人だっているだろう。
民間の卸や小売りだって、そんなに大量にはもってないだろう。
毎日納品に来て回しているんだから。
それがどれほど残っているのか、情報も集められない。
人が足りないから聞くこともできない。
橋のこと、対岸のこと。
市民が知ってしまったら、市役所の人間だけでは抑えきれない。
弱い人たちから奪われてしまう。
財産も生命も。
秩序は保たれるのか。
市民のどこに、誰に、手を差し伸べるのか。
誰が決めるって言うんだ。
神様でも仏様でもいい。
助けて欲しい。
* * *
【午前8時30分 松戸市役所 市長室 市長】
「橘室長、おはようございます」
彼はだいぶ疲れているようだ。帰らなかったんだろう。
服装も乱れている。普段の彼とは違う。
「市長、おはようございます」
「大丈夫ですか? 目の下に疲れが見えてますよ」
「大丈夫です。問題ないです。少し寝られましたし」
少し、か。
責任感が強い方だからな。真面目すぎるとも思う。
市民というか、彼と話すと皆安心して帰る。
その分を彼は内に抱えて、おくびにも出さない。
「水道課の課長から報告をいただきました」
「そうでしたか、すみません、私の方の報告が遅くなって」
水道課の課長が私を叱った。「橘に全部投げるんじゃない」。
彼は本当に皆に慕われている。慕われているから頑張る。頑張るから慕われる。
そして、彼は一人で抱える。悪循環だな。
「いいえ、心配してましたよ。課長だけじゃない、あなたの所の職員も来ました」
「え? そんなに心配させてしまいましたか。申し訳ない。市長にもご迷惑をおかけしました」
ほら、また抱えようとしている。
「皆を心配させないようにしてください。橘さんは一人しかいないんだから」
「いや、市長だって一人しかいないですよ」
今のは私もロジックがおかしいとは思った。
苦笑いしてごまかすしかない。
「資料をお願いします。一読してから報告を聞きましょう」
「はい、こちらです」
何度も書き直した跡が見える。
特に……ああ、備蓄と医療か。
なるほど。
「橘さん、内容は理解しました。あなたがどうしても伝えたいことだけ話してください」
「理解されたんですか? わかりました」
口頭でも彼のあせりがよくわかる。
うん、そうだな。
この人に預けすぎてたな。
「医療関係を先に何とかします。あとは担当する部署に声をかけてこちらへ来るように伝えてください」
「へ、あ、私が動かなくていいんですか?」
不安そうな顔をしないで。
あなたには、あなたにしか出来ない仕事がある。
だが、今のままでは駄目です。
私たちはあなたを失うわけにはいかない。
前を向いてもらわないと。
「あなたじゃなきゃできないことは、たくさんあります」
まだ、不安な顔だ。
たった一日、いや、とても長い一日だった。
それだけなのに彼を消耗させている。
「私があなたを頼りすぎていました。ですがあなたは資料を作るのが仕事ですか?」
「はい、いや、資料を作って報告して、決定をもらい、皆に伝えるのも私の仕事です」
今でさえオーバーワークだ。
今後、それはさらに増す。
「そうですね。ですが、今あなたに足りないものがあります」
「足りない、いえ、足りないことばかりです」
弱気だな。うん、決まりだ。
私の為にも、あなたにはあの発想に触れてもらおう。
「人に会ってきてください」
「人に?」
「はい、私からの依頼と言えば話をしてくれるでしょう」
「話を? 今そんなことをしている暇はないかと思いますが」
今しかできないんです。
多分これから先は一日過ぎるごとに後手後手になっていく。
そしてその中で橘さんも、他の職員も潰れていってしまう。
「そうですね。でもあなたの報告で動けることがたくさんあります」
市役所にはまだ多くの職員がいる。
今は機能していないが、議員だっている。
市民のために働いてもらわなきゃ困る。
「あなたに必要なもの。それをその人は、持っている可能性があります」
「私に、必要なもの?」
市長である私にだってない。
持ってる方がおかしいものだ。
正解じゃないかも知れない。
言葉が足りないから理解できないかも知れない。
実際、今この時点でも、あの人の言葉を聞くことが正しいなんて断言できない。
でも、それでも。
「少しだけ説明するなら、常識では測れない人です」
「異常者……ですか?」
異常ではあるのかも知れない。
「いえいえ、宗教やイデオロギー、またオカルトのような不確かな、いや、ある意味不確かだな」
「要領を得ませんが?」
確かに。
自分で話していて、室長の意見に納得してしまう。
「その人物は、常識を常識とは考えていませんが、何かを守る、その一点には、頑固だったように見えました」
「加えるなら、私の見立てにはなりますが、自分の利益や功名心で動く人物ではありません」
「頑固? 利益や功名心以外で動く? それはどういう意味ですか?」
どう表現すればよいかな。的確な言葉がない。
だが、これ以上は彼の鎧になってしまう。
「私は、あの人に八度ほど会い、話をしました」
「八回も。それはいつ頃のお話ですか?」
最初は全く相手にせずに追い返したな。
「県議時代からです。市長になってからお会いしてません」
「はあ」
「これ以上はやめておきましょう。あなたはあなたの目と耳であの人を感じてください」
「それはどういう意味で?」
あなたの行動のヒントにもなるかも知れない。
反発心に火がつくかも知れない。
でも、やめておこう。これ以上は。
「さて、もし、協力しないと言うなら、私がそちらへ出向くとも伝えてください」
「市長が直接? そんなことしていられないですよね?」
もしかしたら「知ったことか」と言って、別なことを始めているかも知れないが。
「いや、こんな話してる方が建設的じゃないですね。すぐに向かいます」
「私も話してくれるかわかりません。ですが、あなたは聞くだけは聞いてください」
聞くだけでいい。汚染されてはだめだ。
でも、橘さんが変わったら、ちょっと面白いかも知れない。
「わかりました。どこへ行けばよいか、お名前を教えてください」
「少し待ってくださいね」
スマホの連絡先を書き写す。
「もしかしたら寝ているかも知れませんが、その時は起きて話を聞くまで、市役所には戻らないでください」
「いや、やることが」
「それでもです」
おそらく、まさにこの状況で取り得る選択肢を、あの人ならいくつか考えついているはずだ。
そう信じたい。
正しいかどうかなんて、聞いてから検証すればいい。
どう動くかは、私たちで決めればいいんだ。
「わかりました。行ってきます」
「気を付けて」
彼の背中に伸し掛かった五十万人の思いを見る。
重いな。
彼以上に働かなければ。
私は、五十万人の付託を受けているのだから。
あ、旅行とかに出かけてて不在だったらどうしよう。
まあ、良い。
橘さんの気分転換になったと思えばいい。
《感謝》
活動報告にて初期読者限定の募集を行っています。
興味のある方はご一読ください。
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