65話 賽は投げられた
《龍視点》
全身がドクドクと脈打ち、手のひらは気持ち悪い程に汗ばんでいた。ワインのせいもあるかもしれないが、一番は俺自身の失言のせいだ。
(俺は今なんて?? まるでこの人と付き合ってるみたいな言い方……恋人でもなんでもない、それ以前に好意さえ伝えていない相手に、いきなりこんな事、俺は、)
落ち着こうとすればするほど顔はどんどん熱くなる。言い訳もなにも浮かばない。可南の返事に間が空いた。それは確かに、確実に。
俺の常識は人と違うから、最初の一歩が一番怖い。なのに今回は無計画の完全な事故。
陽気に喋り続けていたTVを消すと急に室内がシンとなる。俺は何か喋らずにはいられなかった。
「あのっ」
「龍さん」
「すみません! 分かってたんです。貴方は普通の人だから知られないようにと思っていたのに……本当にすみません!」
俺に勢いよく謝られたその人は、眉尻を下げ同情するような、それでいて微笑むような複雑な表情をした。この引き返せない状況で、とりあえず一番初めに聞かなければいけないことを聞く。
「今こうして知って、貴方は俺の事を……どう思いましたか?つまりその……不快感とか、嫌悪感、とか……そういうのは」
異性も同性も恋愛対象になる性的マイノリティである俺を彼はどう思うのだろう。
彼の視線が下に移り左右に揺れる。それはまるで落ちてもいない言葉を床面に探しているようだった。
「まず言っておきたいんだけど……同性からその類の好意を寄せられた事はある。留学中とか向こうに居た時にね。同性のパートナー持ちは珍しくないし。だから、そんな申し訳なさそうにしなくていい」
それを聞いてやや肩の力が抜ける。可南はさらに続けた。
「単に今、俺が龍さんについて思ってる事を言うなら、そういう恋愛タイプの人なんだなってだけだ」
「それじゃあ……俺の言った内容に関しては」
「多分俺は今まで、そこまでの感情を他人に持ったことがない。龍さんはいま真面目に言ってるんだよね?」
「はい。……えっ、それは誰も好きになったことないっていう……?」
「あ、単純な好き嫌いは俺にもあるよ。龍さんや会社の仲間とか友達は好きだ。可愛い人も綺麗な人も好きだし、格好いい人には憧れもする。でもそれだけで、恋愛とは違う気がする」
一呼吸置いたあと、気分転換でもするように可南は立ちあがり、キッチンへ向かった。普段よりもやや遅い会話のテンポに、言葉を慎重に選びながら話してくれているのが分かる。
「好かれるのは単純に嬉しいけど、龍さんが聞きたいのはそういう事じゃないよね?俺の「好き」と龍さんの「好き」が全然違うっていうのも今初めて分かった」
コポコポとコーヒーを淹れる音がして、いい香りが漂ってくる。その動作にも口調にも迷いは見えなかった。
「でも龍さんの言う「好き」がどういうものなのか俺には分からない。だから──」
「分かりましたっ! じゃあ、もっとシンプルに考えましょうか」
可南の表情が、最後に愁いを帯びた気がして俺は思わず続きを遮った。
「……? 何をどうシンプルに?」
続くはずだった言葉は多分、いい返事ではない。
だから、応えられない?
だから、気持ちを切り替えろ?
それとも、別の人を、か?
拒否の言葉自体は何でもよかった。聞く耳を持たないわけじゃない。ただ、「恋愛感情がよく分からないから」なんて俺個人には関係ない理由で拒否されるのは納得出来なかった。
せめてその感情を理解している状態で判断されたくて、俺は答えを引き延ばし有耶無耶にしていく。
「Loveとかそういうのじゃなく、まずlike or dislikeですよ。これで言うと俺はどちらで?」
「Like」
「じゃあ……fun or not funこれは?」
「※……It's fun to be with you, but I'm so scared of losing someone again. That's why I don't want anyone by my side. I don't think I can. Even if I don't understand love, there's still something I want to protect. You don't know how I live my life to protect it. If you knew how twisted I really am, would you still stay?」
可南の唐突な高速英語に面食らった。
初めの方は聞き取れたが、すぐ耳がついていけなくなり単語数個くらいしか理解できなかった。この人に英単語を持ち出したら、こうなる可能性が高いと気づけばよかったのだ。
一方、可南の方は聞き取らせる気は全く無かったようで、俺の反応は想定内とばかりにただ静かに口元にだけ笑みを浮かべていた。
「えっと、fun……楽しいでいいんですよね? 俺がリーディングしか出来ない事知ってて喋りましたよね」
よく分からない、怖い、理解できない、聞き取れた単語だけでも前向きではない内容だと分かる。
でもこれは、以前のこの人だったらきっと話してくれさえしなかった事だ。あの頃よりは距離が縮まっているんだと思えた。
「別に今すぐ何かを望んでるわけじゃないんです。分からなくても……それでもいい。俺が嫌いじゃなくて、貴方にとっても悪くないなら……お互いwin-winなうちは、このままで居させてくれませんか」
可南は目をそらすことなく、話し続ける俺を真っ直ぐ見つめていた。
「貴方に迷惑はかけません。貴方が嫌な事はしませんし言いません。嫌悪されないって……それが分かっただけでも俺は。そもそも言うつもりも無かったのに何でこんな事に。……何か言わないんすか?」
その問いかけに、可南は笑みを崩さず首を振った。
「黙られたら何も分からないじゃないですか」
「……本当にそれでいいの」
「今まで通りなだけですよ」
「だから『今まで通り』の意味を、君は本当に理解して言っているのか、って聞いてる」
目の前の人は、怒ってはいなかった。それなのに、声色に抗えない圧を感じて少し手が汗ばむ。
「それしか……ないですから。今の俺には、それ以上の案が浮かびません」
「分かった。まぁ利もあるだろうし俺なら効率いいのは分かるけど……何でわざわざ俺? 龍さんには無茶振りするか、面倒かけるくらいしかしてないのに」
「効率? というかそれご自分で言いますか。無茶振りはもう慣れましたし、面倒なんて思ったこともありません」
俺が言うとその人は、「意外だ」とでも言うように目を少し見開いた。
「まぁ、俺もどうして貴方なのかってエビデンスを求められると難しいですが」
「そこまで言っておいてエビデンスはすぐ出ないんだ? そういうもの?」
「ええ。だからいくつになっても振り回されて、自分じゃどうしようもないんです。貴方にもきっと……そのうち分かる」
無理に関係は迫らない。疎まれず嫌悪もされないと分かればいくらでもやりようはある。
決定的な一言を避けるために、仕事以外の事には非情になれない貴方を利用して俺はズルい手を使う。
今は同じ感情が分からなくても、いつか俺が貴方を変えてみせる。
俺が笑いかけると、いつもの様にその人も笑った。その笑顔はやけに整って見えた。
※和訳
君といるのは楽しいけれど、また失ってしまいそうでとても怖い。
だから誰かを欲しがったり傍にいて欲しいとは思わない。思えないんだ。
でも僕にだって守りたいものはあって、それを守るための僕の生き方は、きっと君には理解出来ない。
こんな臆病で歪んだ僕を知っても、君はここに居るのだろうか?




