60話 悪いクセ
《柳橋視点》
しばらく抱きしめていても可南はキレてこなかった。昔ならこんなことをすれば頭突き、肘打ち、金的蹴りを次々と繰り出してきて戯れるのも命がけだったものだがこの静けさは一体……?
ついさっきまで聞こえていた僅かな泣き声も、呪文のような俺への文句もいつの間にか聞こえなくなっていた。
コンビニ店内の照明が当たらない暗がりとはいえ、街灯の薄明かりは届いているのでそろそろ通行人の目も気になってくる。
可南の様子を確認しようと腕を緩めると奴の膝がガクッと折れ、その場に座り込みそうになった。慌てて身体を抱え直して声をかけたら、返事じゃなく寝息が返って来て俺は耳を疑った。
「は? ……え、寝てんの? 今?? おい寝んな、起きろ! 外だぞ?!」
可南はウニャウニャと返事はするものの目は覚めず、意味のある言葉は出てこない。
「マジで?? どんだけだよお前ホントなんつーか……体力の残量くらい把握しろよ! いくら俺でも警戒心は持てっつーの!」
限界を迎えてすっかり寝入ってしまった親友を抱えて、柳橋は夜空に向かって大きくため息をつくのだった。
◆◇◆◇
結局あの後、タクシーを呼んで可南を放り込んだものの住所を聞き出せなくて、俺の家に連れ帰って来てしまった。明日マジギレされるのが目に浮かぶが俺は悪くない。もうどうにでもなれという心境だ。
俺のベッドを我が物顔で占領する親友は、こっちの苦労なんか知りもせず呑気に寝息を立てていた。
静まり返った室内で、何となく俺はベッドの端に座って奴の寝顔を眺める。
「それにしても……かわいーこと言うようになったじゃんか。『お前まで失くしそうですごく怖い』なんて」
そう呟いてから、あることに思い当たった。
(……そういやアレ英語だったな。俺が分からなかっただけで、高校の時もああいうこと言ってたのか?だとしたら)
「お前が英語でしゃべんのはやっぱ一番重要な部分じゃねぇか! もっとちゃんと伝わるように話せよひねくれ者が! こうしてやる!……ぷぷぷっ」
無抵抗なのをいいことに、俺は可南の白い頬を左右にビヨビヨ伸ばして遊ぶ。ベッドを提供してやってるんだからこれくらいは許されるだろう。
高校の頃から変わってない、唐突に始まる英語はこいつの悪いクセだった。
当時の俺は全く意味が分からなかったから「日本語で言え」と言うと「内容が頭に2回入るから嫌だ」と言われた。
それを聞いた俺の第一声はもちろん「はぁ?」だ。頭の良い奴が言うことはたまにわけが分からない。
日本語だと、思っていることを言葉にするときに1回、自分の言った言葉が耳に入って1回で計2回、頭に内容が入って嫌なんだという。
対して外国語はどれも、自分の言った言葉は耳から入っても頭には入らない(意味を捉えない?)から楽なんだそうだ。
奴と付き合っていくうちに話の前後の流れや言葉のニュアンスで、ネガティブな感情や本音みたいなものが英語に変換されるのだと分かってきた。
俺みたいな英語スキル0の奴には理解されないのにそれでいいのかと聞くと、いらないものを捨てるだけだからどうでもいいと、そんな意味のことを言っていた。
でも俺は、そこは捨てるべき部分じゃなく、むしろ一番相手に伝えないといけない部分じゃないかとずっと思っていた。
そして聞けるようになってみると思った通り、一番大事な部分をこいつは『いらない捨てるもの』と分類していた。本当にわけが分からない。
手元のスマホを確認して明日が平日であることを思い出した俺は、可南を早めに起こしてやろうといつもより30分早くアラームをセットしてソファーで就寝することにした。
◆◇◆◇
──深夜
ピシッ、とフローリングの軋む音で目が覚めた。まだ部屋の中は暗い。
俺は半分寝ぼけながらも、後ろに感じる忍び足の気配に集中する。今この部屋にいるのは俺と可南だけ。つまり、後ろから近づいて来ているのは可南だ。
静かな気配はソファーのすぐ横まで来た。
何の用だと思っていたら布が擦れる音がして、俺の布団が肩まで掛け直される。用事はこれかと寝返りしようとした時、少し掠れた小さな声が上から降ってきた。
「Sorry, You're not……Ah……馬鹿なのはお前じゃない。俺だ。……ごめん」
奴が最初英語で喋りだしたのに、途中から日本語に言い直して俺は少し驚いていた。
あんなに嫌がっていたのに、本心を人に伝わる形に言い直した。
まぁこっちは寝ている体だったので、可南本人はいつも通り、ただいらないものを捨てただけなんだろう。
でもなぜか俺の気分はアガっていて、その「ごめん」に対しカッコいい返事をしてやろうと思ったのに、なんともカッコ悪い俺はいつの間にか二度寝してしまっていた。




