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58話 惹き合う温度 前編

「コーヒーだけは駄目です昼飯は食わんと。ほら行きましょう」


 それは昼休憩に入ってすぐのことだった。龍は今日も俺のデスクへやって来て、やたらと世話を焼いてくる。


「今日はいいよ。あんまりお腹すいてないし。最近龍さん過干渉気味というか心配性過ぎない?この前も起き抜けに質問攻めしてくるし、薬の用法用量だの睡眠時間云々だのって」

「……大事にしたいし、して欲しいからです」


 このところ龍はずっとこの調子だ。俺自身、以前より生活面や体調面には気をつけているつもりなのだが、慈愛と優しさが服を着て歩いているようなこの男は、細かいところまで気になるらしい。


「あぁ、龍さんも経営者は「体が資本!」って言いたいんでしょ? 会社の先のことを心配してくれるのはありがたいけど、その手の小言は篤史さんだけで十分間に合ってるよ」

「や、そういうことでなく……」

「違うの?じゃあどういうこと?」

「それは……あの、なんというか」

 

 龍が言い淀んでいると、珍しく桜がやってきて遠慮がちに声をかけてきた。


「可南君、今ちょっといい? 取り込み中かなぁ?」

「ん? 急ぎ?」

「あ、水野さん。こっちはいいので……どうぞ」


 いつもとは違う雰囲気を桜から感じたのか、龍はあっさりと引いて一礼するとそそくさと部屋を出ていった。


「なんかごめんね、急ぎじゃなかったんだけど。それで、えっとぉ……今度の日曜日って空いてる? 一緒に行きたい所があるの」


 探るような桜の視線に、俺はなんとなく違和感を覚えて即座に牽制に入る。


「待って、あいつ絡みの件なら聞かない」

「あ、柳橋くんの件っていうわけじゃなくて……」


 また元同級生の柳橋に、俺との接触を催促されているのかと思ったがそうではなかった。


 話を聞いてみると、桜の知り合いが仲間でバンド活動をしており、小規模なライブをやるから一緒に来てくれないか、という誘いだった。


 今まで知り合いから来て欲しいと言われていたが、そのバンドの観客には外国人が多く気後れしてしまい、桜はまだ一度も行っていないのだという。いい加減申し訳なくなったので、今回俺という通訳を誘って義理を果たしに行くつもりらしい。


 特に断る理由もなく、面白そうだと思った俺は二つ返事で了承した。


 この時もう少し探りを入れるべきだったと、後日悔やむことになるとは、思いもしないで。

 

◆◇◆◇


 ──日曜日当日


 3時間前まで俺は確かに桜とライブハウスにいた。しかし今、なぜか俺はもう二度と会わないと思っていた奴とコンビニの前で揉めていた。

 どうしてこうなったのか、本当に。


「事情聴取なげ~、カナと居ると退屈しねぇな!」

「これに懲りたらもう付いてくるな帰れ。そのうち怪我するぞ」

「ねーよ。それよりお前持久力落ちてっぞ、鍛えろ!」

「無茶言うな、あれだけ走れたらいい方でしょ。もう帰れって」


──遡ること3時間


 繁華街から離れたこじんまりとしたBAR兼ライブハウスのような店に桜と入ると、ちょうどMCが場を盛り上げ始めたところだった。


 そこそこ埋まっている席を見渡して俺はあることに気づく。店内に居る客は9割近くが日本人、外国人客もちらほらいたが桜が気後れするほどではない。

 そして俺は客席の1つを見て目を疑った。そこに座っていたのは見覚えのある銀髪ハーフアップの男。どこからどう見ても柳橋だった。


 俺は足を止めて(そういうことか)と桜を見ると、彼女は申し訳なさそうな顔をして俺に両手を合わせていた。もう一度男の方を見ると、そいつはこっちを振り返り得意気な顔で笑った。


◆◇◆◇


 ライブが始まっても柳橋はずっとそわそわしていた。一曲目が終わったあたりでとうとう俺を店の外に連れ出して、電話番号を破棄した件で文句を言ってきた。さらには、桜に何度も間に入ってもらったのに、どうして全部断ったのかと問いただしてくる。

 それはもう本当にうるさくて。


 相手にする気がなかった俺は、桜に軽く声をかけ帰ることにした。しかし家に帰るには、まず横に張り付いている柳橋をどこかで振り切らなければいけない。


 あれこれ考えていると、前方から怒鳴り声が飛んで来る。続いて全力でこちらへ駆けてくる人影たち。

 俺たちは逃走するのぞき犯に遭遇した。


 どちらともなく走り出し、目配せで指示し合う。年月が経っていてもやはり柳橋とは息が合った。相手がどう動くのかが分かり同時に自分も向こうが応えてくれること前提で動いていた。

 他の通行人とも協力し無事取り押さえ、先ほど警官に引き渡した所である。


 まだここに信頼関係があるのだと要らない事実を突きつけられて、達成感が去った後は気が沈むばかりだった。


「なぁ……いい加減ちゃんと呼べよ。ずっと名字で違和感ねぇの? 忘れてないんだろ?」


 コンビニで飲み物を買い一息ついたことで興奮も冷めてきたのか、柳橋の口調は落ち着きを取り戻していた。俺はしゃがんで壁にもたれながら、この無意味な会話を終わらせにかかる。


「……Yeah. I remember. But I don't want to go back. I'm tired of worrying about you when you keep getting involved in my life. I'm scared. Have you ever thought about how I feel? ...Even once?.」

(訳:そうだ、忘れてなんかいない。でも昔に戻りたくも無い。頼んでもいないのに首を突っ込んでくるお前の心配をするのはもう沢山だ。怖いんだよ。お前は今まで俺の気持ちを考えたことがあるか? ……一度でもあったか)


 柳橋は昔から英語が壊滅的に出来ない。

 俺はちゃんと答えたが、理解出来ない方が悪い。そういって適当に濁す計画だ。

 

 終わらせるだけの関係だからどうでもいい。このやるせない感情をさっさと捨てて、こいつから離れたい、その一心だった。

 

 それなのに今回は予想もしなかった事が起きた。柳橋が小さくため息をついたのが聞こえ、そして──


「Your weakness is that you don't speak your truth.I want you to speak in English or Japanese. This time I can hear.」

(訳:そうやって本心を隠すのはお前の悪い癖だ。英語でも日本語でもいいから思ってる事はちゃんと話せ。今度は全部、俺が聞いてやれる)


 俺は驚愕した。

 ガバッと勢いよく柳橋を見上げ、目を皿のように見開いて固まった。Englishの綴りも書けない、英語の教科書ですらまともに読めなかった柳橋が、自分の英語を聞き取ったうえに英語で返してきた事が信じられなかった。

 奴はさらに続ける。


「I know you get scared when I overdo it. But I can't stop reacting. You react so fast that it looks like I'm chasing you. Maybe I'll do the same as you when I'm alone. Either way, if the goal is the same, the more people the better. Like before.」

(訳:余計なことをするとお前が嫌がるのは知ってた。でも体が動くから仕方ねぇ。お前の方が早いから俺が追うように見えるだけで、一人でも俺はお前と同じ事をする。同じ事をするんだったら、さっきみたいに手が多い方がいい)


 体が動く……俺と、同じ。見上げた顔に昔失った友人が重なる。強引で世話焼きでやたらと活発で、俺に絡んできては思いも寄らない事をする。柳橋は灯里によく似ていた。


(だから俺はずっと恐れていたんだ。同じ事になりはしないかと、俺だけまた一人ここに残されて……また、俺の……せいで)


 何をしてもしなくても、いつの間にか周りの命が狂っていく。じゃあどうすれば良かった? どうすればいい? 答えなんて分からない。


「……カナ? どうした?? 俺の目を見ろ、聞こえるか?」 


 息苦しくて、世界が遠ざかる感覚がする。

 周囲の音もよく聞こえない。さっきまであんなに汗をかいていたのに全身が寒かった。それでも柳橋の声はかろうじて聞こえた。のろのろと奴の目を見据えると、首をかしげられる。


「聞こえてるってことはぶっ倒れるやつじゃないな。なんだ?? まぁいいや、黙って深呼吸しろ。あと……キレんなよ?」


 そう俺に確認して、柳橋は冷えた俺の手を自分の手のひらで包んだ。こいつは何でこんな所でこんな事をしているのかと疑問が湧いたが、この温かさが今唯一、手触りのある現実のように感じた。

 

 俺は奴の手を振りほどく気も起きず目を閉じると、その温かさに意識を預けた。


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