【番外編】合鍵の期待 1
久しぶりの定時退社、龍がいそいそと帰り支度をしていると、妙に真面目な顔をした可南がデスクまでやって来た。
「お疲れ、龍さん。今度の土曜空いてる?一件頼みたい事があるんだけど」
『頼みたい事』と聞くと龍は正直嫌な予感しかしなかった。同じ文言で前回は、薫と一緒にPCの改造に明け方まで付き合わされた記憶が蘇る。
「……土曜は午後なら」
それなのに、なぜか龍は断らなかった。
予定があると言い切ってしまえば深追いされないはずなのに。
「良かった。昼飯用意しておくから午後一で来て。あぁ、大丈夫大丈夫! この前よりは早く終わるから♪」
不安が顔に出ていたのか、可南は軽く笑って言った。
「本当ですか? 深夜勤は勘弁して下さいよ」
「だって早いも遅いも龍さん次第だから。じゃ、よろしくね」
「はい」
龍は(俺次第ってなんだ?)と疑問に思い意味を聞こうとした。しかし、その人は言うだけ言って去ってしまい、それ以上何も聞けないまま当日を迎える事になった。
◆◇◆◇
《龍視点》
土曜日の当日。
玄関を開けて部屋に入ると挨拶もそこそこに、可南から「はいコレ!」とゲームのコントローラーを渡されたところまでは覚えている。
ふと気づくと、俺はチェンソー片手にゾンビ退治をしていた。
ヴィイィィー!!
ヴィィーーーン!
甲高い駆動音が部屋に鳴り響く。続いて、ザクッザクッ、ザクッ、と何かを切り刻む音が響く。
直後、画面の向こうから凄まじい悲鳴が上がった。
ギャアァァァ――!
あまりにも物騒な濁った声。俺はコントローラーを握ったままつぶやいた。
「……あれ? 俺は一体何を」
「龍さんバイオ7全クリしたって言ってたじゃん余裕でしょ? ほら、来てる来てる!! 回復はした?」
「それ何年前の話です? もう全然覚えてませんけど?!」
「ヴィレッジやる前に7クリアしときたいから俺の代わりに頑張ってー!」
「いや、自分でやって下さいよ」
「どうしてもここ勝てないんだもん、君なら出来る!」
「もん! ってなんすか、可愛く言っても駄目ですよ。しかも人の後ろに隠れて完全に傍観する気満々じゃないですか」
俺次第、とはこういうことか。せめて前もって言ってくれれば攻略法を調べ直して来たのに。
さっきから背中に感じる温かな感触に気を散らしつつ、俺は内心深いため息をついた。
画面の向こうには無数の敵の気配が蠢いている。
このゲームの【すべては恐怖のために】というコンセプトを、別のベクトルからヒシヒシと感じつつ、龍の長い長い戦いの幕は開けたのであった。
◆◇◆◇
──10時間後。
「お、終わった」
龍は首と肩を軽く回し、関節をパキパキ鳴らすと一度大きく伸びをした。
「龍さんエイム正確過ぎない?あの一家も怖すぎだし」
「勘が戻って良かったです。これで心置きなくヴィレッジ入れますね」
「うん、ありがとう。もうこんな時間だし泊まっていって」
「大分精神すり減ったんでお言葉に甘えます」
「OKOK、準備する。夜食はパスタでいい?」
「あ、はい。俺も手伝いますよ」
休憩も挟んだが気が付けば10時間もゲーム漬け。
途中何度か可南と交代したものの、他ジャンルのゲームをしている時と違い、そのプレイの下手なことといったらない。ゾンビが怖いならせめて逃げればいいのに、なぜ敵の方へ突っ込んでいくのか。
(これで次シリーズのヴィレッジをやる? 絶対無理じゃ──ん? もしかしたらそれも付き合わされて……)
「龍さん」
縁起でもない事に思考を巡らせていると、急に声をかけられる。料理の手を止めずその人は続けた。
「断ってくれて全然いいんだけど、家の合鍵預かってくれたりしない?」
「家……というのは、この家ですか? ここの?」
「そう」
まさかと思って確認したが、聞き間違いではなかった。
自身の保険のため、近所の知人に合鍵を渡している一人暮らしの友人は自分の周りにもいる。いるのだが、俺とこの人はそんな気の置けない関係だっただろうか。
それとも何か、他の意図が?
「資料とかPC持って帰ることもあるし、万一俺に何かあった時に仕事が回らないと困る。今は木村さんにしか鍵預けてないから、誰か男性陣にもって考えてたんだけど……龍さんが一番家が近いから」
仕事のため。そう説明されれば腑に落ちないこともない。
同時に、別の疑問が湧いた。
木村珠希──彼女はこの人と大学の同期生で、会社の立ち上げ初期メンバー三人のうちの一人だ。仕事にも人にも厳しいが、その手腕は言わずもがな。そんな信頼度の高い人の次が俺?
家が近いという理由だけで、俺を候補に挙げるこの人のセキュリティ観念はどうなっているんだろうか。そんな疑問は流れるように口をついて出てしまった。
「何で……俺でいいんですか? 魔が差す可能性も無いとは」
「君だから頼んでる。どうかな」
期待するような顔で見上げてくる可南を見つめ返す。
仕事上都合がいいだけで、俺を頼りたくて言ってるわけじゃない。当たり前だと分かっているのに、どうしてか虚しさを感じた。
それでも──。
「いいですよ。でも、本っ当にいいんですね? 鍵なくすかもしれませんよ」
どんな理由でもかまわない。この人が俺を信頼して選んだのなら、その期待には応えたかった。
「龍さんなら大丈夫。それに家に金目のものは置いてないし、機密書類も持って帰らないから。予備のキーができ次第渡すね」
(合鍵を預かる……か)
こうしているとまた自惚れてしまう。自分に都合のいい解釈をしてしまう。
この人にとって、自分は少し特別なのではないかと。
けれど、それを確かめることはしなかった。
仕事の都合上。今はそれでいい。
まだ自分のもとにはない合鍵を思い浮かべながら「いつ出来ますか」という前のめりすぎる質問を、俺は静かに飲み込んだ。




