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56話 これからも

《黒瀬龍視点》


「ありがとう」

 

 ついさっきまで崩れ落ちてしまいそうだったその人は、いつもの姿を取り戻していた。


「いえ。……あの、」


 これからも自分が支えになりたい。

 可南を抱きしめてしまったせいで高ぶった気持ちが、俺の口から出そうになったがその人は逃げるように廊下へ出て行く。


「桐生さん。少し席を外す」


 こういう時も、やはりこの人が必要とするのは自分ではなく桐生篤史だ。

 けれど逆に考えれば、この場を任されなかったのだから自分は自由に動けるということ。そう都合よく解釈して、俺は通路の向こうに消えたその人を追った。


 通路の先の階段を一段抜かしで登り外へ出た。しかし、外の人混みに目を凝らしてみても、すでに可南の姿はない。


(自分が主役のイベント中にそんな遠くに行くとは思えんし……どこか店に入ったか?)


 出入りが簡単な店を近場から探していると、数分歩いた先のコンビニから出てくる可南の姿を見つけた。


「あれ、何? 龍さん」


「いえ。ただ……貴方に」


「俺に付いてろって? また篤史さんか。そういう指示は断っていいよ。仕事でもあるまいし」


「えっ、いえ……ええ。はい」


 指示はされていなかったが、好きだから気になるんです、とは流石に言えない。他にうまい理由も思い浮かばなかった俺は、可南の勘違いにそのまま乗ることにした。


◆◇◆◇


 缶コーヒーを開けながら、可南がコンビニの壁際にある車止めに、もたれ掛かる様に腰かけると、自分も隣の車止めに同じように半分腰かけた。


「この顔じゃすぐには戻れない。また心配される」


 可南はペタペタと自分の頬を触っていた。

 それを横目で見つつ、俺は言いそびれていたことを切り出す。


「あの……さっきはすみません。いきなり……抱いてしまって」


「その言い方は誤解を生みそうだね? 俺は『ありがとう』って言ったよ」


「けど、気持ちのいいもんじゃなかっただろうな、と思って」


「もうちょっと力を抜いたら? 龍さんは鈍感なくらいが丁度いい。ずっと周りに気を遣ってたから疲れるでしょ」


「俺は貴方が笑っていればいいんです。それを気にしてるだけなんで疲れませんよ」


「周りが皆そう思ってくれてるって分かってるから、俺はそう在ろうとしてる。本当に龍さんはお人好しだよね、それは弱みにもなりやすいから心配だ」


「別に、誰にでもそうってわけじゃ……ちょっ、何を??」


 唐突にその人が目の前に来て、俺の膝に片手を置いた。と同時に、自分の顔を俺の顔の真正面にグッと寄せて来た。

 もう距離は10センチも離れていない。


「ねぇ、俺の顔どう?」 


「顔?? な、何が……かわ、えっ? き……綺麗ですよ?」


(えっ近!可愛いは駄目ですよねわかってますよでも可愛いですけどさすがに近いっつーかこの距離で見るの久々で目が離せな──)


「違うよ。目元とかもう赤くない? って聞いてるの」


「あっ……ええ。えっと、もう普通です」


「そ。じゃあ戻ろうか。というか何? 今の綺麗って。適当に褒め言葉を並べればいいってもんじゃないんだよ?」


「……貴方の言葉が足りないんです」


「えー?? あ! そういえば今週うち来れる? 新しいソフト始めたんだけどすでに詰んでてさ」


「ホラーは自力で頑張って下さい」


「そこを何とか! お願い龍さ〜ん!」


「……しょうがないですねぇ。いつにしますか?」


 笑い合って、ただ肩を並べて歩く。そんな普通のことがこんなにも愛おしい。

 それだけで今は、もう十分だった。


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