55話 変わらない明日を
「それじゃあ皆、料理も揃ったことだし始めよう」
今夜はトロピカル・リゾートテイストの飲食店を会社で貸し切って、俺の快気祝いを兼ねた立食式慰労会を開催していた。
休職理由は、公には病気療養としていたため、それらしい経過や復帰挨拶まで、不自然にならないようまとめ、開会の挨拶をしたところである。
「どうしたの、桜」
挨拶が終わってすぐ、足早にやって来た桜に俺は尋ねた。
「あのね、ちょっと相談というか……話があるんだけど」
「何? ここで大丈夫な話?」
「うん。この前会った柳橋君なんだけど、どーしても可南君のLINEか電話を──」
「教えない。前もそう言った」
「えっと、でもすごい真剣に頼まれて」
「何度聞かれても答えは同じだ。ただの顔見知りに個人情報をバラ撒くほど俺は間抜けじゃない。他に用件は? 無いならそろそろ他の所も声かけに回らないと。木村さんの視線も痛いし……ほら、またこっち見てる」
俺は苦笑しつつ斜め後ろを振り返る。
皆が賑やかに食事をする中、視線の先にあるホール中央のバーカウンターでは、カクテル片手にこちらを凝視している木村珠希の姿があった。
「あー……。うん。あ! じゃあもう一回会うだけとかは」
「桜」
俺は再び桜の話を遮った。
ヤナに何か頼まれているのか、これだけ断っても食い下がってくる理由がきっとあるんだろう。それを説明しないのは、俺に対する桜の気遣いであり優しさだ。それは彼女の美点でもある。
「ごめんね」
しかし俺が謝ってしまえば、さっきの美点はたちどころに弱点に変わる。桜は眉尻の下がった笑みで「分かった」とだけ言うと、他の女子社員たちの輪の中へ帰っていった。
申し訳なさも若干感じはしたが、するべきことをしただけだと自分に言い聞かせ、俺もホールへ一歩歩みだした。
◆◇◆◇
各部署からリーダー含む数名が参加し、会場はだいぶ賑やかになっていた。
俺は挨拶を各々にしながら人混みをかき分け、篤史と龍、そして薫に声をかけ通路を挟んだ向かい側の個室に呼び出す。
「立食会でも貴方は座ってて下さいって言いましたよね? またそんなウロウロして……それで、話というのは?」
「なんで怒ってるの篤史さん。快気祝いだからもう普通通りでいい」
「可南さんの料理、取り分けて来ましたのでどうぞ!」
「薫さん、後でね。先に話がある」
「何か、トラブルっすか?」
「三人とも、今回俺の個人的な問題に巻き込んで申し訳なかった。ちゃんと謝りたい。
俺の勝手な言動で嫌な思いも沢山したと思う。本当に、ごめん」
本当に、勝手だった。人を傷つけずに済むやり方があったはずなのに、少し前の俺にはそれを考える余裕がなかった。
「それと、ありがとう。何かを忘れたことさえ忘れてた自分じゃあ、今の状況には辿り着けなかった。西村さんにノートもお返しして、話も全部してきた」
「まぁ……過ぎたことより、大事なのはこれからですから」
「もう一人で暴走しないで下さいよ? 俺めちゃくちゃ焦ったんですから!」
「そうだね、言動に出す前にひとこと相談くらいあっても良かったよね」
「次は無いようにする。西村さんは『また来て』って言ってくれたけど、そう言われたからって俺のしたことが消えるわけじゃないし、今でも俺のせいでって思ってる。それは覆らない事実だから」
三人の顔をゆっくりと見渡すと、そこには先を急かさず俺の言葉を真剣に聞こうとする眼差しがあった。
「でも……言われたんだ。俺がこうして生きてることが灯里の願いなんだって。篤史さんが言ってくれたように、俺の親も同じ事を願って俺をあえて生かしたんだとしたら」
──私が守ってあげる!
──本当は生きて欲しかったんじゃないですか
──生きてって。今もそれがちゃんと叶ってる。
「……だったら、俺はいつか」
今まで避ける術もなく受け止めてきた、僕を守る言葉、傷つける言葉、生かす言葉、殺す言葉。それらが様々なシーンと共に脳裏に浮かんでは消えた。記憶の洪水に、感情が激しく入り乱れて自我まで弾けてしまいそうになる。
念入りに用意してきた言葉は頭の中から綺麗に消え去って、言葉にならない想いは何の躊躇いもなく瞳から零れ落ちた。
一度溢れてしまえばその勢いは止められない。
すると、視界の外で誰かが動く気配がした。
顔を上げようとしてすぐ、顔が何かにぶつかる。閉ざされた視界と、自分の背中と頭を抱く、ガタイのいい男の優しい腕の感覚。顔が見えなくてもそれが誰なのか分かった。
いつかの夜と同じ、この温かさと香りを俺は知っていた。
涙腺は仕事を放棄して、人肌の温かさと安堵感が続くはずの言葉を溶かしていった。
「いつか……」
ねぇ、聞いて欲しいんだ。
ちゃんと最後まで言うから。
この優しい人達に。
いつか自分を赦せる日が来る。
そう願いながら、信じながら、僕は生きる。
変わらない明日を、ここで。
◆◇◆◇
「ありがとう」
どれくらいそうしていただろうか。
しばらくすると気持ちもだいぶ落ち着いて、俺は龍の腕の中から離れた。
と同時に、発生しているひとつの問題に気づく。
この顔の熱っぽさと瞼の重さ、いま自分の顔がどれくらいマズイことになっているかは、鏡を見なくても分かった。
「いえ。……あの、」
龍が何か言いかけたが、俺はそのまま部屋を出る。廊下に居た篤史達からやや視線をそらし、声をかけた。
「桐生さん。少し席を外す」
俺の横顔をチラリと見た篤史は、何も聞かず穏やかな声で「はい」とだけ答えた。それを背中で聞きながら、俺は外へ繋がる階段を駆け上がった。




