53話 ただいまの体温
数日後、再び薫は可南の家へ様子見に来ていた。可南は手元にある一冊のノートをパラパラとめくりながら、ふと視線を薫に向けた。
「薫さん、よく考えたら西村さんの家ってどうやって探したの? すごい大変だったろうなって」
「結構前から色々してたみたいすね。俺は車出しただけですけど」
「このノートが俺の手元にあることは奇跡だよ。これ俺から返してもいいかな」
「いいですよ。篤史さんには伝えておきますね」
「なんで篤史さん? ……あ! あの時「吉と出るように動く」って、これのこと? 俺あと他に誰を巻き込んで……」
「俺ら三人だけです。コソコソ身辺を探ってるなんて貴方は嫌がるだろうから話が広がらない方が良いって篤史さんが」
「……やられた。本当に勝手過ぎる。今日篤史さんもう帰った?」
「俺が出るときはまだ居ましたけど、もう帰ってるんじゃないですか?」
「……もしもし篤史さん? 今いい?」
「早っ! 俺に聞く意味ありました??」
可南の行動力に薫がツッコミをいれるより早く、電話の向こうからは篤史の声が聞こえてきていた。
◆◇◆◇
薫が帰ってしばらくすると、玄関のドアが再び開き、落ち着いた足音がリビングへと近づいてきた。
「お邪魔します。何事ですかこんな夜中に。今すぐ来い、って強引にも程がありますよ」
半ば諦めの表情を浮かべた篤史が、銀フレームの眼鏡の位置を直しながらリビングへと入って来た。可南は悪びれもせず篤史に問いかける。
「タクシー代は後で出す。それよりどういうつもり? 俺は余計な事はするなって言ったよね」
「そういう話ですか。仰ってましたね。でも吉報でしたでしょ?」
「どうしてそう勝手ばっかり」
その言葉とは裏腹に、可南の表情は困惑に近く、どこかソワソワとした雰囲気を篤史は感じ取っていた。
「……お怒りじゃないなら、感謝の意でも示せばいいんじゃないですか?」
「それだと篤史さん怒るでしょ」
「怒る? 感謝されて怒るわけないじゃ……!?」
言い終わらないうちに、可南は足早に移動して来て、ソファーに居た篤史の横に座るとガバッと抱きついた。
「か……な、何??」
「ただでさえ負担が篤史さんに片寄ってるのになんで……俺は頼んでない。もう人に無理されるのは嫌だ」
「……僕は無理なんかしていません。ちゃんと僕を見てます?」
「俺休んでるから見れてない。でも仕事が詰まってるのは知ってるから」
「まぁ、貴方がご自分の仕事を僕に振ったんですもんね? 余裕はないですけど、前みたいに何も出来ない状態より、何か出来る今の方がずっといい」
「前の学校見つけたって」
「ええ」
「同級生も」
「はい」
「彼女の家も」
「そうですね」
「篤史さん達に見つけてもらったのは、灯里だけじゃない。本人にさえ忘れられてた俺自身もだ。……ありがとう」
「いつもそういう事はすぐ相手に伝えるのに、今日は時間がかかりましたね」
「結果には感謝してる。でも俺は経緯に納得してないから」
未だ抱きつかれているせいで、篤史からは可南の表情が見えない。しかし、少し強まった腕の力から彼の不満が伝わって来た。
「腕、離して」
硬い声にビクリとして、可南の両手がストンと落ちた。篤史の肩からそっと離れかけた可南の頭を、自由になった篤史の左手がトンと元の位置に戻す。
「……?」
「僕は経緯にも納得してる。結果は起こり得るなかで最善に近いものだ。今の君の顔を見れば分かる。僕と君は違うから、全部が全部同じ認識にはならないよ。でもそれでいいんでしょ? 自分と違うからいいっていつも言ってた。
だからこそ最初から僕も、思うままに動いていれば良かった。肝心なときに判断を誤って時期を逃したんだ……ごめん」
「同じ認識にはならない……そう! そうだ、そうだよね? 最初からそうだった。ふふっ、だから俺は篤史さんが好きだよ」
「……すき? 今の流れで何でそういう好き嫌いの話になるの?」
「俺の事を考えてくれる篤史さんのその愚直さは俺には理解も予想も出来なくて、本当に意味がわからないし無駄に厳しくて融通は効かないわ勝手に動かれてイライラするわで……でも、それが僕と貴方だ」
「それは『好き』の理由とは思えないな」
「俺が見たかった世界を見るだけじゃなくて、そこに貴方と一緒に居るから違いがクリアで負荷もある。俺には得難いものが篤史さんの中にはあるんだよ」
「それが好きに繋がるの?」
「そう」
「負荷なのに? それってどういう理屈? ……はぁ…だけど『最初からそうだった』は僕もかな。君の事なんて今も昔も半分だってわからない。でもそこが」
「面白い?」
「……そうだね」
篤史は呆れたように笑って言うと、肩にもたれさせていた可南の頭を一度だけ撫でた。
そして可南から少し距離を取り座り直すと大きく深呼吸をする。
「そういえばノートを返すのは一人で行くおつもりですか?」
「うん」
「来週の土曜は終日空いてます。日曜は午後なら」
「それ何の報告?」
「休みのうちに行かれるんでしょ? 何かあるといけないので僕も同行します。案内もできますし」
「前から思ってたんだけど、篤史さんは過保護というか身内に対する過剰愛というか、すごい心配性だよね」
「それは……上司や仲間の身を案じて何が悪いんですか」
「咎めたんじゃない。ただ、そうまでしてくれる人がいるのは幸せなことだって思っただけだよ」
「……お帰り。やっとまたそんな風に笑うようになった」
「何それ?俺はずっと居たし、笑うくらいしたでしょ」
「物理的現象で言えばそうですが、僕が言ってるのは心理的要因を含めた総合的な弛緩緊張運動で客観的に見て──」
「ふふ、ただいま」
紡がれる言葉は相変わらず、いちいち感情を揺さぶって、篤史はそのたび言葉に詰まる。けれどそれは堪らなく懐かしく、心地いい感覚だった。




