【回想・篤史】それでいい
《桐生篤史視点》
これは数年前、画面越しに俺が可南と初めて出会った時の話。
まだ俺が、人間を勝ち負けでしか測れなかった頃。仕事が終われば決まって、あるMMORPG(大規模多人数同時参加型オンラインRPG)をプレイしていた。
もともとゲームは何でも好きだった。社会人になってもその趣味は変わらなかったが、仕事の憂さ晴らしをするうちに、娯楽の目的は歪んでいった。
俺が好んでやっていたのは、対人戦で初心者や素人を見つけては狩るPKだった。
泣きつく奴、仲間を呼ぶ奴、暴言を吐く奴。最後にはみんな必死になる。その必死さを笑いながら眺める時間が楽しかった。
今思えばひどく幼稚な行為だ。それでも当時の俺にとって、それが一番手軽で効率的なストレス発散方法だった。
上司も同僚も取引先も、現実は馬鹿ばかり。
「前例がない」その一言で思考停止する人間が、どうして管理職になれるのか本気で理解できなかったし、同僚が残業で疲れ切った顔をしていても、お前の能力が足りないだけだろ、としか思わなかった。
取引先は成功している企業と同じ答えを欲しがる。
面白い仕事なんて、そこにはなかった。
面倒だったから外面は演じていた。有能な部下、有能な社員、有能な同僚。求められる役だけこなしていれば評価は勝手についてきた。
実績だけを黙々と積んでは、適当な所で会社を捨て、給料の良い所へ移る。それを繰り返していた。
◆◇◆◇
その夜も、いつもと同じようにPK目的でマップを徘徊していた。
そこで一人のプレイヤーを見つける。見た目はどこにでもいる盗賊職。適当に片づけるつもりで魔法を放ったが、一撃目が当たらない。
(回避特化ウゼェ。こういう奴は大体プレイヤースキル皆無だから、時間だけかかって面白味がないんだよな)
そう思ったのは最初だけだった。一分もしないうちに俺は違和感を覚える。
回避だけじゃない。足を止める位置、立ち回り方、障害物の使い方。その動きには無駄がない。俺も知らない地形の隙間へ潜り込み、建物のわずかな死角を利用し、ターゲット範囲の外を縫うように逃げ続ける。
数分追いかけても一向に捕まえられなかった。
(何だこいつ? 偶然じゃないな。マップの仕様を理解して動いてる)
やがて相手は追いかけっこに満足したのか、自ら俺の射程内へ入ってきた。
追い続けていた勢いのまま魔法を連打する。五連続で放つスキルを四回。二十発のうち、命中したのはわずか二発だった。
それでも連打を続けてHPを削り切り、俺はやっと相手を倒した。
(勝ちは俺。でも技量が上なのは向こうだ)
そう思った直後、オープンチャットが表示される。普通なら暴言か捨て台詞だ。ところが、画面に流れたのは予想外の文字だった。
『すごい強いね! あそこでタゲられたの初めて。良かったらステータス教えて。少し話そう』
(……ガキか)
画面を見たまま、俺は固まった。会話に誘ってくる神経が理解できなかった。
それに、俺が強いんじゃなく、そっちが射程内に入って来たから結果として俺が勝っただけだろ。
そう返したくなったが、面倒事が嫌いだった俺はチャットを閉じ、そのままゲームを止めて翌日にはもう忘れていた。
──はずだった。
次の日からは、ログインすると何となく各マップを一通り周り、奴がいれば襲っていた。そのたびに、そいつは妙な立ち回りで俺を翻弄し、アップデートの仕様や抜け道まで利用して食らいついてくる。
正攻法ではない。どちらかと言えば意地の悪い戦い方だ。けれど、仕様も地形もシステムも全部ひっくるめてゲーム。俺には思いつかない戦い方だった。
気づけば「今日はどこにいるだろう」と探す自分がいた。
◆◇◆◇
そんな奇妙な関係が半年以上続いたある日、初めて奴から個人チャットが届く。
(……メッセージ?)
警戒しながら開くと、短い文章が並んでいた。
『今日はどうしても話したい。もう来れなくなるかもしれないから。ちゃんと友達にならない?』
「やっぱりガキか。今どき『友達になろう!』って……」
苦笑しながら画面を閉じようとして、指が止まる。もし本当に来なくなるなら、この妙な追いかけっこも終わる。
そう考えた瞬間、胸の奥が少しだけ空いた。
(……まあ、一回くらい話してやってもいいか。どうせ暇だし)
そうして俺は、その日初めて彼に返事を送った。
『なんで友達になる必要がある?』
返事はすぐに返ってきた。
『聞きたいことがあるからです。もっと貴方を知りたい。一緒に他のゲームもしてみたい』
その一文を見て、少しだけ肩の力が抜けた。
(へぇ……思ったよりまともか。頭の回転は悪くなさそうだ)
俺はキーボードに手を置いたまま、もう一つだけ質問を投げた。
『どうしてそう思った? 俺の事、何にも知らないのに』
少し間を置いて、相手は丁寧に打ち返してきた。
『そうですね。貴方のやってることはただのPKです。でもよく調べてるし、更新情報にもすぐ対応して、装備もスキルも手持ちも常に同じじゃないでしょ? 俺はいつも参考にしてました。アドバイス貰いたいくらいで(笑)』
相手を見ているだけで、そこまで気づく奴はあまりいない。俺は画面の向こうの人物に、ほんの少しだけ興味がわいた。
チャット欄には、相変わらずポンポンと勢いよく文章が表示されていく。
『きっと他のゲームでも真面目で丁寧にやってるんだろうなって。俺はどうしてもすぐ楽したくなるから、そういう思考になれないし。だから――』
そこで文章が途切れた。
さっきまでリズムよく投下されていたのに、チャット欄が静まり返る。相手のオンラインの表示は消えていない。席を外しただけなのか、それとも言葉を選んでいるのか。
気づけば俺は、画面から目を離せなくなっていた。
しばらくして新しいメッセージが表示される。
『貴方と一緒に他のゲームして、なんならじっくり話でもして、貴方の見てる世界をもっと知りたい』
その一文を読んだ瞬間、思考が止まった。
(俺の見てる世界を知りたい……?)
意味がわからない。
理解できない。
言われたことのない言葉に指が止まる。
面倒な奴だ、とそのままゲームを落としてもよかった。けれど、その日はそうしなかった。本当に、ただの気まぐれだった。
『俺の見ている世界は君と大して変わらない。
知った所で期待外れと思うけど』
『いいんですよ。貴方は思う通りにしてればいい。それで疲れたら、俺の悪知恵でも参考にして下さい』
(思う通りに、か)
どうせこいつも、他の連中と同じになる。そう思いながらも、指は自然と次の言葉を打ち込んでいた。
『熱弁してるとこ悪いけど、俺は本当につまらない奴だから』
返ってきた文章は短かった。
『それでいい。俺の話を聞いて答えてくれてる。
嘘もつかないし茶化さない。実直でいようとしてる。俺はその全部が嬉しい』
俺は返事を打てなかった。
(……こいつは、ガキなんかじゃない)
それでいい? 俺が俺でいるだけで嬉しいなんて言う人間が、この世にいるのか? 本当に?
そんな疑問が浮かんでしまった時点で、奴の言葉を真面目に受け取っている自分がいることに気づく。
身体がじんわり熱くなる。ボイスチャットじゃなくてよかったと、本気で思った。
心のどこかで渇望していた言葉を、憂さ晴らしのつもりで徘徊していただけの場で、一番思いがけない相手から差し出されていた。
自分の存在を全肯定された衝撃は、熱となって体の奥まで一瞬で侵食していった。
俺はもう、降伏するしかなかった。
『負けた。じゃあスカイプ登録する?』
『負け? 何が? え! いいの?! すっごい嬉しいありがとう! それじゃ始めにPCのスペック大まかに聞きたいです。
あと何系のゲームが好きです?
ハードは何持ってます?
PS3はありますか?
携帯ゲーも守備範囲ですか?
あ、その前にスカイプ名送りますね!』
矢継ぎ早に流れてくる質問を見て、思わず笑ってしまった。その日、俺と彼はフレンドになった。
話してみて色々と分かったことがある。彼は俺より二つ年下で、警戒心がやけに薄く、人との距離を詰めるのも早い。
思ったことはすぐ口にし、納得できないことには迷わず異議を唱えてくる。好奇心が強く、自由で寛大。そのくせ、かなりの我儘だった。
人と話すことに長けていて、妙な雑学は俺より詳しかった。同じ業界にいたこともあり、仕事の相談をすることも増えた。
試すつもりで経済や投資の話を振れば、気づけばインドの鉄道会社の話になり、そこからヨーロッパ旅行の話へ飛ぶ。論理の筋は通っているのに、着地点がおかしい。それはある意味、興味深くて。
気づけば、誰より長く話す相手になっていた。誰かと話して満たされる。そんな感覚は初めてだった。
何でも我流でこなす彼を見ているうちに、俺は少しずつ力の抜き方を覚えた。
けれど、総評としては発信力が良くも悪くも高すぎる。放っておけば、そのうち余計な火種まで拾いそうな危なっかしい男だった。
その時は俺が手を貸せばいい。
そう考えるようになった頃にはもう、自分がどこで働き、誰の隣にいるべきなのか答えは出ていた。
◆◇◆◇
一度、二人でオンライン通話をしていた時に、ふとこの頃の話題になったことがある。
「あの時はこうだった」「そんなことまで覚えてるんですか」と互いに笑い合っているうちに、いつの間にか話は脱線し、結局はいつものように、俺が可南へ忠告を並べる流れになっていた。
警戒心が足りないこと、人を信用するのが早すぎること、今の立場ならもう少し相手の人となりを慎重に見た方がいいこと。一通り言い終えたところで、俺はふと気づく。
あの時、画面越しに抱いた嬉しさと気恥ずかしさを、俺は一度もこの人に伝えていない。
受け取るだけ受け取って、自分は何も返していない。それは理屈では説明しにくいが、どうにもフェアではない気がした。
せっかくだから、今伝えればいいのではないか。そう考えて言葉を探していると、不意にヘッドホンからクリアな声が届く。
「篤史さん? さっきから黙ってどうしたの? さすがに気配消し過ぎでしょ」
「何でもないです。なんというか僕は……いや、今言うのもおかしいか。でも思った時にこそ言わないと、またずっと先延ばしに……」
「?」
普段は小難しい理屈を組み立て、講釈めいたことを語るくせに、自分の感情となると途端に言葉がまとまらない。
そんな自分に苦笑しながら続きを考えていると、柔らかな笑みが目に浮かぶような声色で可南が言った。
「……ふふ。それでいいんだよ。篤史さんはそうじゃなくちゃ」
──それでいい。
その一言を聞いた瞬間、数年前のチャット画面が脳裏によみがえった。
俺が俺でいることを可能にして、そのままで在ればいいと肯定してくれる人がいる。その心地よさに未だに少し戸惑ってしまう。
頬が緩んだことを悟られたくなくて、俺はあえて抑揚を抑えた声で答えた。
「ええ、知ってますよ」
知っているからこそ今もここにいる。
その続きまで言葉にできれば良かったのかもしれなかったが、結局それはできなかった。




