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44話 見え始めるもの 後編

「俺と君は違う。だから君はあの日、俺を欲したんじゃないのか?」

 

 篤史の言葉は、真っ直ぐに俺の中へと入ってきた。

 それは紛れもない事実だったから。

 

 彼は俺に必要な人だと思った。だから俺は、最後になるはずだったあの日……どうしても、とこの縁を繋ぎ止めた。


 彼が見ている世界を知りたかった。

 俺が最初にそう望んだから、彼はずっと自分の意志と善意でそれに応えてくれていただけだったのに。俺はそんな事も忘れてしまっていた。肩書きにうぬぼれ、彼を庇護対象だと錯覚してしまった。


 元から、彼の方がよっぽど人間が出来ていたのに。


 子供っぽい俺の手に重ねられた篤史の手の、少し筋張った甲も、先端に向けてスラリと伸びる指も、相変わらず綺麗だと思った。


 俺は少し緊張しながら、開いている方の手をそっと篤史の手に被せ『了承』の意思を示した。視界の隅で一瞬篤史がこっちを見たが、そのまま特に動くことなく、俺の言葉を待っているようだった。


「……この元々ある首の傷は、親が俺を殺し損ねた痕だ。鼻と口を塞いで息を止めて、さらに念入りに首も裂いた。どうしても死んで欲しいっていう殺意と憎悪のしるし。まぁ、もともとそういう扱いしかされていなかったから、俺からすればこんなの沢山ある中の一つに過ぎないけどね」


 話しながら、俺は不思議に思っていた。人はどうして首の痕ばかり気にするんだろう。

 傷がいくつあろうがどこにあろうが、意味は全て同じだと知らないんだろうか。


 黙って耳を傾けている篤史に、俺は続けた。


「俺は、一番効率のいい場所から要らないものを捨てようとしたんだと思う。異常な嫌悪感だとか、罪悪感だとか……そういうものを。痛みで、擬似的な罰を自分に課した。……けど、疑問はある」


「疑問?」


「今みたいに何もない状態なら、昔のことなんて普通に話せる。それなのに、幻聴が混ざると色んな負の感情に飲まれてどうしても駄目なんだ。でも、何でそうなるのかが全然……」


 雨音に混ざる声と、それをトリガーとして起こる心身の異常反応。俺はできる範囲で全て話した。

 篤史は途中で口を挟むことなく、時折考え込むような表情をして聞いていた。


「……本当に他に心当たりはないの? 君が自分で疑問に思うように、俺も親のことに対して君がそれほど囚われているようには思えない」


「分からない。ごめん。今言えることは全部話した。……と思う」


「そうか、分かった。本当はね、何年も前から、君の様子が変な時があるのを知ってた。すぐにいつも通りに戻っていたから、踏み込もうと思わなかったけど……でも今回は、疎まれても何でもいいから踏み込むべきだと思ったんだ」


「別にそこまで……今までも、今だってほら、大丈夫なわけだし」


 篤史の表情は変わらなかった。その静かな視線は、俺の言葉に同意していない証拠のように見えた。


「ああ、そう。そういう態度なら、俺は最初に言ったことを訂正する。君の大嫌いな所は二つだった」


「……さっきより一段階嫌いのレベルも上がってて、貴方に言われると胸に刺さるな。俺は好きなのに」


「そうでしょ? だから俺は、言わなきゃいけないことはちゃんと言うことにした。時にはハッタリと虚勢も大事だろうけど、君は相手を間違えてる。まぁ近いうちに状況は変わるよ。それが吉と出るか凶と出るかは分からないけど……俺は吉と出るように動く」


「何の話? 俺は何も頼んでないし、余計なことはしなくていい。嫌なんだよ、そういうの」


「俺を手元に置くってことはこういうことだ。君が俺を望んだんでしょ? 仕事じゃないから君の許可はいらない。どうせしばらく動けないんだから、吉報でも待ってればいい(笑)」


「勝手すぎる」


 篤史は肩の力を抜くように息を漏らすと、少しだけ得意そうに目を細めた。


「俺がずっと誰の事を見て来たと思う? その人から『俺の事を参考にして』って、昔言われた訳だけど」


「……」


「勝手だとしたら、その人に似たんだから仕方ないよな。そう思わない? 可南」


「いい、もう分かった」


 完全に一本取られた形だった。


 自分の思う通りにしていい。俺は自分がそうであるように、彼にも彼らしい「勝手さ」と「我儘」を望んだ。


 大真面目だった彼を変えたのは俺だった。俺が教えた通りに、今度は彼が勝手に動き、俺のためと言いながら我儘をぶつけて来る。

 咎めようがなかった。


「はぁ……やっぱりさ、篤史さん。たまにはこうやって俺を正してくれると嬉しいな。貴方にまでずっと敬われていると、そのうち俺はまた勘違いしそうだ」


「……それは甘えじゃないか? 気づいたなら律するくらい君なら出来る。今日が例外なだけで、俺には俺のポリシーがある。でも……そうだな、考えておく。今日は長居してごめん」


 そう軽く挨拶をすると、篤史はドアへ向かい廊下へ出ようとした。

 その背中を見つめているうちに、どうしても伝えておきたい言葉が一つだけ浮かんだ。


「ねぇ、さっきの大嫌いってさ」


「うん。言葉の綾じゃないよ」


「そんな評価さえ、俺は久しぶりに貰った。……ありがとう」


「……君は本当によく分からないな」


 呆れたような、けれどどこか微かに滲む温かさを残して、篤史は今度こそ病室を後にした。


 誰もいなくなった部屋のなかで、俺は自分の手を見つめた。篤史の体温がかすかに残る手の甲は、確かな現実との繋ぎ目に感じた。


◆◇◆◇


 病室を出た篤史の後ろで、ドアが静かに閉まった。一人になった廊下で、思わず独り言が漏れる。


「本当に、分からない。いつも予想しないことばかり言うから……」


 いつも俺は何の構えもしないまま彼の言葉を受け取ってしまう。

 

 廊下を歩きながら、俺は彼と出会ったゲームのチャット欄に打ち込まれた文字列を思い出していた。当時の自分を動かした言葉……さっき部屋で同じ言葉を直接言われ動揺していたのに、今の『ありがとう』でさらに揺れる。


 可南はまた当たり前のように俺に言った。俺がただ俺で居るだけで嬉しいのだと。『大嫌い』という評価にさえ、感謝してみせる。


 胸が締め付けられる感覚に集中してしまわないように、今日聞いた彼の話を思い返し、ひとつずつ整理し始めた。

 彼の見えていない何かを探し、自分の役目を果たすために。


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