39話 交差する足音
いよいよ暴風雨が吹き始めた頃、龍は駅ビル内にある書店で時間を潰していた。
オフィスで可南と揉めた後、早めに帰路についたもののどうしても家に帰る気にはなれなかった。
最近では、ちょっとした強めの雨でも顔色を青くする可南がまだ職場に残っている。こんな台風の夜に一人きりで居させるなんて自分の精神衛生上、耐えられなかったのだ。
台風なんて毎年のことだから、そう静観するには、最近の可南の様子はあまりにも不安定だった。
駅ビルのガラス窓の向こうには鉛色の空が広がっている。強い突風がビルの下から上へと吹き上げ、まばらな雨粒を窓ガラスに叩きつけていた。
(こりゃ荒れるな。さっきの感じだとあの人はまだ仕事だろうし……一時間、いや二時間くらいしたら家に行ってみるか)
いきなり自宅に押しかければ、絶対また揉めることになるだろう。もしかしたらそれ以前にドアさえ開けてもらえないかもしれない。でも自分には……
龍はそこでポケットの奥にある、黒い革のキーケースを軽く握って確かめた。
(──こういう時のための、合鍵よな)
どんなに煙たがられようが、嫌われようが構わない。ただあの人を一人にはしない。
不器用な献身の決意を胸に秘め、龍は激しさを増していく暴風雨を窓越しにジッと見つめていた。形だけ開いていた本の内容なんて、全く頭に入ってこなかった。
◆◇◆◇
一方その頃、珍しく定時きっかりに退社出来た篤史は自宅の最寄り駅まで来ていた。
家路を急ぐ人の群れに紛れて改札口へと向かう。
(よし、何とか本格的に荒れる前に帰れそうだ)
今の時期は各プロジェクトのリリースも無事に終え、社内にはやや余裕のある雰囲気が漂っている。
突発的なアクシデントやイレギュラーな対応こそあれど、普段に比べれば皆それなりの時間に帰宅出来ている。それなのに、篤史の胸のざわつきは増すばかりだった。
(……やっぱり、最近の可南は変だよな)
泊まり込みで連勤している時期に比べれば今のスケジュールははるかに楽なはずなのに、連日の残業と気迫さえ感じる根の詰め方。そして、突然投げつけられたあの苛立ちや敵意にも似た視線。
ここ数週間続いている大荒れの気象が、あの人の精神に影響を及ぼしているのだろうか。
見ている限り、今の段階では仕事への影響は出ていない。
しかし、先日のように何の前触れもなく倒れた前科がある。日に日に滲み出る疲労感が増していく可南をこのままにしておくのは悪手だろう。
(職場じゃなきゃ可南の態度も変わって、何か聞き出せるかもしれない。ちょうどこんな天気だ。困っている身内には非情になりきれないあの人なら「台風で帰れなくなったから泊めて欲しい」と頼めば、追い出したりはしないだろう)
あからさまに距離を置かれていることも、人の目を見て話さなくなったことも、どうしてなのかが篤史には全く分からなかった。分からないことは、やはり分かるまで調べて納得出来る形に落とし込みたい。それが篤史だった。
改札口を出る手前で、篤史はピタリと足を止めた。
そして今降りてきたばかりのエスカレーターではなく、真反対の方向にあるエスカレーターへと踵を返し、再び上のホームへ向かう。
駅舎の外では、生ぬるい風が轟々という音を立てて吹き荒れ始めていた。




