36話 再会、深緑に溶ける嘘 後編
《柳橋視点》
柳橋は遠ざかる可南の背中をいつまでも目で追いながら、まるで新しい獲物を見つけた捕食者のように不敵な笑みを浮かべていた。
「連絡先も教えねぇ、話にも乗らねぇ……これっきりにしたそうな割には甘いんじゃねぇの。俺の性格だって、覚えてんだろ? カナ」
誘いには乗らない。砕けた対応もしない。けれど、完全な拒絶を突きつけてくるわけでもない。
そんな中途半端な可南の態度に、柳橋の胸中には闘争心にも似た衝動が湧き上がっていた。
何か変だ。あいつは何かを隠してる。
その強烈な違和感が、柳橋の身体を突き動かしていた。
◆◇◆◇
本棚をいくつか隔てて、柳橋は可南たちの動きを監視していた。何やら二人で小声で話した後、別々の棚へと移動していく。どうやら手分けして探すことにしたようだ。桜が完全に一人になったタイミングで柳橋は素早く動いた。
財布の奥に無造作に突っ込んでいたレシートを取り出して、その裏面にペンで乱雑に自分の電話番号を書き殴る。それをしっかりと握りしめ、柳橋は桜のもとへと向かう。
「桜! 悪いんだけどあいつの電話番号教えて。桜のも出来たら知りたいんだけど」
「私のは別にいいけど……さっき可南君から直接聞かなかったの?」
「忙しいから後で桜に聞けって」
柳橋はにこやかに笑みを浮かべ平然と嘘をついた。
対する桜は、疑わしげに目を細める。高校の頃から今まで、もう十年以上可南の近くにいる彼女の目は、そう簡単に誤魔化せるものではなかった。
「え~? 可南君がそう言った? 本当に?」
「ん……お、おう」
「私、柳橋君とは絶交とかしたくないなぁ~❀」
ふんわりとした笑顔の裏にある、無言のプレッシャー。柳橋はたまらず降参の意を示すように両手を上げた。
「おいおい絶交って、極端だぜ。はぁ……そーだよ、桜に聞けとは言われてねぇよ。教えるとロクな事にならないって断られた」
「やっぱり~(笑)だったら私も教えられない、ごめんね」
「こっちも相変わらずフォローは完璧ってか。あいつとは上手くいってんの?」
「仕事は順調だよぉ。色々あるけどね」
「仕事じゃなくてお前らの方よ」
柳橋のそのセリフに込められた意図を計りかねたのか、桜は首を傾げた。
「??えーっと?……ん? 私たち別に付き合ってないよ?」
「え? 何で? てっきりあのまま続いてるのかと思った」
「あのままって、どこでそう思ったかわからないけど、可南君とは始まってもいないからね」
「そうなんだ?あ、じゃあコレさ、あいつに渡しといてくれない?それだけならいいっしょ」
柳橋は先ほどポケットにねじ込んだレシートを、桜へ手渡した。
「レシート……あ、これ電話番号? 渡すだけなら。でもその後は保証しないよ?」
「いいよ十分。サンキュ!」
目的を果たした柳橋は、ひらりと手を振りながら、元々一緒に来ていた友人たちのグループへと足早に戻っていった。
残された桜は、レシートに乱暴に書かれた数字を見つめながら、小さく息を吐く。
「なぁんか雰囲気が妙なんだよね。二人とも」
◆◇◆◇
《可南視点》
しばらくして、本を抱えた可南が戻ってきた。桜はすかさず、先ほど柳橋から託されたレシートを可南の目の前に突き出す。
「可南君~!、これ、柳橋君から❀」
可南はその紙を桜から受け取ると、ピラッと裏表を見てすぐに桜の手元へと突っ返した。
「本当に馬鹿なやつ。俺はいらないからそっちで捨てといて」
可南が桜を信頼しているのは、彼女のこういう所だ。柳橋がわざわざこんな形で番号を託してきたということは、桜が情にほだされず自分の連絡先を教えなかったということ。
誰にでも優しく接しながらも、きちんと境界線を引ける彼女の分別を、可南は高く評価していた。
ただ、一つだけ難があるとすれば。
「いらないって……せめてちゃんと受け取ってあげるのが筋だよ。電話をかけるかけないは自由だけど」
「それはおかしい。その紙は桜が勝手に受け取って来たのに」
「あんなに仲良かったのに何があったか知らないけど、私を間に挟まないで欲しいなぁ~。どーしても受け取らないならここで私が柳橋君に電話かけてあげるから自分の口から断って?」
口調は穏やかで、ニコニコとした笑顔も確かにそこにはあったのに、どうしてか可南の腕には鳥肌が立っていた。
こういう時に桜が求めている答えは一つしかない。それをクリアしない限り逃がしてもらえないのだ。
唯一の難、それは彼女のこの頑固さだった。
普段おっとりしている桜だが、一度スイッチが入った時の押しの強さは、社長である可南をもってしても、非常に手ごわい。そしてこうなった場合、大抵は可南の方が分が悪い。
「え、いま電話?………じゃあもらう」
「どーぞ♪おし、役目は果たせた~!」
満足そうに微笑む桜から、可南は苦々しい顔でメモを受け取った。どうせ使うことはないのだから、後でどこかに捨てればいい。可南はそれを小さく丸めると、ジャケットのポケットへと詰め込んだ。
その後、柳橋から渡されたレシートの切れ端は、桜の目を盗んで、昼食時に立ち寄ったフードコートのゴミ箱へと葬られた。
しかし、帰り道に再び桜から「あのメモちゃんとある?」と確認され、正直に「捨ててきた」と答えたところ、「ちゃんと持って帰りもしないなんて失礼だ」と、駅に着くまで可南は散々説教を喰らう羽目になった。
別に柳橋に対する負の感情はなかった。あだ名だって忘れていない。当時は息をするように互いの名を呼んで、「面白い」と感じたことのほとんどを彼と共有してきた。
無茶をしがちな自分のさらに上を行く無茶で、強引に自分を止める柳橋の馬鹿さ加減は、当時の可南にとって救いであり、同時に最大の恐怖でもあった。
だからこそ、手を尽くして卒業と同時に柳橋との縁を切ったのに、ここでまた繋がってしまったら意味がない。
するべきことが多い自分のようなタイプと関わらなければ、柳橋だって昔のように怪我をしたり危ない目に遭うこともない。自分の周りのゴタゴタにも巻き込まれずに済む。今も昔も可南はそう考えていた。
メモを受け取るか否か、電話をかけるか否か。そんな選択肢を選ぶ資格すら自分にはない。
ただ全てを「放棄する」こと。
それだけが今の可南にできる、唯一の友情の形だった。




