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変わらない明日を君と  作者: 夏露
第一章
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31話 崩壊の音色 後編

 会議室から部署へ戻った桐生篤史は、デスクを囲むチームメンバーへ指示を出しながら、ふと部屋の入り口に視線を走らせた。すると丁度あるものが目に入り、心の中で舌打ちをする。


 会議室で倒れてからまだ30分も経っていないのに、可南が何事もなかったように戻って来たのを見つけたからだ。


 可南の後ろから少し遅れて薫が部屋に入ってきた。篤史と目が合った瞬間、薫はひどく申し訳なさそうな顔をして、ペコペコと頭を下げた。


(あぁ? あいつ何してんだ? 押し切られたのか、ほんっとこういう時は使えねぇ……。あの人あんな状態で戻して大丈夫とでも思ったのか? その2つも付いてる目玉は飾りかよ)


 自ら動けない苛立ちもあり、篤史の心の中の声は急速に荒んでいく。そこへフロアのどこかから、凛とした木村珠希の声が響いてきた。


「旭君! 居た居た、ちょっといつまで待たせるの!」


「遅くなった、ごめん」


「ほら、書類全部持って来れないからそっちが来て! 行くわよ」


 ずいと距離を詰めてくる珠希に、可南は目を丸くした。


「え? なんでそんな量? どこに?」


「いいから来る」


「あ、はい。でもPCだけ取りに寄らせて、あと見ておきたい資料が」


「分かったから早くね」


 有無を言わさず、可南をグイグイと引きずるように連れさっていく珠希の背中を、篤史は呆然と見送っていた。


(あれ? 木村さんには事情話したよな。可南は休養室に寄らせるって……)


 事前に話を通していたはずの人物の予想外な動きに、篤史はしばし思考を巡らせるのだった。


◆◇◆◇


「あのー……どこまで行くつもり?」


「……」


 可南の質問を無視したまま、珠希は無言でその腕を引っ張り、引きずるようにして廊下を歩いていく。

 やがてある部屋のドアを開けるとずんずんと中に入り、わたわたとしていた可南をベッドへと放り込んだ。


「ちょっと何? こんな所に俺を連れ込んで。ムードも何もないんだから……せっかちだなぁー」


 乱れた金髪を直しながら軽口を叩く可南に、珠希は冷ややかな視線を向けた。


「本気で言ってるの?」


「あれ? そーいう事じゃないの? 違うなら俺戻るけど。こんなことしてる場合じゃないでしょ、何なの」


 ベッドから身を起こし、すぐに立ち上がろうとする可南を珠希は再び容赦なく捕まえた。そのまま、半ば押し倒すような形でベッドに寝かせる。


「……昼間から大胆だね、珠希」


「馬鹿じゃないの。その気もないくせに。体調管理が出来ない上に自覚もないわけ? そんな酷い顔で職場に居られても周りの気が散るだけ、迷惑だわ」


 珠希はすっと上着のポケットから小さな手鏡を取り出すと、可南の目の前に突き出した。しかし可南は視線を背け、鏡を見ようとはしなかった。


「桐生さんから聞いてるの。由良さん呼んで来るから寝てなさいよ」


「そこまでしなくていい。こんなの昔はしょっちゅうだった。そりゃ寝不足ではあるけど、それも今から始まったことじゃ……」


「迷惑だって言ってるでしょ! 今の立場でそれが許されると思ってるの?!」


 言い訳を並べようとする可南の言葉を、珠希は強い口調で遮った。


「あんたの一挙手一投足が、社員にも仕事にも影響する。サークル活動やってるんじゃないのビジネスしてるのよ?! 自覚しなさいよ!」


「……ごめん。俺の責任感と善意の欠如だ」


 ようやく真面目に「謝罪」を口にする可南を、珠希は複雑な眼差しで見つめた。張り詰めた沈黙の後、ぽつりと言葉をこぼす。


「……ねぇ、私に話したい事とか相談とか……何かあるんじゃない?」


「なに急に。話したい事? あぁ、えーっと……すみません、申し訳ない。決裁の件と、いつも書類提出期限ギリギリで報・連・相も出来て無いって確かこの前も言われて、あ、今思い出したけど来週のScene社との打ち合わせの日程変えた気が(ブツブツ」


「何ブツブツ言ってるのよ。まぁその辺の謝罪も必要ではあるんだけど、そうじゃなくて他には?」


「他に? 無いよ」


「はぁ……じゃあいいわ。一時間くらいしたら決裁要るやつ持ってくるから」


 やれやれと片手で髪をかき上げながら、珠希が休養室を出て行こうとする。その背中に向かって、可南は枕に頭を預けたまま声をかける。


「珠希」


「なに?」


「珠希は視野が広いから色々気になるんだろうけど、そうやって全部に気を回してたら君がしんどくなる一方だ。皆それぞれ大人なんだから自分の責任くらい自分でとらせればいい。じゃないと本人達も次も、俺だって育たないよ」


「『俺だって』ってふざけてるの??よくもまぁそんな事……というか、私は気を回してるとかじゃないの。そこからあんたはわかってないのよ」


「……分かってる。俺の役職だって、その為にある……うまく使って、珠希は好きにやればいいの、に」


「あのねぇ、今私の事はいいの。大体そんなんだからあんたに……」


 そこまで言って、珠希はハッとして口を噤んだ。

可南の瞼はいつの間にかしっかりと閉じられており、静かな寝息が聞こえ始めていたからだ。


(そんなんだから、あんたに一番手がかかるのよもう!)


 最近の可南は何かがおかしい。絶対何かが変なのに、この胸を這いずり回る違和感が何なのか分からない。分かりたいから気にしていると、こうして可南の方から逆に気遣われて煙に巻かれてしまう。


 募る疑問と違和感を、終わったことにして、無かったことにして……本当にこれでいいのだろうか。


 それでも、彼自身がそういう選択したのだと思うと、これ以上無理やり踏み込むことも出来ない。無いようで確かに存在する距離に、珠希は切ない寂しさと、一抹の不安を覚えるのだった。


◆◇◆◇


──数分前


(何でどいつもこいつも想定外の動きを……俺の言い方が悪くて伝わってないのか?早く可南を休ませないといけないのに)


 ようやく仕事に区切りをつけた篤史は、廊下を進みながら可南と珠希の姿を探していた。書類の確認作業というからにはオフィスのどこかに居るはずなのに、個室にもオープンスペースにも姿がない。


 そこで篤史はピタリと歩みを止めた。

 珠希は頭の回転が速い、機転も利く。自分の指示や話しが通じなかったことなど今まで一度もなかった。だとしたら、さっきの強引なやり取りは周囲に向けたただのフェイクで──。


 彼女が今の可南に仕事をさせるはずがない。ならば、向かった先はきっと一つ。

 確認めいた予想を胸に、篤史は休養室へ向かうと静かにドアに近づき耳をすませた。


「昼間から大胆だね、珠希」


 中から可南の妖しげなセリフが漏れ聞こえて、篤史は盛大に吹き出しそうになるのを何とか堪えた。このまま続きを聞いていいものかと一瞬悩んだが、すぐに珠希の辛辣な叱責が聞こえてきて、ひとまず胸をなでおろす。


「馬鹿じゃないの。そんな気もないくせに。体調管理が出来ない上に自覚もないわけ? そんな酷い顔で職場に居られても周りの気が散るだけ、迷惑だわ」


 言い方はともかく、珠希が可南を本気で休ませようとしていることは十分に伝わった。この雰囲気なら、いつも通り珠希が優勢だろう。篤史はようやく安心して息を吐くと、音を立てないようそっと自分の持ち場へと戻っていった。


◆◇◆◇


(というか、このクソ忙しい時に俺は何をしてるんだ……。こんな所まで付いて来て聞き耳まで立ててストーカーか? いやいや、上司の身は案じるものだよな? あんなに大崩れするなんて今まで無かったのに、何で急に)


 デスクに戻り、再びPCに向き合いながらも、篤史の思考は業務とは関係ないタスク処理をし続けていた。


 可南が社長という立場上、人より多くの重責を抱えていることは容易に予想できる。

 しかしあの人のポテンシャルを鑑みれば、それだけで簡単に潰れるような人だとも思えず、別に何か、彼を病ませる要因が他にあるんじゃないかと篤史は考え始めていた。


(龍さんも前、可南の様子が変じゃないかって言ってたし俺も調べて……。でも、あれ? これは過干渉か? 過保護か? それとも……執着……。俺が人に執着!?)


 自問自答の結果に驚愕する篤史。

 彼は自分が思うより遥かにさっきのハプニングで動揺しており、自分自身を見失っていることには全く気が付いていないのだった。


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