27話 花と共に隠して
大型連休最終日。一日中シトシトと降り続けた雨がようやく途切れたのは二十一時を過ぎた頃だった。
濡れたアスファルトを踏みしめながら、龍は早足でオフィスへと向かっていた。今日は出勤日ではなかったが、ある目的のためにわざわざスーツを着てこの道を急いでいる。
これまでの連休のパターンからして、この時間までオフィスに残って作業をしているのはあの人ひとり。タイミングが良ければ、ちょうど帰る準備でも始めている頃だろう。
オフィスにつくと可南の部屋を目指して歩みを進める。ようやく目的のドアの前に着くと軽くノックをして、返事を待たずに部屋を覗き込んだ。
「失礼します!お疲れ様です」
「!? 怖っ! 誰かと思った。こんな時間に何してるの? 今日休みだよね」
作業に没頭していたらしい可南は、突然の来訪者に肩を大げさなほどビクリとさせて驚いていた。少しばかり罪悪感を感じながらも、龍はさっそく話を切り出す。
「あ、すみません。えっと……もう帰れますか? 見てもらいたい所があるんですけど、10分だけ時間貰えませんか」
「急ぎの物はないから切り上げられるけど……見てもらいたい所? どこか行くの?」
「帰り道なんで寄るだけですよ」
可南は本当は断るつもりでいた。
けれど今の龍はどこかテンションが高く、声のトーンも驚くほど明るい。いつもとは違う部下の様子に、自分に一体何を見せたいのかと、可南の中にわずかな興味が湧いた。それに、普段の落ち着いた調子ならいざ知らず、この楽しげな様子の龍の申し出を断るのは何となく気が引けた。
「……いいよ。消灯確認と戸締りするから待って」
「はい。じゃ俺が右半分見ますよ」
二人は手際よくオフィスの明かりを落とし、連れ立って歩き出した。
会社を一歩出ると、龍は心なしか急いだ様子で言葉をかける。
「時間が微妙かな……疲れてる所すみませんけど手ぇ失礼しますよ!」
「時間? ん、えっ? 手って」
可南が戸惑っていると、前を行く龍が振り返って左手を後ろへと伸ばした。そうしてサッと可南の右手を取り、大股で歩き始める。
大人と子供ほどの体格差、二人のリーチの差はあまりにも大きかった。龍の大きな歩幅に合わせようとすると、可南は自然と半分小走りのようになってしまう。
「速いよ?!ねぇ、ちょっと……!」
抗議の声を背中で聞きながら、龍は繋いだ手を離さないまま目的の場所へと急いだ。
◆◇◆◇
「ここです」
「はぁ、ちょっと待って……え、人多っ!」
ようやく息を整えた可南が顔を上げて驚きの声をあげた。
普段通る道から一本外れた道のその先には、地域でも大きめの大型ショッピングモールがそびえ立っていた。店舗の周囲をぐるりと囲むように手入れされた広大なガーデンがあり、昼間は買い物客だけでなく、四季折々の花や木々を楽しむ人々がよく散歩に訪れる場所だ。日が暮れた後も電飾が綺麗に施されているため、この時間でも普段からちらほらと人通りはある。
そう、普段だったら、それだけの場所のはずだった。
「凄い……綺麗だ」
「今日の二十二時で終わりなんすよ」
今夜のガーデンは全く違っていた。
普段以上に贅沢なライトアップが施され、夜の闇の中でもはっきりと花の色が判別できるほどに輝いている。
美しく整えられた花壇にはガーベラやネモフィラ、ルピナスが鮮やかに咲き誇り、所々に植えられたハナミズキも今を盛りに満開の花を咲かせていた。
そして、それらを縫うように敷かれた歩道には、息をのむような光景が広がっていた。
「プロジェクションマッピング!雨の効果で一段と水面の映像がリアルに見えるな。へぇ~、鯉が泳いでる!何で鯉なんだろ?」
可南は目を輝かせ、キョロキョロと周囲を見回した。時にはしゃがみ込んで地面を見つめたり、光の魚にそっと手をかざしたり。興味深そうにのぞき込む仕草はまるで子供のようで、後ろで見守る龍はついつい口元が緩んでしまう。
「GWにはこどもの日があったでしょう?だから鯉。去年の冬からココでたまにイベントでやってたみたいですよ。冬は星をテーマにした3Dプロジェクションマッピングが見られたとか」
「こどもの日……それで鯉か。すごいな。これマッピングとモーションのソフトは何使ってるんだろう。3DCGもやるって事はさ」
「こんな所でわざわざ仕事しないでいいですよ?」
「確かに。職業病だ(笑)映像凄いなー……範囲が広いし池の上歩いてるみたい。ちょっと一周しようか」
二人で話しながら歩き出すと、ヒュッと冷たい夜風が通り抜けた。昼間はあれだけ暖かくても雨上がりの五月の夜はまだ肌寒い。
身をすくめ、ジャケットの上着を閉じ始めた可南の様子を見て、龍はそっと右手を差し出した。今度は強引にではなくちゃんとお伺いを立てる。
「どうぞ。カイロにも負けてないですよ?」
その手のひらを見つめ、可南は呆れたように笑うと拒むことなく龍の手を取った。
「今日はありがとう。いい刺激になった」
「こういうの興味ありそうかなと。気晴らしになったなら良かったです。そういえばここの花も僕らに合うんすよ。これなんてまさに貴方ですから。花言葉とかは知ってます?」
龍は歩道の足元で照明に優しく照らされている、ある花を指差した。
「この花何だっけ。えっと……そう、ガーベラだ。"前進"と"希望"の意味があるからよく祝い事に使う」
「さすがですねぇ。"常に前進"貴方みたいでしょう?」
「……そっか」
可南は少し照れくさそうに、そしてなぜか少し困ったように花を見つめた。
二十二時の消灯までは、本当にあっという間だった。
現在何連勤しているか分からない可南を、これ以上連れ回すわけにはいかない。
名残惜しさを覚えながら龍たちは帰路についたが、次第に人出が多くなる駅の直前で龍がそっと手を離すまで、可南の側から手を解こうとすることはなかった。
そのことがまた龍の心に小さな期待を抱かせる。
あのガーデンで龍はあえて「ここの花は『僕ら』に合う」と言ったが、可南は龍に合う花がどれなのかを尋ねなかった。
あの色鮮やかで力強く咲くガーベラが可南に合うのだとしたら、龍に合うのは頭上で淡くひっそりと花を咲かせていたハナミズキだった。
でも、もしあの時「龍に合うのはどれ?」と聞かれたとして、ちゃんと答えられただろうかと龍は思う。なぜならハナミズキの花言葉は、未だ口にすることの出来ない龍の秘めた願いそのものだった。
──私の想いを受け取って下さい
聞かれなかったことに寂しさを覚えながらも、龍はどこかホッとしていた。




