26話 忍び寄る違和感
【須藤凪と桐生篤史の出勤日】
ゴールデンウィーク。
世間が連休ムードに包まれる中、オフィスのフロアはいつもよりずっと静かだった。
普段なら誰かしらの話し声や、慌ただしく行き交う足音が響いている場所も、今日は数えるほどの社員しかいない。広い空間に並ぶデスクの列が、妙に広く感じる。
その静けさの中で、須藤凪はふと隣の席へ視線を向けた。
「今日、旭さんって一日居ます?」
デスクでキーボードを叩いていた桐生篤史は、一瞬だけ視線を泳がせ手を止めた。
「……居る。スケジュールにも書いてるでしょ。少し前まで大口の顧客への新年度の挨拶と打ち合わせが入ってて居ないこともあったけど、先週くらいからは概ね社内に居る。GWも全日居るよ」
「全日……。あの方がレジャーの予定入れてないなんて意外な感じがしますね。というか、今の『間』は何ですか?」
凪の鋭いツッコミに、篤史は苦笑しながら眼鏡の位置を直した。
「いや、ずっと居るんだけど何か立て込んでるみたいで」
「あ~、そうなんですね。そういえば決裁済の書類はちゃんと回ってますし。全然フロアで見かけないから、てっきり……あ、朝はたまに見るかな」
「用事あるなら、部屋に直接行くといいよ」
「部屋!? 旭さんの部屋なんてありましたっけ?」
驚いて目を丸くする凪に、篤史はペンを回しながら説明を続ける。
「あるよ。普段はあの人『みんなの様子が知れた方が良い!』とか言って、その辺のオープンスペースで仕事してたから、みんな部屋の存在を忘れてると思うけど」
「……あ! あの一番奥の部屋でしたっけ? そういえばありましたね」
「そう。最近はそっちに居る」
「特に急ぎの用事ってわけじゃないんですけど、いらっしゃらないとフロアが静かだなぁって」
「それは分かるな(笑)」
普段の可南の賑やかな存在感を思い出し、二人は同時に顔を見合わせて笑った。
「後でコーヒー差し入れしてきます! 修羅場的な感じでは無いですよね……?」
「うん。そんな怯えなくても、テンションは普通だよ」
「よかった。普段あんなでも、気が立ってるときは怖いので(苦笑)」
「あんな、って」
無邪気の皮をかぶった凪は、今日もさりげなく強烈な毒を吐いていた。それを微笑ましく受け流しながら、篤史は再び画面へと視線を戻したのだった。
◆◇◆◇
【染井薫の出勤日】
今年のGW出勤は、ありがたいことに一日だけで済んだ。
しかも今日の相方が篤史だったので、精神的にもかなり楽だった。ポツポツとしか人がいないオフィスは静まり返っていて、通常の休日出勤にあるようなピリついた殺伐さも無かった。
(昼飯どこで食おうかな……こういう時ってオフィス街は閑散としてるし)
昼休憩の時間になり、薫はのんびりと廊下を歩きながらスマホで近くの飲食店の情報を調べていた。すると、廊下の向こうからどこかの部署から戻ってきたらしい可南が歩いてくるのが見えた。
「お疲れ様です、今回全日出勤なんですね」
「お疲れ。家にいても結局あちこちから電話が来るんだから来てた方が良い」
可南はいつも通り淡々と、けれどどこか少し疲れたような顔で答えた。
「こっちは有り難いですけど大変ですね。あ、あとすみませんけど、また修理を頼みたいものがあって……手間賃奮発しますんで!」
先日のゲームコントローラーの件もあり、薫はここぞとばかりに甘えて話を振ってみた。しかし、可南の薄紅色の瞳がスッと冷たく細められる。
「薫さん、いくら休日だからってたるみ過ぎだ。今する話じゃない」
「! すみません、そうですよね……つい」
普段なら「いいよ、何?」とあっさり乗ってくれるはずの上司の、思いがけない拒絶に薫が思わず直立不動になって縮こまると、可南は小さく息を吐いた。
「で?ものは何」
「あ、えっと……3DSのパッドがもげて」
「また懐かしいのやってるね。いいよ、預かるから持って来て」
「自宅に伺いますよ。また報酬に飯だの家事だの言うんでしょ?」
いつもの『わがまま勝手な可南』のノリに戻ったのだと思い、薫がホッとして軽口を叩くと、可南の起伏のない声色が返ってくる。
「来なくていい。今回はサービス」
「え?! なんか怖いっすね。あ、じゃあ今日の昼食代出しますよ」
「まだ行かない。じゃ、いつでもいいから持って来て。俺居なかったら個室のデスクに置いてくれればいいから」
そういうと、可南は薫の返事を聞くこともなく自分の部屋へと戻ってしまった。廊下に取り残された薫は、その背中をぽかんとして見送る。
(あ、凪君が言ってたの本当だったんだ。最近可南さんが部屋に籠ってるっていう話)
いつもならフロアをあちこち動き回って、みんなをかき回しているはずの人が閉じこもっている。
一箇所にジッとしてるなんてそんなことが出来たのかと、頼みごとをする割には失礼な事を思っていた薫だった。
◆◇◆◇
【桐生篤史の出勤日】
「桐生さん……これとさっきのやつと、その前のはまとめて持って来れるよね。こんな一時間置きに来られても気が散る。あとメールで済むのはそっちにして」
社長室デスクのその人から、温度の低い声が響く。
可南の表情には、いつもの冗談を飛ばしそうな雰囲気はなかった。手渡された書類の束を受け取りながら、篤史は自分なりに正当だと思われる理由を述べた。
「指示が滞ると支障が出るので、その都度伺いました」
「今までそんな効率悪いことしてなかった」
間髪容れずに言い捨てられ、篤史は一瞬だけ言葉に詰まる。
「そうでしたか?」
「桐生さん、俺はお願いしてるんじゃない。命令してる」
威圧を含んだような語気の変化に篤史は小さく息を吐き、それ以上の反論を諦めて頭を下げた。
「……わかりました。失礼します」
静かにドアを閉め、静まり返った廊下に出る。
篤史はファイルごと書類を抱えたまま、妙な焦燥感に小さく眉をひそめた。
(なんだか……うーん? 気のせいか)
先日、薄暗い資料室で可南の不調を目にしてから、頻繁にこの部屋へ足を運んでしまっていた。
特に意識して「心配だから様子を見に行こう」と考えているわけではないのが、自分でもタチが悪い。本当に無意識のうちに訪問回数が増えている。
可南に言われた正論はもっともだと、頭では十分に分かっていた。自らの限りあるリソースを非効率的に消耗するなんてあり得ないことだ。
(変なのは俺だな。確かに効率も悪いし、うん)
可南の取り付く島もない態度を思い出し、篤史はふっと自嘲気味に口元を綻ばせた。過保護がすぎて相手に煙たがられては世話はない。
一度休憩して気持ちをリセットしてから仕事に戻ろうと、篤史は休憩所へ向かった。
無意識下では旭に対する執着心と理性がせめぎ合っていたが、当の篤史には知る由もなかった。




