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変わらない明日を君と  作者: 夏露
第一章
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18話 表裏一体

 全館暖房が入っていても、冬のオフィスの廊下はどこかひんやりとした空気が漂っていた。


 黒瀬龍が自動販売機で缶コーヒーを買っていると、背後から軽やかな足音が近づいて来て、聞き慣れた声が飛んできた。


「お疲れ! 顧客も増えたから今そっち大変でしょ」


 振り返ると、そこにはどこか楽しげな笑みを浮かべた旭可南が立っていた。龍はガタイのいい身体を少しすくめ、小さく苦笑を返す。


「ええ、まぁ。でも、年末年始のあの忙しさに比べれば全然っすよ」


「あぁ、確かにね。リリースまでこのまま行けば来年度はいいスタートになりそうだから、もう少し頼むね」


「はい」


 可南の言葉通り、会社の業績は今恐ろしいほどの右肩上がりだ。その中心でこの人は文字通りエンジンのごとく動き続けている。龍はふと、思った事を口にした。


「それにしても好調ですねぇ。最近の可南さん、エネルギッシュで活き活きしてません?」


「俺? 当然でしょ、誰に向かって言って……って、何で今笑ったの?」


「いえ……まぁ良いじゃないですか。何よりです」


「?」

 

 柔らかい表情を向けてくる龍に、可南は不思議そうに小首を傾げた。


 龍をよく知らない社員たちは「黒瀬は強面だし表情が変わらないから何を考えているか分からない」などと言うが、可南から見ればそんなことはない。龍はよく笑う男だ、と可南は思っている。


 ただ表情筋の変化が少ないだけで、やんわりとほころぶ口元も、緩く下がる目尻と眉尻も、ちゃんと見ていればその変化はすぐ分かる。

 そう、ちょうど今もそうだ。


「今いい季節だから」


 ポロッと可南の口からそんな言葉が零れ落ちた。


 ──あっ。


 言い終わってすぐ、可南はしまった、と思った。


 可南にとって「季節がいい」とは、幻聴のトリガーとなる突発的な台風やゲリラ豪雨が来ない、という意味だ。この身に染みるような寒さも積雪も、豪雨のように『恐怖』は連れて来ないから。


 雨音が駄目だと話してしまったあの夜。可南は龍に「この事は忘れていい」と言った。なのに、自分からこんな風に『雨』を連想させるような言葉を口走ってしまえば、彼は必ず深読みをして、俺の過去も弱音も全てまた抱えようとするだろう。


 (話を変えないと──)


 そう考え、別の話を振ろうとしたのだが


「そうっすね、過ごしやすいし集中出来ます。テンションの維持は容易ですかね」


 龍は何を気にするでも無く、ただ単に「過ごしやすい気候だ」と素直に同意してきたのだ。


 あまりにも普通の返しに、可南は拍子抜けしてしまう。言葉通りに受け取られたのならそれでいい。内心ホッと胸をなで下ろし、可南はいつもの勝気な笑顔を浮かべた。


「ま、俺はいつでも勝機を探ってるよ」


 何かを楽しんでいるような、好戦的な瞳が龍に向けられる。龍はその薄紅色の瞳をじっと見つめ返すと小さく笑って前を向いた。


 確かに、この人はいつもこうして前進し続けていた。まるで月のように明るく光る表面しか見せないから、その裏側も同じように光り輝いているのだと、龍もかつては信じて疑わなかった。


 しかし人間誰にだって裏と表はある。理由はどうであれ、この人を慕いながらも影でコソコソと過去を嗅ぎ回る自分もそう。

 人である限り、清廉で在り続けることなんて出来ない。


 龍には分かっていた。

 さっきの可南の「季節がいい」という言葉は「雨が降らないからいい」と同義だということを。けれど、龍は以前望まれた通り忘れたフリを突き通した。


 荒んだ心を押し殺し、この人がどれだけの精神力でこの圧倒的なパフォーマンスを維持してきたのかを知ったから。龍はその見栄もプライドも守るべきだと思っていた。

 そうして改めて、旭可南という男が持つ本来のバイタリティの高さに、龍は畏敬の念を抱くのだった。


 そんな龍の内心など微塵も知らず、可南は何かを思い出したようにポンと手を叩いた。


「そうだ、今度薫さんとスキー行くんだけど、龍さんもどう? スキー出来たよね?」


「ええ。俺はボードもスキーもどっちでもいけますよ」


「薫さんスキーだけだから、スキーヤー限定のとこ行こうかって話してて」


「いいっすね。数年ぶりなんで最初滑れないかもしれませんが」


「教える教える! 俺今年3回目だから。で、1泊? 2泊?」


「いや、2泊はちょっと……。土日朝から滑ってたら、俺月曜に使い物にならないっすよ」


「えぇ? 薫さんもそう言ってたけど行くなら2泊でがっつり滑りたくない?」


「今回ブランクがあるんで」


「分かった。じゃあ今回は1泊で手配しよう」


 そこまでは大方の予想通りだった。しかし、この人の恐ろしい所はここからだった。


「次のボードの時は2泊でいいってことね。ボードなら珠希たちも誘ってみよう。人数多い方が楽しそうだ。今のうちに聞いて……と」


 可南の指先が、目にも留まらぬ速さでスマホの画面を叩き、流れるように社内LINEへメッセージを送信していく。


「えっ? ボードも同じくブランクありますけど? ?何なんすかその手回しの速さ。本当にフットワーク軽いっすね」


「それが俺のウリみたいなもんだから♪」


 可南は悪戯っぽく笑った。

 仕事でもレジャーでも、企画を練っている時のこの人は本当に楽しそうで、周囲の人間はいつもこの圧倒的な勢いと熱気に巻き込まれてしまう。


 かくして、可南の超迅速な手配によってあっという間にスキー1泊2日とボード2泊3日の予定が確定した。

 プロモーションや勧誘の巧みさも相まって、参加人数も当初の予定の倍以上が集まることとなり、後日賑やかなウィンタースポーツを満喫することになる一行であった。


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