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変わらない明日を君と  作者: 夏露
第一章
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16話 初詣と幼馴染

──1月某日


 キィンと凍りついた早朝の空気を震わせるように、無機質なインターフォンの音がマンションの廊下に響き渡った。


ピンポーン


 返答はない。ほんの数秒の静寂がひどく長く感じる。イライラした様子で高木慎はもう一度インターフォンへ手を伸ばした。


ピンポーン


「……おい。今日、可南いるんだよな?」


 気の強そうな眉をこれ以上ないほど不機嫌そうに寄せて、慎は硬い声で隣にいる女性に呟いた。茶色いおかっぱ頭を半分ほどマフラーに埋めた秋葉翠が、白い息を吐き出しながらスマホの画面を見つめる。


「初詣行くよって昨日も確認したし、居るはずなんだけど……慎くん、鍵は?」


「今日ないわ。もう一回電話かけてみて」


「うん」

 

 慎と翠は可南の幼馴染であり、家が近い慎と可南は互いの家の鍵を交換して持っていた。

 当然今日も、慎が鍵を持って来ていると思っていた翠は当てが外れてしまい、仕方なく画面をもう一度タップした。


 かすかに漏れ聞こえる電子音が二人の間の緊張感をじわじわと高めていく。


「……今、呼び出してるよ。中から聞こえる?」


「いや、わからん。聞こえない」


 ただの寝坊、もしくは正月早々の風邪、あるいは泥酔──それなら時間が経てば「人騒がせな奴だな」と笑い話にできる。いつも通りならそれでいい。


 しかし、二人の脳裏にこびりついて離れないのは、一昨年の「あの日」の光景だ。


 あの日も、今日と同じように約束の時間に可南が現れなかった。当時から仕事が忙しいのを知っていた二人は心配になり、慎が持っていた合鍵を使って部屋に突撃したのだ。


 リビングで泥酔したように倒れ伏して、いくら起こそうとしてもピクリとも動かない可南。

 奇妙な状況に二人がおかしいと思い始めた頃、慎と翠の目は可南の腕に釘付けになった。いつも肌身離さず着けていたリストバンドが、その時は外されていた。


 露わになっていたのはあまりにも生々しく、痛々しい傷跡。翠は言葉を失い固まったが、慎はすぐに動いた。サッとあたりを見回してテーブルの下からリストバンドを取ってくると、すぐさま可南の腕につけた。


 可南の性格を考えれば、これは絶対に見られたくない、知られたくないことのはず。――言葉にしなくても二人の想いは共通していた。慎と翠は互いに顔を見合わせて頷く。

 そうしてその時見たものを見なかったことにして、二人だけの秘密にしてしまった。


 ──もし、あの日のようなことがまた起きていたら。いや、あの時以上の最悪な結果になっていたら……。


 二人の脳裏に最悪な映像がちらつき始める。慎はたまらず鉄製のドアに拳を叩きつけた。


──ドンドンドン!


「おい可南!いるか!?」


「ちょっと!声おさえなきゃ、慎くん」


 近所迷惑だと分かっていても、ドアを叩く手は止まらない。慎の顔はすでに焦燥感に支配されていた。


「いるんだろ?!開けろって!」


──ドンドンドン、ドンド、


 何度ドアを叩いただろう。そろそろ他の住人からの苦情が来そうだと思い始めた頃、ようやく内側から微かな物音が聞こえた。

 カチャ……と鍵が回る音がして、ようやくこの部屋の主が姿を現した。


「うるさ……近所迷惑だからそれやめて」


 扉の隙間から現れた旭可南はひどく眠そうに、そしてひどく眩しそうに目を細めていた。


「居るじゃん可南くん!」


「寝坊かよ!お前がさっさと出ればいいだろ!」


 そう怒鳴りつける慎の顔には場違いな必死さが滲んでいた。その剣幕をいなすように、翠が可南の背中を押して室内に滑り込んだ。


「さ、二人とも中入ろう!ここじゃうるさいよ」


「ん……ああ、そうか……翠ごめん、初詣」


「いいよ、疲れてて起きられなかったんでしょ?」


 だるそうにリビングに向かって歩き出す可南の背中に向けて、翠は何かためらうような、ホッとしたような複雑な笑みを浮かべて言葉をかけた。

 そんな二人のあとに続いて家に上がりながら、慎がドスの効いた声を投げつける。


「お前俺にも言うことあるだろ」


 声だけ聞けば、そこにはトゲトゲとした怒りと苛立ちしかないように思える。けれど、玄関のドアを開けた直後のほんの一瞬、慎が泣き出しそうな顔をしたのを可南は見逃さなかった。

 また迷惑をかけたな、と可南の心はチクリと痛む。


「……」


「無視かよ!」


 可南は歩みを止め、小さく息を吐き出した。ゆっくりと振り返り、まっすぐに慎の茶色い瞳を見つめる。


「ありがと、慎」


「っ……!」


 不意を突かれたように、慎の顔が歪んだ。拳を握りしめ、行き場のない感情を誤魔化すように顔を背ける。


「……礼を言えばいいってもんじゃねぇんだよ、毎回お前は」


「はいはいそのへんで! 新年早々揉めるのは無し無し、福が逃げるよ」


 割って入った翠の声に被せて、慎はなおも続けようとする。


「お前もだろ翠! お前だってまたあの……っ……」


 ──またあの日みたいに、こいつが傷だらけで倒れてたらどうしようって思ってたろ。


 言いかけて、慎はハッと口をつぐんだ。二人の視線が彼に集まり、さっきまでの喧騒が嘘のように廊下には沈黙が広がる。


 慎と翠が二人で埋めた過去の地雷。それを自ら踏み抜いてしまうところだった気まずさと、それでも収まりのつかない苛立ちで慎はガリガリと頭を掻いた。


「……わり、俺帰るわ」


「慎くん!」


 引き止める翠の声には応えず、ドスドスと荒々しい音を立てて慎が玄関から出ていった。


 言われっぱなしになっていた可南は、彼の背中に言葉をかけることもなく、ただ静かに翠へソファーに座るよう促した。


 少し呆れたような顔をした翠が、何か言おうと唇を動かす。しかしそれより早く、可南の口から呟きが漏れた。

 

「分かってる。俺の言動が慎にああ言わせてるんだ」


「はぁ~。まぁ、可南君がオフの日に半日以上連絡つかない時って、大体なにか起きてるもんね」


「う……そんなにないよ。前回はほら、一昨年の二日酔いで、その前は6年前の風邪でしょ?」


「頻度とかそう言う問題じゃなくてさ。なんて言うか……」


 奥歯にものが挟まったような、何かを言い淀む翠の話し方に、可南の胸の奥が再びチリチリと痛む。


 もうさっきからずっと、腫れ物を扱うように気を使われている。あの慎だって、口は荒いが性根は優しい奴だ。ただ連絡がつかなかっただけで、二人とも息を切らして来てくれた。


──いつだって、二人は優しい。


 一昨年の、あのたった一晩の俺の油断が、二人の心に消えない不安の種を植えつけてしまっている。


 酒と薬を過剰に摂取して潰れてしまった事を隠し、二日酔いだと言い訳をしたあの日。二人の表情はどこか不自然でぎこちなく、少し苦しそうに見えた。

 自分の存在が二人の何かを、平穏を狂わせた。


 だから──同じことは繰り返さない。俺は演じなければならない。


「俺は大丈夫だって!心配し過ぎじゃない?たまに仕事が忙しすぎるだけだよ(笑)」


 俺はいつから、こんな真面目な顔をしながら嘘がつけるようになったんだろう。

 ……いや、違う。口にする言葉を、その瞬間は嘘偽りのない真実だと思い込めるようになったんだ。俺は「普通」で君の憂いは杞憂だと。


「………うん。……本当に? 本っ当にホント?何か心配事とか、困ってる事もないのね?」


 翠が人の顔を覗き込むようにし、疑心が過積載気味の声で何度も何度も確認してくる。


「信用ないな。今日は寝過ごしただけで本当に何もないし普通だって」


「うーん……そう、だよね。たまに派手に羽目を外しちゃうだけ……だよね?いや、それもなんとかしよ。可南君もういい大人なんだよ? 周りも……心配しちゃうし」


「分かった……分かってるよ」


「でもそういう姿見ると全然変わってなくて、とても取締役様には見えないよね(笑)」


「……翠は相変わらず遠慮がないな。慎には後でちゃんとフォロー入れるから」


「うん、そうして」


 当たり前のように、翠に合わせて自然な笑顔を浮かべると、彼女の肩の力も抜けてようやくいつもの雰囲気に戻った。


「ねえ翠、今からでも初詣行こっか」


「大丈夫?家でゆっくりしてもいいよ」


「ううん。俺が行きたいんだ。おみくじ、今年は翠よりいいのを引く!」


「え?翠様の運気に勝てる気でいるの?可南くんは今年も無謀だなぁ(笑)じゃ、行こうか。服、用意してあげるね」


「いや、待って?いくら寝起きでも服は自分で出せるから」


 翠はわざとらしく意外そうな顔をして「本当に?」と言うとケラケラと笑った。俺もつられてクスリと笑う。


 本当は、安心なんて約束出来ないのに、そんなことは、今この瞬間の「普通」の俺にはどうでもいいことのように思えてしまった。


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