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変わらない明日を君と  作者: 夏露
第一章
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15話 暁闇

 柔らかい朝陽がカーテンの隙間から差し込んでいる。可南が目を覚ますと、トーストとベーコンの香ばしい匂いが寝室に漂っていた。


「おはようございます。勝手に朝メシ作りましたけど……ご気分は?」


 ラフなTシャツ姿の龍がひょっこりと寝室に顔をのぞかせる。可南は枕元のリストバンドとチョーカーを手に取り、いつものように着けてから短く答えた。


「いいよ。迷惑かけて悪かったね」


 その声は、いつもと変わらない「旭可南」のものだった。ベッドから立ち上がった瞬間、軽い浮遊感に襲われて壁に手をつく。龍が慌てて駆け寄ろうとするのを片手で制し、リビングのテーブルへ向かった。


 薬が翌日まで残るようになったことも、昨夜何をどれだけ飲んだか記憶にないことも、もう今の可南にはどうでもいいことだった。


 カウンター越し、慣れた手つきで皿に盛り付けをしていく龍の手元を見て、可南は思わず笑ってしまう。


「どこのホテルのモーニング? ハムとサラダの大盛りはまだいいとして……これに、何でペンネが。パンあるじゃん」


「ゆで卵もそこに」


「それ全部ゆで卵なの?……ねぇ、何人分想定してる? 二人しかいないんだけど」


「さ、冷めるから食べましょう……あ、スクランブルエッグは要ります?」


「いや、いいよ。だって卵は5つも茹でたんでしょ?人数と量が合ってないんだよなぁ……。まぁいいや、いただきます」


 フォークを動かしながら、可南はあえて軽いトーンで尋ねた。


「ところで、龍さんはどうしてうちに?」


「ああ。貴方の資料ファイルを間違えて持って帰ってたので届けに……そういやどこ置いたっけな」


 龍はしばらく考えて、思い出したように玄関に向かい、資料ファイルとすっかり常温になった酒の袋を持ってきた。


「週末使うだろうなと思って。酒は冷蔵庫入れときますよ」


 当たり障りのない会話をしながらも、可南は察していた。龍が昨夜のことに関して、何かを言おうとタイミングを慎重に窺っていることを。

 可南はちらりと時計を見て、わざとらしく呟いた。


「色々ありがと。あとは俺がやるよ。今日は出なきゃいけないし」


 あからさまな"帰れ"の合図に、龍は少しだけ肩を落とした。


「……忙しいっすね。じゃ、俺も帰りますわ」


 龍は玄関へ向かい、靴を履いた。

 そのままドアノブに手をかけて一呼吸置くと、振り返らず背を向けたままゆっくりと話し始める。


「……俺に何が出来るのか、ずっと考えてるんですが」


 やっぱりな、と玄関に見送りに来た可南は小さくため息を吐いた。


「少し喋り過ぎたね。俺は大丈夫。むしろ巻き込んでしまって申し訳なく思ってる。朝が来れば、こうしていつも通りだ。昨日のことは忘れていい。今後は気を付けるよ」


 酒も薬も、もう自分では制御できなくなっているくせに平然と嘘を吐く。でもあながち嘘でもない気もしてくる。なぜなら自分は、まだこうして生きている。


 今生きているなら『大丈夫か、大丈夫じゃないか』なんてどうでもいい事じゃないかと可南は心の中で自嘲気味に笑った。

 その心を読み取ったように、龍がこちらに向き直る。


「自分、今どんな顔して喋ってるかわかってます?」


 その瞳の強さに警戒した可南は、さらに軽い調子を装った。


「ふふっ、本当に扱いづらいなぁ。知りたがりな君の好奇心は満たされたでしょ? それで満足しておくべきだ」


 言うやいなや、くるっと踵を返してそのままリビングに戻ろうとする。


 本当は、好奇心なんかではないと分かっていた。昨夜の記憶の中で思い出す龍の表情は、どれも泣き出しそうなくらい切羽詰まっていた。だからこそ、この先自分がどうなっても誰も負い目を持たなくていいように、ここで距離を戻しておきたかった。


「無駄なんですよ」


 リビングに入る手前で、可南は足を止める。


「……何が?」


「そうやってすぐ距離を置こうとするのは貴方の癖なんでしょうけど……」


 後ろで龍が靴を脱いだ音がした、と思った直後。


 可南は背後からしっかりと抱きしめられていた。胸元に回された龍の腕は、昨夜と同じ、その体躯に見合わず優しくて温かかった。


「俺はもう引き下がらない。昨日俺が言ったこと、覚えてます?」


「……今日は帰って」


「あれだけはどうか……忘れんで下さい」


「帰れっ!!」


 今まで聞いたこともない可南の鋭い怒号が静かな部屋に響いた。


 龍の身体がビクリと強張る。けれど言い返しはせず、最後にほんの少しだけ回した腕に力を込めてすぐにその身体を離した。

 

 肝心な時に相手に求められず、必要ともされない。自分独りが藻掻いているような虚しさを背中に滲ませて、龍は家を後にした。


 パタン、とドアが閉まる。

 一人廊下に立ち尽くしながら、可南はようやく考え始めていた。


 なぜ龍にすべてを話してしまったのか。なぜ、彼の腕を振り解けなかったのか。

 どうしてこんなに胸が痛むのか、その理由を。


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