12話 静かな炎、キャンプ場では火の用心? 後編
──20分後。
龍から連絡を受けた凪が血相を変えて駆けつけてきた。彼の持ってきたロープを使い、土と落ち葉まみれになった可南がようやく山道へと引き上げられた。
「んー、貴重なサバイバル体験だった!」
「可南さん、葉っぱがすごいですよ……。倒木や岩に当たらなくて良かったですね。あ、腕、ミミズ腫れになってるじゃないですか」
凪が顔を青くしながらパタパタと可南の服についた落ち葉や土を払い落とす。
「本当だ!なんかさっきから痛痒いと思ったら。まぁ、これだけ植物が茂ってたらこうなるよね」
可南は腕を軽く掻きながらヘラリと笑った。
その姿を黙って見つめていた龍は、無言のまま数歩前に出ると手に持っていた帽子を可南に差し出した。ついさっきまでの取り乱した様子は消え失せて、今の龍は静かに、でもどこか不機嫌なオーラを纏って立っていた。
「ああ、帽子! ありがと」
可南はそれを受け取ろうとして手に持った。持ったのだが、なぜか龍の手は帽子のツバをグッと握りしめて離さなかった。
「……何で」
「?」
「何であんな自分の身を投げ出すようなことをするんすか。大事にならなくて良かったものの、もし……もし何かあったら」
低く震える龍の声に、可南は一瞬だけきょとんとした顔をしたが、すぐに困ったような笑みを浮かべた。
「ああいう時に考えてから動く人なんていないでしょ。気づいたら体が動いててこうなってただけ。でも、あえて理由をつけるなら……」
「……?」
「俺は俺のやり方で、大事な人を守るって決めてるから。……なんて言ったら、さすがにクサ過ぎる?」
照れ隠しのように茶化す可南に、凪がすかさず呆れた声を被せる。
「はいはい、また可南さんはそうやって格好つける。というか、本当にもうちょっと自分の体を大切に考えて下さいよ。一歩間違えたら大騒ぎになるところですからね!」
「確かに、今回は少し軽率だった。良くなかったね、次はもっと早く枝を掴む!」
「枝を掴む掴まない以前の問題ですよ?」
「あ、そういう感じ?(笑)」
分かったような分からないような返事をしている可南の後ろ姿を見つめながら、先程から龍は胸がジワジワと熱く、そしてゆるく締め付けられるような感覚を覚えていた。
(この人は、本当に今でも他人のために……)
入社したばかりの、まだ使い物になるかどうかも分からないただの新人だった自分を信じ、可南がその身を挺して理不尽から守ってくれたあの日の記憶が鮮明に蘇る。
あの時からずっと、この人は何も変わっていない──。
◆◇◆◇
──数年前
『今回のシステムバグの件、取引先に多大なご迷惑をおかけして、本当にすみませんでした……。プロジェクトの引き継ぎ仕様書は早急にまとめますので、退職の手続きを……』
脳裏に蘇るのは、重苦しい雰囲気に満ちた静か過ぎる社長室。
大手の取引先から責任を擦り付けられ、社内からも見た目だけで犯人扱いされていた自分に、今よりさらに若かったこの社長は開口一番『君から直接話を聞きたい』と言った。
いつだって自分を守れるのは自分だけだった。自分の尊厳が脅かされないように、必要以上に周囲と関わらず生きてきた俺に、可南は『君を信じる』と笑い、こう続けた。
『僕は僕のやり方で、部下を守る』と。
あの日の言葉が、今の可南の「大事な人を守る」というセリフと少しのブレもなく重なった。言葉通りこの人は矢面に立ち、寝る間も惜しんで俺の潔白を証明してくれたうえに、先方の利益が当初の3割増しになる新たな追加システムを提供してみせた。
自分を犠牲にしてでも人を守る、そんな青臭い理想を平気で口にして実行した人。それでも、俺はまだ「あれはたまたまそうなっただけで、本気でそんなことをする人間がいるはずない」と懐疑的に見ていた。でも……それも今日まで。今までのその思い込みを俺は心の中で深く詫びた。
そして同時に、決意と言うには柔らかく、想いと言うには熱すぎる何かが込み上げる。
この人が変わらないなら、自分もそれに応えよう。俺にでも出来ることが、いや、俺なら出来ることがここにあるかもしれない。そもそもが惚れた弱み。一度ついてしまった火はそう簡単に消すことが出来ない。
「はぁ……っとにもう、頭おかしいっすわ、可南さん。……勘弁してくださいよ本当に」
緊張の糸が切れたように、龍はその場にガクッと力なくしゃがみ込んだ。その巨体が小さく丸まるのを見て、可南と凪は顔を見合わせ、少し困ったようにクスクスと笑みをこぼしたのだった。
◆◇◆◇
「やっぱり、必要物品は毎回ちゃんと買ったか確認しないとね!」
「メニューによっては致命的ですからね、お米無しっていうのは」
「あと、紛らわしい聞き方は禁止で。使う人が責任持って買えばいいんすよ」
最寄りのスーパーに駆け込んで無事に米を調達し、三人は夕食と短い反省会を終えた。
夜の帳が下りたキャンプ場。新調したタープの下で、三人は静かに焚き火を囲んでいた。薪がパチパチと爆ぜる小気味よい音が夜の静寂に響く。
「あー、僕週1でこういうキャンプしたいなぁ」
「凪さんは、ただキャンプ飯が食べたいだけでしょ」
「料理が得意なお二人にはわからないかもしれませんけど、目玉焼きも満足に作れない僕からすると、このキャンプの食事って最高なんですよ? どうしてそんなマメに色々できるんですか」
肉汁のしたたるスペアリブを噛み締めながら言う凪に、可南と龍は同時に顔を見合わせた。
「「マメ……?」」
「ほら!その『何が?』っていう顔! 事前に肉の下味をつけてきたり、なんの迷いもなく野菜を綺麗に切り分けたり、香辛料まで自前でブレンドしてきたり……そんなの、普通の独身男性は出来ませんからね? ?仕事もできて料理もできるって、二人ともチーターですか? チーターですよね??ズルくないですか?!」
あからさまに呂律が怪しくなってきた凪を見て、可南が眉をひそめる。
「凪さん、お酒弱かったよね? ちょっと、その手に持ってる缶さ……」
「あ、俺がさっき渡したやつ……すんません、アルコール度数9%でした」
「度数を見ないでカゴに入れたの誰? 凪さん、一旦水分とろう。えっと、水と砂糖と塩、あとはレモン汁で……はい、即席スポーツドリンク!こっちの方が飲みやすいと思うから」
手際よくシェラカップを用意した可南を見て、凪の目が完全に据わった。
「だから! 何なんですか、その現場での対応スキルぅぅぅ!!」
「うわっ、ちょ、凪さん押さないで!」
「クックッ、はははっ」
「龍さん! 笑い声まで無駄にイケボって、どこまでズルいんですかあなた達は!」
「凪さん、ちょっと横になろ? 5分でいいから」
「……それは、社長としての業務命令ですか!?」
「そ、そうだよ。命令だから横になって」
「……わかりました」
ころん、と凪はキャンプマットの上に転がり込み、そのまま大きな深呼吸を一度すると静かになった。
◆◇◆◇
──10分後。
「え?もう寝てますけど、早っ!結構酔いが回ってたんすかね、彼」
「お酒弱い人には9%でも劇薬だから。明日に響かなきゃいいんだけど。……急に静かになったね」
可南はカップの中でブランデーをクルクル回すと息を吐いた。
パチパチと焚き火の爆ぜる音が心地良い。サワサワと優しく揺れる周囲の枝葉。足元をかすめ、ひと巻きだけ落ち葉を躍らせて消える小さなつむじ風。
徐々に冷え込んでいく夜気に、昼間の騒がしさで昂っていた思考も感覚も澄んでゆく。まるでこの身が自然の闇に溶けて、やっと本当の呼吸を始める。そんな錯覚さえ感じ始めた。
「……本当になんともないんすか?」
隣から飛んできた龍の低い声に、可南の意識は現実へと戻される。
龍の視線を追って焚き木の炎に照らされた自分の腕を見ると、昼間に確認した時よりも細かな打撲痕や擦り傷が増えていた。
「あれ? こんな所、打ったかな」
他人事のように言って、可南はキョロキョロと自分の手足を見回す。
「背中から着地したんでしたっけ。これ明日の朝になったらアザが凄そうっすね。自分じゃ見えないでしょうから、後でテントに入ったら背中の方も確認しましょうか?」
「ううん。痛くないしなんともないからいいよ。あれはね、衝撃を受けた『直後』が一番ヤバいんだよ」
「あー……。俺もスノボをやってる時、コントロールを失って木に正面から激突して同じようになりましたよ。あの、一瞬息が出来なくなるやつ」
「ね。それと同じ。体幹部分に強い衝撃を受けると、横隔膜が一瞬だけ麻痺するんだ。息が吸えないし、吐けない。時間にしてほんの数秒なんだけど、生命活動が完全に停止するような感覚っていうのかな。あれだけは何度経験しても慣れるもんじゃないね」
可南は自嘲気味に笑いながら、炎を見つめる。
その横顔を見て、龍の胸の奥が昼間とは違う何かに締め付けられてキュッとした。
「……そりゃそうでしょうよ。にしても、あの行動理念と行動力で生きてて、よく今まで五体満足でいられましたね」
「ちょっと失礼じゃない? まるで俺が考えなしの無鉄砲みたいな」
「いや、無鉄砲っすよ?さっき凪さんが、可南さんが落ちた時『全国ニュースに出るかと思った』って本気で言ってましたし」
龍の呆れ顔に、可南は悪戯が成功した子供のように薄紅の瞳をパッと輝かせた。
「これはもしや……うちの社名が全国に売れる、絶好のプロモーションチャンスだったのでは?」
「そんな命がけの売れ方で、会社が健全に成長するとでも?」
「んー、無いな!」
可南は肩をすくめ、小さく笑って再び焚き火へと視線を戻した。
その横で龍は、パチパチと火の粉が夜空へ溶ける様子は可南に似てる、と何となく思った。
人のために爆ぜるのを厭わず恐れもしない。それはこの人にとっては普通のことで……だからこうして今も、ウキウキとBIGマシュマロを串に刺している。まるで何事も無かったように。
「あんなこと……もう、させません」
ポツリと落ちた小さな決意の言葉を、中途半端に拾った可南が「ん?まだ2、3個刺せるよ?ほら」と得意げにマシュマロ特盛串を見せてきたので、龍は苦笑しつつ首を振った。
甘く香ばしい香りが辺りに漂う。
涼しい風が落ち葉を踊らせながら、二人の間を吹き抜けていった。




