【第49話】欲張りな僕らが、証を刻む文化祭
文化祭が幕を開けた。
クラスの出し物は演者と他数人だけによる教室での定時公演となり、
主役を降ろされた俺たちは放逐された。
写真部では、没入型展示『あの夏の残響』が始まった。
床に敷き詰められた湖や川を模したブルーシートには、実際に少量の水を含ませることで再現度を高めてある。
河川敷から石や岩を要所に配置し、ワイヤーで吊るされたアクリル板の写真がその上を浮遊する。
空気もまた、展示の一部だった。
パチュリやシダーウッド、サンダルウッドを配合した木や土の香りが鼻腔をくすぐり、
湖のエリアでは涼しげな水の匂いに微かなミントが混じる。
足元に忍ばせた扇風機が、それらの香りを軽い風と共に運んでいく。
キャンプ場の喧騒や水のせせらぎといった環境音も重なり、
そこには確かに「あの夏」の断片が閉じ込められていた。
この大半を沙耶ちゃんと陸の二人で作ったのだから、
脱帽するしかない。当の二人は今、クラスの担当でここにはいない。
坂口と悠斗は宣伝とデートを兼ねて校内を周回しており、
今は陽向が入口で受付、俺は部室内で安全確認や入ってくれた人の誘導を行っている。
午後は一旦合流し、俺と陽向が周回役の予定だ。
訪れる人の数は多くはないが、途切れるほど少ないわけでもなかった。
アクリル板の間を縫うように歩く人々の表情は一様に明るく、俺は密かに安堵の息を吐いた。
だが、成功すればするほど、胸の奥に疑念が溜まっていく。
この展示に、あるいはクラスの出し物に、俺自身の足跡は残っているのだろうか。
写真は俺のものが半数を占めている。
けれど、この空間を形作った苦労の中に、俺の姿はなかった。
一年半を過ごしたこの場所で、かつてない高揚を感じながらも、俺は拭い去れない悔しさを噛み締めていた。
◆
「午前中で二十人ですか。すごいじゃないですか」
悠斗が買ってきてくれた焼きそばを、合流した一年生二人と一緒に空き教室で食べていた。
今は悠斗と坂口が部室を見てくれている。
「評判も良かったよ。特に沙耶ちゃんの写真」
入ってくれた人の多くは、出口付近に吊るされた沙耶ちゃんの人物写真に目を留めていた。
「お、オーケーは出しましたけど、やっぱり恥ずかしいです。今からでも回収しませんか?」
「もう遅いよ、沙耶ちゃん。男の子なんて、帰りに『あの人どなたですか?』って聞いてくる人までいたんだから」
「うう、やっぱり外します! 今からでも他の写真にしましょう!」
「ま、まあ。あと数時間だから我慢して、ね」
「駿先輩がそういうなら。でも、私が持って帰りますから、いいですね? 部室のデータも消去しましたから」
「あっはい。それはそのつもりだったし」
「もったいないなー。沙耶さん、俺にちょうだい」
「絶対イヤ!」
入部したての頃とは別人のように、はっきりと意思を主張して明るく話す沙耶ちゃんの姿。
自分本位な感情だとは分かっていても、
選べなかった悔しさより、ここまで変わるきっかけになれたという喜びの方が、今は大きかった。
◆
「ね、どこ回ろうか」
「俺は写真部に残っても良かったんだけど」
「私が一人で回るの嫌なんですー。連れ回して?」
「宣伝も兼ねてるんだから、そこは頭に入れときなよ」
「写真部でーす。よろしくお願いしまーす」
「誰に言ってるの」
「駿くん」
「意味ないよね、それ」
「あのね、私退部できなくなっちゃった」
「いきなりだね。どうして?」
「沙耶ちゃんに全力で引き止められた」
「ああ、だからあんなに仲良くなったんだ」
「元々仲は良かったんですー。誰かさんのせいで嫉妬させられてたけど」
「はいはい」
「あ、あそこお化け屋敷やってるよ。行こう」
「急に話変えるよね……って腕引っ張らないで」
「いいからいいから。文化祭なんだし、こういうのも回らないと」
「回るにしても順番ってものがあるだろ」
「ほら、もう列並んでるし。逃げられないね」
「逃げようとはしてないけど、準備はさせてほしかった」
「準備って何。お化け屋敷に?」
「心の準備。急に驚かされるの苦手なの知ってるだろ」
「はいはい、知ってる。昔もびっくりして手振り払ってたし」
「振り払ってない。離しただけ」
「一緒だよ。で、そのあと私が転びかけたのも覚えてる?」
「陽向名物だからね」
「言い方ー! じゃあ今日はちゃんと振り払わないでよね」
「分かってる。離さないよ」
「うん。それならいい」
「うわー、ご満悦の顔」
「あ、見て。あっち縁日っぽいのやってる」
「お化け屋敷に入るんじゃなかったの?射的と輪投げか。入る?」
「入る入る。こういうの久しぶり」
「じゃあ先に券買って……はい、これ」
「ありがと。ねえ、どっちやる?」
「陽向は輪投げの方がいいだろ」
「うん。昔もやったよね、こういうの」
「夏祭りの時な。全然入らなかったやつ」
「ちょっと、それ言う? あの時は浴衣で動きづらかったの」
「下駄で歩けてなかったのもあるだろ」
「うっ……まあ、それは否定しないけど」
「途中で座り込んでたよな」
「だって指の間が擦れて痛かったんだもん。そのあと、ちゃんと家まで連れてってくれたじゃん」
「連れてったっていうか、手を引いただけ」
「それを連れてったって言うの。あの時も、今みたいに」
「今は引っ張ってるの、陽向だよ」
「いいでしょ別に。ほら、投げるよ」
「はいはい。的、ちゃんと狙ってな」
「言われなくても……あ、外した」
「知ってた」
「うるさいですー。もう一回」
◆
『これにて、本年度東ヶ丘祭を終了します』
文化祭の終了を告げる放送が鳴り響く。
部室に戻ると、皆の表情にはやり遂げた安堵が浮かんでいた。
撤収作業へと移る前に、俺は以前から決めていたことを伝えることにした。
「今日限りで、俺は部長を辞めようと思う。坂口も今日で写真部を卒業するし、これ以降はコンクールをどうするかって程度だから、区切りもいいと思うんだ」
場が鎮まり、皆の視線が俺に向く。
急なことで驚いているのもあるだろうが、
全員の表情に浮かんでいるのは、呆れだった。
「どうしてですか?」
沙耶ちゃんの質問に、俺は用意していた通りの答えを返す。
「俺は今回の文化祭、何もしてこなかった。クラスにかまけ、怪我までして、準備を全部押し付けた。俺がこの部に残せた物なんて、何もないから」
一歩間違えれば、この居場所を壊していたかもしれない。その責任だけは、明確に取らなければならないと思っていた。
「なーに言ってるんスかね、この部長は」
陸が呆れたように鼻で笑った。
「先輩のことだから、また頭で色々考えてるでしょうけど。俺に声をかけてくれたのは悠斗先輩ですけど、俺が居心地良さそうな部の方針を決めてくれたのは駿先輩でしょう」
「そうです。私は、先輩がカメラを教えてくれたから入ったんですよ。文化祭だけで決めないでください。先輩は、縁を残してくれてるじゃないですか」
沙耶ちゃんも陸に負けじと続く。
その縁が危うい均衡の上にあったことは分かっている。
でもこれを深掘りするのは憚られた。
「駿くん、私残るって言ったよね。駿くんが責任感じて部長を降りるって言うなら私も同罪だよ」
それじゃあ、共倒れになってしまうだろ。
「まあ、駿のことだ。抱え込んだケジメを付けたいってところだろ」
そういうことだよ。
「今日で終わりの私が口を挟むことじゃないけどさ。沙耶に部長を渡すのなんて、いつでもできるんだから罰ゲームでもやればいいんじゃない?」
どういうことだよ。
「あ、じゃあ陽向先輩も同罪って言ってましたよね。俺、あれ見たいっス。二人の『ロミオとジュリエット』」
ちょ, こいつ何を言い出しやがる。
「あれ、すごかったよ。あの陽向先輩見てるとドキドキしちゃった」
え、沙耶ちゃん見たことあるの!?
「俺、台本鞄の中に入れっぱなしだったわ」
おいやめろ。なんであるんだよ。
「当然、陽向もやるよね。ジュリエット」
ああ、もうこれ止められないやつだ。
「もう! 駿くんが変なこと言うから私が巻き込まれたじゃない!」
なんか、ごめん。
俺が抱えた悔しさや責任なんて、
結局、皆が乗り越えてきたものに比べればちっぽけなものだった。
陸がスマートフォンで録画した、
『あの夏の残響』を舞台にした即興の『ロミオとジュリエット』は。
支離滅裂な、けれど誰もが笑っていたその混沌とした光景は、
ビデオデータとして部室のPCに保存されることになった。
けれど、それこそが俺が写真部に残した、何より確かな「証」なのだと思えば、
もう悪い気持ちは起きなかった。
次回で最終話となります。ここまでお読み頂きありがとうございました。




