【第46話】紡木陽向:罪と呪いの原典
診断結果を学校で待機していた担任に報告し、写真部のグループチャットにも共有した。
璃奈と大野くんからは既に話が伝わっていており、画面越しに沙耶ちゃんは切実な心配を、陸くんは憤慨をそれぞれ顕にしていた。
璃奈からは、クラスの方針はとりあえず明日決めることになったから、今日は駿くんと一緒に帰ってゆっくり休むよう言い含められた。
報告を終えたところで、駿くんのご両親が到着した。
私は二人に事の経緯を説明し、すべて私のせいだと深く頭を下げた。
けれど既に担任から詳細を聞いていたらしい二人は、「ひなちゃんが悪いわけじゃない」と私の肩を優しく叩いてくれた。
帰宅すると、手ぶらで救急車に乗ったために教室へ置き忘れていたはずの鞄が玄関に届けられていた。
ママに尋ねたら璃奈が届けてくれていたらしい。
親友の気遣いに感謝しつつも手早く着替えを済ませ、私は隣にある駿くんの家へと向かった。
家に着いた駿くんは辿り着くと同時に脱力して倒れかけたらしい。
今は部屋で駿ママが寝かせていると、駿パパが教えてくれた。
お礼を言い階段を上がって彼の部屋へと向かう。
ノックをして中に入ると、刺激を避けるために極力明かりを抑えた部屋は、重苦しいほどに薄暗かった。
ガーゼの上から包帯を巻かれた駿くんがベッドで横たわっている。
規則正しい寝息が聞こえる。どうやら今は眠っているようだった。
「ひなちゃん、来てくれてありがとうねえ」
駿ママの気遣う言葉が鋭い刃となって心に突き刺さる。
私があんな挑発に乗らなければ。
周囲の悪ノリをちゃんと防げていれば。
いや、違う。
あの脚本を見て、私は嬉しいとさえ感じていたのだ。
駿くんが主役で、私だけが彼を独占できる演技ができると。
「今回の件は、私にも責任があるんです。できれば、私に看病をさせてください」
病院で下げた頭を再び深く下げた。
今はただ、駿くんのことが心配だから。
「ちょっと、部屋の外に出ようか」
駿ママに促され、もう一度だけ眠る駿くんを視界に収めてから部屋を出る。
「どう、したの?」
「ねえ、ひなちゃんは駿とどうなりたいのか、聞いていい?」
唐突な問いに、全身を静かな熱が駆け巡る。答えは決まっている。
「私は、駿くんが好き。今は恋人になりたいって思ってる」
そう、と短く頷き、駿ママはさらに質問を重ねる。
「駿はそれを知っているの?」
「知ってる。直接好きだって伝えたから」
駿ママはじっと黙り込む。
しばらく迷うように視線を泳がせた後、静かに目を伏せた。
「なら伝えておくけど、最近の駿、いつも暗いけど何か心当たりはある?」
その問いに私は沈黙で返すしかなかった。
心当たりなど、ありすぎるほどだ。
私が自分の衝動で彼を振り回しすぎたことが原因なのは想像に難くない。
「昨夜なんて特に酷かったけど、それはどう?」
「それは……分からない」
昨夜は特に何もなかったはずだ。
けれど一度疑念に囚われると、すべての行為が心当たりに思えてしまう。
「まあ、いいわ。ひなちゃんを信じてるし駿をよろしくね。それと」
駿ママは微笑み、階段を降りながら釘を刺すように付け加えた。
「ひなちゃんもいい年の女の子なんだから、長居しちゃダメよ」
◆
光量を落とした部屋に戻ると、駿くんはまだ眠りの中にいた。
頭痛がするのか時折顔を歪ませ、額には汗が滲んでいる。
タオルで汗を拭き取り頬に手を当てると、私の体温を感じたのか落ち着いたように表情が安らいだ。
ビーズクッションが目に入ったけれど使わず、ベッドの脇に足を腕で抱えて座り込む。
駿くんを、ただじっと見つめる。
脳裏に蘇るのは彼が意識を失っていた時に漏らした、掠れた言葉。
『ひなちゃんがね……悠斗のことを好きになったのなら、僕は誰も好きにならなければ、いいんだよ』
『そうすればね、誰も傷つけなくて、済むから』
脳震盪で記憶が混濁していたのだろう。
不意に口から出たのは彼が一番悩んでいたからなのかもしれない。
私は今まで、彼が「恋愛感情が分からない」と言っていたのは、私がそばに居過ぎたことで距離感を狂わせていたからだと思っていた。
頼りすぎて他の女性に目を向ける余裕を奪っていたのだと。
もし、その考えが根本から違っていたとしたら。
もし、駿くんがもっと昔から私のことを一人の女の子として好きでいてくれて、私が大野くんを好きになったと相談したことで、その想いに蓋をしたのだとしたら。
――駿くんから恋愛感情を奪ったのは、私だ。
両手では抱えきれないほどの罪悪感が私を押しつぶす。
私は彼への感情を家族のものだと思い込み、気持ちを麻痺させ、その歪な形を彼に無理強いさせた。
これが私の犯した一番の『罪』。
彼の優しさを当然のものとして。他の男子、よりによって彼の親友を好きになったと話した駿くんの気持ちを考えると、胸を引き裂きたくなる。
連鎖するように思い浮かぶのは人物写真。
初めて駿くんが撮った写真は私だった。
もし、あの頃から私に変わらぬ感情を向けてくれていたのなら。
私はずっと駿くんに人が好きになれない『呪い』をかけていたんだ。
否定する材料がない。
今まで靄がかっていた彼の感情という一つひとつの点が、一本の線として繋がっていく。
私が奪った恋愛感情で駿くんを苦しめ、今は私の恋愛感情を一方的に押し付けている。
私の存在が、いつも駿くんを傷つける。いつも、私は。
「わらってよ、ひなた」
いつの間にか俯いていた顔を上げると、駿くんは目を覚ましていた。
「し、駿くん。寝てないとだめだよ」
慌ててタオルを取り、汗を拭おうとすると、その手がそっと包まれる。
「身体は動かしたくないけど、寝てばかりもいられないよ」
「じゃあ、せめて大人しくして。喋らないで」
「陽向が、笑ってくれたらね」
泣きそうになる顔を無理やり笑顔に整える。でも、笑顔の作り方が分からない。
「机の、アルバム」
言われた通りに机に向かいアルバムをめくる。
そこには一枚の写真が目に映った。
小学校に入学したとき、駿くんが初めて撮ってくれた私の写真。
ピンボケしてよく見えないけれど、無邪気に駿くんに全てを委ねていることだけが、笑顔を通して伝わってくる。
「ひなちゃんの、最高の、笑顔」
思わず、吹き出した。目に溜まっていた涙が引っ込む。
この頃の何も知らない私になんて、駿くんを好きなだけで幸せだった私になんて、戻れるわけがないじゃないか。
「そう。その笑顔」
「ず、ズルいよ、駿くん」
「どうして、そんなピンボケがいいなんて言ってくれたの?」
痛みに耐えながら話すことを止めてくれない駿くんに、私は記憶の扉を開く。
「ピンボケとか関係ないの。駿くんが、私だけを見てくれたから、だよ」
本当はよく覚えていない。でも、私なら多分そうだろうという確信はあった。
「そっか」
「いいから、安静にしていなさい」
「暴君」
「うるさいですー。今は恋人候補ですー」
「好きだよ。陽向」
「私も」
◆
これ以上部屋にいるとおかしくなりそうだったので、部屋を出て駿ママと交代し、自分の家に戻る。
意識が混濁して余裕が無かったからか、さっきの駿くんは今までにない直球で私のほうが圧されてしまった。
長い一日だった。
最悪なことばかりが起きた地獄の一日。
けれど、私が駿くんに与えてしまった『罪』と『呪い』の原典を知ることができた。
過去を取り戻すことはできない。
彼にしてしまったことを帳消しにはできない。
だけど、今を見つめ未来のために行動することはできる。
スマートフォンに届いていた通知を開き、決意する。
話し合おう。
今までのような独りよがりじゃなく、駿くんと互いに向き合える関係になるために。
<沙耶:今日の傷害事件、一昨日私が駿先輩に告白したことと関係がありますか?>




