98 咆哮
「殺すっ! 八つ裂きにしてぶっ殺すッ!」
族長はフィギュアを握りしめたまま、猛烈な勢いで俺に飛びかかってきた。その顔は憤怒の上に性癖を見られた羞恥が混ざり合い、なんとも恐ろしい形相となっている。
「近づくな変態! 【大地の呪縛】!」
俺が叫ぶと同時に、硬い土床を突き破って無数の樹木と蔓が爆発的に伸び上がった。
部屋を埋め尽くさんばかりの勢いで増殖した植物が、族長の巨体へと絡みつき瞬時にその四肢を締め上げる。
「カナン! 今だ、逃げるぞ!」
「なんで叫んだりしたのだ!? バレるに決まっているではないか!」
「知るか! あんな変態は想定外だ!」
「お前はなにを見たのだ!?」
「後で教えてやる、今はとにかく逃げろっ!」
俺たちは【大地の呪縛】で生えた樹木を足場にして、壁を一気に駆け上がった。そして先ほどぶち破った明かり採り窓の縁へと手をかける。
「逃さんと言っているだろうがぁぁぁぁっ!」
ブチブチブチブチブチブチイィッ!
背後で樹木が無理やり引きちぎられる嫌な音が響いた。族長は絡みつく樹木を腕力だけで引き裂き、凄まじい勢いでこちらに突進してくる。
やっぱり大した時間稼ぎにはならないようだ。それなら――
「【掘削】!」
ズボォッッ!
族長が踏み出した足元。その地面が崩れ落ち、巨大な身体がそのまま落とし穴に沈み込んだ。頭まですっぽり埋まった族長の怒声が耳に届く。
「クソッ! いちいちやることがセコいんだよ! 貧弱なエルフ野郎がっ!」
「お前のような変態に言われたかねーよ!」
「ぐぬうううううううううううう!」
地面の底から響く、地獄の底のような唸り声を尻目に、俺とカナンは窓の穴から牢屋の外へと飛び出した。
早朝の新鮮な空気が肺に流れ込む。ゴブリン臭で充満していた肺が少しだけスッキリしたが、ゆっくり深呼吸している暇はない。
俺は即座に意識を集中させ、周辺の気配を探った。
――前方に二人。右手の方に四人。距離も近い。
「左手に進むぞ! カナン、この先は行き止まりじゃないよな!?」
「うむ! たしかその先の広場を突っ切れば、集落を抜けられたはずだぞ!」
「よしっ!」
俺たちは地面を蹴り、一気に走り出した。
――その直後。
ドゴオオオオオオンッ!
背後で牢屋の屋根が吹き飛び、巨大な瓦礫が空へと舞い上がった。そしてもうもうと漂う砂埃を突き破り、族長がロケットのような勢いで飛び出してくる。
「やべっ、もう出てきたのか!」
俺が振り返った瞬間。族長が大きくのけぞり、腹を限界まで膨らませて息を吸い込むのが見えた。そして――
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
凄まじい咆哮が早朝の空気を震わせて、集落全体に響き渡った。
まるでライブハウスのスピーカーの真正面に立たされたような、身体の奥まで揺さぶる重低音。俺たちは顔をしかめながら、それでも族長に背を向け全力で逃走した。
だがその瞬間、俺の引きこもりセンサーが一気に警報を鳴らす。
建物の中、藪の向こう、川のほとり――俺たちの進む先に、次々と新たな気配が近づいてきている。
「クソッ、今のは招集の合図か!」
「リーフ、どんどん集まってきているのだ! このままでは包囲されるぞ!」
「とにかく走れ!」
足を止めたら終わりだ。それだけはわかる。俺たちはひたすらに走り続けた。
しかし行く先々から新たなオーガが姿を現し、脇道からも棍棒を担いだ巨漢たちがぞろぞろとやってくる。
そして――ついに俺たちは完全に行く手を阻まれた。
気づけば周囲にはニ、三十人以上のオーガが集まってきている。カナンが言った通り族長ほど大きくはないが、それでも全員が身長二メートル級の大男ばかりだ。
やがて背後から、ドスンドスンと重い足音が近づいてきた。振り向かなくてもわかる、族長だ。
族長は肩についた砂を払い落としながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。そして怒りに満ちた目で静かに命令を下す。
「囲め」
「「「「「「おうっ!」」」」」
オーガたちが一斉に包囲を固める。もはや逃げ場はどこにもない。
族長はその様子に満足げにうなずくと、太い指で俺を指さし、静かに告げた。
「今から俺がこのエルフを殺す。……いいか、俺が一人でやる。手出しは無用だ」
その言葉に、周囲のオーガたちが不満の声を上げる。
「なんだよ族長! 俺たちにもやらせろよ!」「最近はゴブリン狩りばかりだろ」「たまには別のを殴りてえよ!」「族長だけズルいぞ!」「そうだそうだ!」
どうやらオーガにとって戦いはレジャーらしい。やいのやいの不満の声を上げる連中に、族長は肩をぶるっと震わせ――
「うるせえっ!」
その怒声に、オーガたちが一瞬で黙り込んだ。
「このエルフはなあ……俺が直々に、この手でぶっ殺して跡形もなく消さなきゃならねえんだよ。それですべてが『無くなる』んだ。もちろんぶっ殺した後は念入りに刻んで、ゴブリンの餌だ」
どうやら変態チックな現場を目撃した俺を自分の手で消せば、すべてをなかったことになるという考えらしい。おそらくオーガの独特の俗習かなにかだろう。
族長が自分でそれほどの痴態だと理解している点だけは評価してやってもいい。
もっとも俺としては、フィギュアを『使用』する紳士の存在を全面的に否定するつもりはないんだけどね。だが、それを目の前で見せられるのは話が別なのだ。
それにしても、この状況は困る。
どちらかといえば乱戦になったところで【大地の呪縛】をドッカンドッカンと連発し、混乱に乗じて逃げるしかないと思っていたんだよね。
正直、多勢に囲まれてやられるより、族長ひとりの方がよっぽどキツい。それだけコイツが脅威ということだ。
だが、こうなってはもうやるしかない。とりあえず、世界樹の力を使えば族長とて――
ドスンッ!
狂気の笑みを浮かべた族長が、しこを踏むように地面を踏み鳴らした。その衝撃で俺の身体がわずかに浮き上がる。
――なんとかなる、よな?




