97 逃走経路
「来たな。よし、やるぞ」
「うむ。いつでもいけるのだ」
俺は魔力で限界まで硬度を高めた、バレーボールほどの大きさの土球を両手で構える。そして明かり採りの窓に狙いを定め――
「【石大砲】!」
ドゴオオオオオオオオオンッ!
凄まじい衝撃音とともに、明かり採りの窓周辺が粉砕された。石壁が弾け飛び、外へ通じる穴がぽっかりと開く。
瓦礫が雨のように飛び散り、部屋全体に砂埃が舞い上がる中、俺とカナンはすぐさま穴に飛び込んで土の蓋で上部を塞いだ。
直後、ダダダダと廊下を走る荒々しい足音が響いてくる。
「おいっ、カナン! ……なっ、あいつら、逃げ出しやがったのか! クソッ!!」
穴の中にまで響き渡る族長の怒声。よし、作戦通りだ。族長は俺たちが外に逃げたと思い込んでいる。
後は族長が牢屋を飛び出した後、ゆっくりと外に出ればいい。
そうして穴の中で意識を集中し、部屋の気配を窺っていると、ぼそぼそとカナンが小声で囁きかけてきた。
「……狭いのだ。もう少し広くはできなかったのか?」
空気穴から差し込むわずかな光の中、もじもじと体をよじらせているカナンの姿がぼんやりと浮かぶ。
「実は俺もかなり後悔してる。……おい、もう少し壁に寄れるだろ。離れろよ」
だがそんな俺の言葉に、カナンはなぜかニヤ~と口元を緩ませた。
「……ん? なんだ、リーフ。もしかして照れているのか?」
「は?」
「お前にもそんなウブなところがあったのだな。ふふん、お前も同じなんだと思うと、なんだか逆に安心してきたのだ。そうなのだろう? なあ?」
余裕を取り戻したらしいカナンは、あろうことか肘で俺をからかうようにつんつんとつついてきた。というか『お前も』って、コイツは照れてるのかよ。
「俺が照れてる? なに言ってんだ」
「隠さなくてもいい。このことは黙っておいてやるのだ」
余裕の笑みを崩さないカナン。その勘違いっぷりにイラッときた俺は、現実を突きつけてやることにした。
「違うって言ってんだろバカ。……臭いんだよ」
「なっ……!?」
カナンの動きがピタリと止まる。俺は容赦なく追い打ちをかけた。
「お前、ゴブリン臭いんだよ。昨日、ゴブリンを倒しまくって、それから風呂にも入ってないだろ。ずっと臭いと思ってたが、さすがにこの密室でこの臭さはマジで拷問並なんだからな? わかったなら、なるべく離れて小さくなってろ」
「~~~~~っ!! 乙女に向かって、よりによって臭いとは! リーフお前はやはり――!」
「おいバカ静かにしろっ! 族長がまだ上にいるんだぞ……!」
「…………っ!」
俺が無理やり手で口を塞ぐと、カナンがコクコクと必死に頷いてようやく黙った。このバカ騎士は本当にバカだな。
俺は冷や汗を流しながら、再び上の気配に集中する。今のでバレてなければいいんだが――どうやら気づいた様子はない。
自分の心臓の鼓動が耳に響く中、俺たちはさらに息を潜めた。
……だが、おかしいな?
族長は俺たちが逃げたと認識したはずだ。それなのにいつまでも室内に留まり、俺たちを追いかけようという動きを見せない。
やがて別の足音が響いてきた。
「――族長! さっきの音は!」
別のオーガが牢屋にやってきたようだ。族長が叫ぶ。
「あいつら牢を破壊して逃げやがった! さっさと追ってこい!」
「わかりやした!! それで族長はどうするんで!?」
「……俺は少し、気になることがある。すぐに合流するから先に行け!」
「おうっ!」
仲間の足音が遠ざかっていく。
だが族長は依然として動かない。部屋の中が静寂に包まれ、俺たちの緊張が頂点に達する。
……まさか、俺たちが隠れていることに気づいているのか? 俺とカナンが唾を飲み込み、上へと意識を集中させた。
すると――
「ふーっ……ふーっ……」
聞こえてきたのは、族長の荒い吐息だった。
逃げられた怒りを鎮めるために、呼吸を整えているのだろうか。だが吐息は収まるどころか、むしろどんどん荒くなっているように聞こえる。
「はあ、はあ、はあ……。たまらねえ……」
……どういうことだ、これ?
時間が経つごとに俺の不安は募っていく。
このままでは埒が明かない。俺は意を決して、上の様子を確かめることにした。
俺はカナンに目で合図をすると、慎重に土の蓋に穴を開け、そっと部屋を覗き込んだ。
するとそこには、部屋の片隅で背を丸める巨大な族長の姿があった。族長は身体を震わせながら、手の中の何かを凝視している。
あれは――俺の作った鬼娘フィギュアだ。
族長は握りしめたフィギュアを顔のすぐ近くまで寄せて、うっとりした声でつぶやく。
「はあ、はあはあ、はあ。なんだこの可憐な女は……。こんなに小せえのに……作り物なのに……この気持ちはなんだ? わからねえ。だが、もう抑えきれねえ……!」
ガシッと両手でフィギュアを握りしめる族長。そして族長の舌がゆっくりと伸びたかと思うと――
「べろべろべろべろべろべろべろべろべろべろ!」
族長はフィギュアを、あろうことか情熱的に、そして執拗に舐め回し始めた。
その光景を目にした瞬間、俺の生理的嫌悪感は限界を突破した。
「うわーーーー! 変態だーーーーーーー!!」
俺の絶叫が牢屋に響き渡る。
そして絶叫が途絶えた一瞬の静寂のあと――族長がギリギリと嫌な音を立てながら、ゆっくりこちらに振り返った。
その顔は羞恥と怒りで真っ赤に染まっている。もともと赤黒いのにさらに赤くなるものなのかと、こんな状況で妙に冷静なことを考えていると、
「み……見やがったな……!」
族長の血走った目が、地面の隙間から覗く俺を捉えた。そして――
「殺す! 今の姿を見た者を絶対に生かしちゃおけねえ!」
族長は唾液でベトベトになったフィギュアを握りしめたまま、まさに怒髪天を衝く勢いで吠えたのだった。




