9 ヴァルツ将軍
「スーリヤ!? お前先に逃げたんじゃなかったのかよ!」
「逃げてたんだよぉ~! でも、なんか見つかっちゃって……」
「遅れを取り戻そうと獣道を突っ切っていたら、ちょうどコソコソ這い回る姿が目に入ってな。両親は取り逃がしたが……貴様の知り合いなら話は早い」
どうやら両親と逃げる途中、最悪のタイミングでコイツに見つかったらしい。なんて運の悪いヤツ。
「話が早いってのはなんだよ。……種を渡したら、俺とそいつを見逃してくれるとでも言うのか?」
そんな俺の問いかけに、ヴァルツの口の端がいやらしく吊り上がった。
「……ククッ、あぁそのとおりだ。我らの目的はあくまで世界樹の種子。貴様らのような辺境のエルフになど興味はないからな」
『リーフ! 騙されてはいけません! 絶対に渡さないでくださいよ!』
「……本当に俺らを見逃すんだろうな?」
「ああ。さっさと持ってこい。ぐずぐずしていると、俺の気が変わらんとも限らんぞ?」
ヴァルツは余裕たっぷりに言い放つ。その薄ら笑いが――どうにも気に食わない。それにどうかで見覚えのある、人を見下すような目つき。
……ふと、前世の記憶が脳裏をよぎった。それは前世で勤めていたブラック企業の上司のことだ。
有給をエサに無茶な残業を押しつけておきながら、いざ申請すると「今回は厳しくなった」「繁忙期に空気を読め」「じゃあお前が代わりを連れてこい」などと平然と言い放ち、結局一度も有給を取らせなかったあのクソ上司。
目の前のヴァルツの目は、まさにアレと同じだった。
最初から約束を守るつもり気なんてさらさらなく。こちらを自分より下と決めつけ、都合よく使い捨てる気満々のクソ野郎の目だ。
「あいつは信用できねえな……」
『ですよね! 私もそう思ってましたよ! そこに気づくとはさすがはリーフです!』
思わず漏れた言葉に、種がやたらと俺を褒めちぎる。わかりやすいヤツめ。
「……ふむ、足を怪我して動けないのか? ならこちらから行ってやろう」
ほんの少しの膠着状態に早くもしびれを切らしたのか、ヴァルツは馬の手綱を動かそうとして――俺は反射的に声を張り上げた。
「動くな! それ以上近づいたら……この種をぶっ潰す!」
俺はナイフを抜き、種の表面に刃をピタリと当てた。
『ぎゃあああああああ! な、なにをするつもりですか! この種殺しぃぃぃぃ!!』
種が脳内で耳障りな悲鳴を上げているが今は無視。俺の行動に周囲の兵士たちは息を呑み、ヴァルツの表情からは薄ら笑いが消えた。
――やっぱり、この種が相当大事な代物なんだな。
「エルフ風情がっ! 万が一、種子に傷を付けてみろ。楽に死ねると思うなよ……!」
怒りに引きつった顔で俺を睨みつけるヴァルツ。この顔がこいつの本性なのだろう。
やっぱり種を渡さなくてよかった。こんなの俺が渡した瞬間、即座に斬られていただろうな。
……しかし問題は、ここからどう状況をひっくり返すかだ。
多少は息が整ってきたし、ここから仕切り直して全力で魔法を使えば、俺だけならなんとか逃げ切れるかもしれない。だが――
「ぐす……ぐすん……」
両腕を縄で繋がれたまま、手で目を擦っているスーリヤが視界に入る。
恋愛感情なんてこれっぽっちもないけれど、それでも百年の腐れ縁だ。さすがにこいつを見捨てて逃げたら、後味が悪すぎて今後の引きこもり生活にも支障が出る。
そうして種にナイフを突きつけたまま、どうしたものかと頭をフル回転させていると――澄ました声が脳内に響いた。
『……こうなれば仕方ありません。少なくとも、お前は幼馴染を見捨てられない程度には善性がある。母様を燃やした帝国軍よりは百倍マシですしね』
「いきなりなんの話だ」
『私の力を使えば、あのエルフも助けて、ここから逃げられるかもしれません』
「は? 種っころになにができるって言うんだよ」
『もっと私を敬いなさい。……いいですか。世界樹の種子には無尽蔵の魔力が宿る――私は母様からそう教えられています。まだ生まれたばかりの私にそこまでの力は出せませんが、それでもお前の小賢しい魔法を私の魔力で後押しすれば、十分に状況を覆せます』
「小賢しい言うな。そもそもお前みたいな種っころに、そんな魔力があるとか信じられないんだが」
『帝国が私を血眼になって狙っているのが証拠でしょう? それに今は他に手はありませんよ。さあ、私をしっかり握るのです』
たしかに今は他に打つ手がない。
「……よし、いいだろう。やってみな」
『最初から素直にそう言いなさい。では――』
手のひらの中で、種がじんわりと熱を帯び始めた。そして――
『――世界樹の息吹よ。この者に生命の大樹たる恵みを授けよ――』
その言葉と同時に、種を通してドロリとした濃厚な何かが俺の身体に流れこんできた。
――これが、世界樹の種子の魔力か。
たしかに膨大で濃密で、まるで森という存在そのものが押し寄せてくるような魔力の奔流を全身で感じる。
だが、俺が最初に抱いた感想は――
「あれ、なんかコレ。すっごい気持ち悪いな?」
だった。
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