8 逃亡劇
「とりあえずこのまま南に向かえばいいよな」
『そうですね。北の王国側は帝国が押さえているでしょうし、南へ進むのが賢明かと』
世界樹の森の北には王国、そのさらに北には帝国。逆に森を南に進めば町や小国が寄り集まった連合地帯が広がっている。
これくらいの地理なら、さすがに引きこもりの俺でも知っている。逆に百年も生きていながら、これくらいしか知らないとも言えるけどな。
とにかくだ、帝国からはできるだけ離れたほうがいいだろう。
そもそもこの森はそこまで広大じゃないらしいし、方向さえ誤らなければいずれは森の外に出られるはずだ。
そんなわけで俺たちは夜の森を南へ向かって歩き続けるのだった。
◇◇◇
リーン、リーン……ザァ……ザザァ……
虫の音色と木々のざわめきが聞こえる。
やはり夜は落ち着く。昼間のような生暖かい空気がまとわりつくこともなく、ひんやりとした夜の空気は俺の心を適度に引き締めてくれる。俺はその心地よさに身を委ねつつ、スイスイと夜の森を進んでいたのだが――
「ん?」
ふと、森のざわめきに混じって妙なノイズが耳をかすめた。
「……なんか聞こえね?」
エルフ特有の長い耳は伊達じゃない。それなりに聴力も良いのだが、風に乗ってなにやら騒がしい音がかすかに聞こえた気がする。
『私には感じ取れませんが……お前に聞こえるのなら、それは帝国からの追手なのかもしれませんね』
「うげっ、俺を追ってきてるってこと? ウソだろ。こんなエルフにマジになっちゃってどうするの」
『…………』
「とにかくヤバいな。ちょっと走るわ」
『それがいいですね。急ぎましょう』
◇◇◇
――それからしばらく。俺は走った。それはもう、この百年間こんなに走ったことなかったわと言うくらい必死に走りまくったのだが――
「ぜえっ、ぜえぜえ、はあっ、はあはあ、ひぃ……!」
『がんばりなさい! ほら、足音がどんどん近づいてますよ!』
「も、もう、無理……俺の足が……肺が……!」
引きこもり生活には素晴らしい恩恵の数々があるのだが――実は、残念なことに欠点もなくはない。
その一つが――圧倒的な体力の無さだ。
屋内でも筋トレはできるし、その気になれば体力は維持できるかもしれないが、鍛錬というものは日々の継続が大事。普段使わない体力を維持するために、毎日トレーニングなんて無駄なことはやってられんのだ。
そんなわけで俺は今、帝国兵に追われてピンチの真っ最中なのである。
「いたぞ! あそこだ!!」
背後から怒号が響いた。振り返る余裕なんてない。俺は必死に足を前へと進ませる。
ヒュンッ!
耳元に風切り音が響く。何かが俺の顔の横をかすめ、目の前の木にカンッと突き刺さった。――矢だ。
「ひええっ!?」
いやいや、殺す気か? 捕らえるとか言ってたじゃん! それもイヤだけどさ!
「死ぬ、捕まったら死ぬ!」
『だったらもっと早く走りなさい!』
「これが限界だっての!」
「こっちだ! 包囲しろ!!」
ガシャンガシャンと重そうな甲冑の音が迫ってくる。あいつら、なんで鎧とか着込んでこんなにスピード出せんの!? 脳筋にもほどがあるって!
「ぜえ、ぜえぜえ、はあはあ……!」
『足が鈍ってますよ! もっと早く!』
「ひい、ひいひいっ……うべっ!」
足がもつれ、俺は木の根に引っかかり盛大に転んだ。受け身も取れず、俺は身体から地面に叩きつけられる。
「今だ、追い詰めろ!」「警戒を怠るな!」「全員で囲め!」
ピィーと笛が鳴り、俺がよろめきながら立ち上がる間にも、さらに兵士が駆け寄ってくる。無数の松明に照らされて、夜の森がまるで昼間のように明るくなった。
魔法を警戒してかなり距離を取られているものの、兵士の人数は増える一方だ。さすがにこの人数相手では【石弾】程度ではどうにもならない。
――ヤバい、本当に詰んだかも。
兵士の一人が俺に剣を突きつけながら叫ぶ。
「貴様、世界樹の種子を持っているな!?」
「……え?」
「とっ、とぼけるな! お前が世界樹から種子を持ち出したことは調べがついている!」
剣先を震わせながら叫ぶ兵士。その目は血走っていて、なにかに追い立てられているような――そんな切羽詰まった表情に見えた。
だが、それより気になるのは――
「世界樹の種子?」
「ああ、そうだ!」
「それなら持っているけど……」
『ちょっ、こら! どうしてバラすのですか!』
種からギャーギャーと念話が届くがそんなの知らんがな。俺は念話を無視して、鞄から種を取り出し、よく見えるように掲げてみせた。
「これだよな?」
途端に兵士たちがざわざわと色めき立つ。
「やはりこいつが……」「クソッ、手間取らせやがって!」「今すぐ奪い取れ!」「バカ野郎! 失敗は許されん、慎重に行動しろ!」
なにこの反応。
えっ、もしかして……帝国が森に攻めてきたのは、この種が目的だったってこと? 俺は完全にオマケ……というか、なんなら眼中になかったりする?
それなら――上手く立ち回ればなんとかなるかも。
と、考えたその時だった。
「――ようやくエルフを追い詰めたようだな」
兵士たちの壁が割れ、そこから異様な威圧感を放つ男が現れる。
黒鎧に身を包み、森の中を馬上で悠々と進む男。その姿だけで一般の兵士との格の違いを理解できる。兵士たちが口々にその名を呼んだ。ヴァルツ将軍というらしい。
――だが。
俺の視線は馬上のヴァルツよりも、この男が握っている一本の縄の先へと吸い寄せられた。
その縄は引きずられるように歩かされていた、一人のエルフに繋がれている。
「ふえぇぇん。リーフ、捕まっちゃったよぉ……」
ボロボロと涙を流して俺を見るのは、逃げたはずの幼馴染、スーリヤだった。




