69 森の道
付かず離れず、一定の距離を保って付いてくる気配。
俺がほんの少しでも意識を向けると、その気配はスッと後退する。かといって完全に消えるわけでもない。
気配の主はかなり慎重な性格のようだ。
これ以上こちらが反応すれば、ただ逃げられるだけだろう。何者なのかわからないのはモヤモヤするし、逃がすくらいなら今は泳がせるしかないと思う。
さて、そんな謎の尾行者は気になるところだが、それ以上に俺には今すぐ解決すべき深刻な問題があった。
――言うまでもなく、徒歩移動の件だよ。
「はあ、はあ、ひぃ……しんど……。マジでキッツ……。誰だよ、森を横断しようなんて言い出したヤツは……」
これまでは馬車移動でラクチンだったが、これから先は自分の足で進むしかない。はっきり言って最悪である。
しかもこれを最低十日は繰り返すんだろ? マジで死んでしまいます。
移動開始から一時間足らず。息も絶え絶えになった俺に、アリスティアが冷ややかな目を向けた。
「はぁ……。森を歩くのなんて最初からわかっていたことでしょ? リーフはもっと運動したほうがいいわね。足腰を鍛えるのは良いことよ? 体型の維持にだって役立つんだから」
そう言いながら、きゅっと引き締まったウエストを誇らしげに見せつけるアリスティア。だが残念だったな、そもそも俺は種族補正のおかげか、別に体型が崩れたりしていないのだ。
「そういえば姫様って、結構体力があったよなあ」
帝国軍に追われていた時の、あの無駄のない洗練された走りを思い出す。
「当然よ。王族が鍛錬を怠っていては、民の模範になどなれないわ。これも王族の義務のようなものね。貴方も私を見習って少しは精進するといいわ」
さらりと言ってのけるアリスティア。意識の高い王族である。でもそれを俺に押し付けるのはやめてね。俺はただの引きこもりエルフなんだ。
「なあカナン。またソリを作るから、俺を引っ張ってくれないか?」
「断る! 私も姫様の意見に賛成なのだ。ほら、しっかり大地を踏みしめ、前へ前へと進むがいいっ!」
「あのなぁ……。身体を鍛えたところで、また引きこもれば不要になるものだろ? 俺はそんな無駄なものに労力をかけたくないだけなんだ」
「健全な精神は健全な肉体に宿るのだ! お前のひねくれた性格も、身体を鍛えればマシになるかもしれんっ!」
「ウッソだろお前。俺のどこがひねくれてるって言うんだよ」
「えっ、リーフったら自覚がなかったの?」
「えっ?」
そんな不毛なやりとりをしていると、後ろから控えめな声が上がった。
「あ、あのぅ……。よろしければ私がリーフ様を背負いましょうかぁ?」
振り返れば、そこにはずっしりと荷物を背負ったリムララがいた。
「いや……さすがに俺まで乗ったら重いだろ。膝がぶっ壊れるんじゃね?」
俺はリムララが背負っている、俺の背丈より積まれた荷物を見上げながら言った。
「とんでもありません! リーフ様のお役に立てるなら、私の膝が粉々に潰れても構いませんんんっ!」
「いや、自分の膝は大事にしてくれ……」
さすがの俺でも、リムララの膝を潰してまで楽するのは心苦しいのだ。なにより、すでに大量の荷物の一番上にはユグが乗っているんだよな。
ちなみにユグは気持ちよさそうに木漏れ日を浴びながら目を閉じている。もしかしなくても、光合成してるだろアレ。
仕方ない。途中途中でこまめに休憩を要求しつつ、なんとか進んでいくことにしよう。
そうして俺たちは鬱蒼とした魔の森をゆっくりと歩き続けた。
◇◇◇
「――それにしても……。魔の森というわりには、拍子抜けするほど魔物がやってこないわね。もっと四方八方から襲われる覚悟をしていたのだけれど」
周囲をきょろきょろと見回しながらアリスティアがつぶやく。
「あのぅ、弱い魔物に関しては、なんだか私たちを避けているような気がしますぅ……」
「あら、リムララ。そうなの?」
「あっ、いえっ! 弱いといっても、私からすればとても太刀打ちできないような魔物なのですけどぉ……!」
慌てて言い直すリムララだが、ポイントはそこじゃない。だが、言いたいことはわかる。
「まあ……たしかに。魔物が避けてるように感じるよな」
俺の引きこもりセンサーも、弱い気配が近づくとサッと離れていくのを感じていた。例の尾行者以外の話だけれど。
なぜこうなっているのか。原因として考えられるのはひとつしかないのだが――
俺はリムララの上でうつらうつらしているユグを眺める。
「むっ……。なにか用ですかリーフ。そういえば喉が乾きましたね。次の休憩では魔力たっぷりの水をください」
……いや、こんな俺以上にぐうたらしてるヤツが魔物避けになってるなんて、さすがに偶然だよな。
とにかく理由は謎だが、魔物に絡まれることもないまま、俺たちはスイスイと進んでいった。
だが、いつまでもそう上手くいくはずもないわけで――
「あっ」
俺は思わず声を漏らした。続いてリムララが顔面蒼白になる。
「うひぃぃぃっ……! な、なにか……ものすごく大きな魔物が突っ込んできてますぅ!」
「姫様、お下がりを。カナン、今すぐ警戒を!」
「はいっ、セバスさん!」
セバスとカナンが即座に武器を抜き、前に出る。
その直後――
ドゴォォォォンンッ!
密集していた巨木が、まるで紙細工のように軽々とへし折られた。
そうして木々をなぎ倒し、土煙を撒き散らしながら姿を現したのは、俺たちの背丈をはるかに超える巨大な魔物だった。




