51 帝国の調査隊
旧王国、現帝国領ルビネティンの南方――
深い緑がどこまでも広がる森に、背の小さな老人――帝国軍魔術院長官ロスターザが、十数人の部下を従えて足を踏み入れていた。
彼は白く長いヒゲを気だるげに撫でながら、周囲を木々を見上げてボヤくようにつぶやく。
「はぁ、やれやれ……。サイロス君が消息を絶ったというのは、この辺りだったかな?」
諜報院の長であったサイロスはその軽薄そうな口調とは裏腹に、任務に関しては実に几帳面な男だった。
そのサイロスからの定期連絡によると、彼らは逃亡中のアリスティア姫を襲撃し確保に成功。この森を経由してルビネティンへ帰還する予定だと記されていた。
――だが、それがサイロス最後の連絡となる。
連絡はパタリと途絶え、サイロスも彼が率いる小隊規模の精鋭たちも、誰一人として戻ってこなかったのだ。
帝国上層部はこの事態を重く受け止め、魔術院長官ロスターザに最後の報告に記されていた森の調査及びサイロスの捜索を命じたのである。
「サイロス君の尻拭いに、ワシまで駆り出されることになるとはね。こんなことより、新術式の研究を続けたかったのだがなあ……」
愚痴をこぼしながら、ロスターザは散策でもするかのような足取りでゆっくりと森を歩く。
だがその一方で、周囲の魔術院の隊員たちは目を皿にようにして、何一つ見逃さまいと真剣に辺りの様子を探っていた。
するとその時、隊員の一人が消え入りそうな声でロスターザに呼びかけた。
「あ、あのぉ、ロスターザ様……。あちらの方から微かな魔力の痕跡を感じますぅ……」
声を上げたのは魔術院隊員のリムララ。
小柄で幼い顔立ちはドワーフ族女性の特徴であり、人間至上主義を掲げる帝国において、彼女のような種族は蔑視の対象だ。当然リムララも例外ではなく、魔術院の中では雑用係として酷使されていた。
しかしその魔力感知能力だけは突出しており、今回の調査に無理やり連れ出されていたのである。
リムララに声をかけられ、ロスターザが目を細めて彼女を見下ろした、その瞬間――
――ドカッ!
「あうっ!」
無防備なリムララの背中を、容赦なく蹴り飛ばした男がいた。
魔術院副官、ギリクである。
その整った顔立ちに浮かぶのは隠そうともしない嫌悪と怒り。成果のみを追い求める男として、その気性は魔術院の中でも恐れられていた。
「だったらさっさと案内しろ。ロスターザ様に無駄な時間を使わせるな、このモグラ女めが……!」
「も、申し訳……ありませんっ……。こ、こちらです……!」
泥にまみれ、身体をよろめかせながらリムララは森の奥へと先導する。
ロスターザもギリクによる暴力をまるで空気のように無視し、黙ってリムララの後を歩いていった。
やがてロスターザがぴたりと足を止め、鼻をクンと鳴らす。
「ふむ……。たしかにこの辺りから残留魔力を感じるね。けれど……妙だな、属性が掴めないな。土のようであり、水のようでもあり、風も混じるような……。よし、それではみなさん、この周辺を徹底的に調べてくれるかな?」
「「「「はっ!」」」」
ロスターザの指示を受け、各員が一斉に散らばる。――そしてしばらくすると、隊員の一人が悲鳴に近い声を上げた。
「ロスターザ様! こ、こちらをご覧になってくださいっ!」
「……なんだね、騒々し――!?」
歩み寄ったロスターザの言葉が途中で凍りつく。そこにそびえ立っていたのは、異様に歪んだ一本の大木だった。
だがその樹皮に浮かぶ模様は――まるで苦悶に歪む男の表情そのものだ。
しかもその顔から下の位置には、諜報院長官のみに与えられる帝国の勲章が深々とめり込んでいた。
「なっ、まさかこれは……サイロス……なのか!?」
後から駆けつけたギリクがかすれた声を漏らす。
かつて出世を競い合ったライバルが物言わぬ木に変わり果てている現実に、ギリクは顔をこわばらせ呆然と見つめるしかなかった。
「ひっ、ひゃあああああああああ!!!!」
その時、リムララが腰を抜かし、悲鳴が森に響き渡った。
ギリクは苛立ちを隠さず、再び足を蹴り上げかけた瞬間、リムララが震える指で周囲を指し示した。
「あ、あ、あの、あのっ……! この辺りの木、ぜんぶっ……人ですっ……! た、隊員さんたちが、みんな木にされてるんですぅ……!」
涙目でがくがくと震えながらリムララが指差す先。そこには不自然な形状の若木が無数に生えていた。
その一本一本をよく見ると、諜報院隊員の装備である黒装束が、まるで木の幹から生えたように垂れ下がっている。
それを見たロスターザとギリクの顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「なんと……人間を樹木に変えたとでもいうのか……? ……これは魔法なのだろうか……いや、魔力暴走による奇病の可能性も――」
ロスターザが冷や汗を流しながらつぶやく。その傍らではギリクが視線を落とし、足元に転がる無数の丸い石に気づいた。そしてひとつを拾い上げる。
「これはもしや……【石弾】の残骸か?」
試しに指先で弾き、ギリクはその弾丸の重さと硬さに驚愕した。
「この密度……。即席で作れるものではない。しかも弾の散らばり方から見て、複数方向から大量に打ち込まれている――」
ギリクは弾丸を投げ捨て、吐き捨てるようにつぶやく。
「……なるほど。どうやらアリスティア姫たちは、なかなか手練の護衛どもを雇ったようだな」
同年代で一足先に長官へと上り詰めたサイロスを、ギリクは目障りに感じつつもその実力だけは認めていた。
その男がこうまで簡単に殺されたという事実に、ギリクはこみ上げてくる怒りを押し殺し、ロスターザに進言する。
「ロスターザ様。私にアリスティア姫追撃の許可を。帝国の威信を汚した賊をこのまま野放しにはできません」
「ふむ。たしかに所詮サイロス君は諜報を得意とする非戦闘員に過ぎない。魔術院副官たる君ならば簡単に始末できるだろう。しかしギリク君、問題はアリスティア姫の居場所だよ。今、彼女たちはどこにいるかわかるのかね?」
「サイロスがこれほど無惨に敗れたのです。護衛は己の力に相当な自信を持っているはず。ならば、逃げ込む先はほぼひとつに絞られます」
「ほうほう。どこだろうか。……んん? それはまさか――」
「はい、『魔の森』――王国と自由都市連合の間に位置する、死の領域と恐れられているあの森です。集めた護衛たちの力で魔の森を踏破し、王都へ帰還するつもりかと思われます」
ギリクは冷酷な笑みを浮かべ、リムララの首根っこを乱暴に掴み上げた。
「ロスターザ様。私に魔導院の一個小隊、輸送用のワイバーン――それと、この鼻の利くドワーフをお貸しください。魔の森に到達する前にアリスティア姫を奪還し、賊の首を並べてご覧に入れます」
ロスターザは小さくうなずき、穏やかだが底冷えのする声で告げた。
「よろしい、許可しよう。しかし……正直もうアリスティア姫について動向を窺うのは面倒だな。うん、彼女は殺して首だけでもいいですよ。ですがそれよりも――」
目の前の歪な大木に手のひらを当て、ロスターザが言葉を続ける。
「この『人を樹木に変える術』については必ず聞き出しなさい。非常に興味深い……。聞き出した後なら、全員好きに殺していいですよ」
「はっ!」
許可を得たギリクの瞳に冷たい殺意が宿る。ギリクはすぐさま背を向けると、リムララの引きずりながらその場を後にした。
「い、いやぁ……。怖い、怖いよう。死んじゃう……」
使い捨ての道具のように引きずられていくリムララの声は誰の耳に届くこともない。
こうして、帝国魔術院の精鋭によるアリスティア姫の追跡が、静かに、そして確実に、始まったのであった。




