43 証拠隠滅
「――ふふっ……寝顔は……かわ――」
どこか遠くで、鈴を転がすような澄んだ声が聞こえた気がした。
頭を撫でられているのだろうか。柔らかくて温かい感触がゆっくり何度も髪の間を滑っていく。
ぽかぽかと温かい日差しに包まれ、心地よいまどろみの中にいた俺は、その声と感触に誘われるようにゆっくりとまぶたを開いていった。
目の前に広がるのは真っ青な空。……あれ? 俺はどこにいたんだっけか……?
場所を確認しなくては。そうして俺が重たい身体をどうにか起こした、その瞬間――
「げえっ……!」
夢心地でぼんやりとしていた思考が一気に現実に引き戻され、俺は思わず声を吐き出した。
俺がいたのは、林に囲まれただだっ広い庭にぽつんと建っている屋敷の前。
そして目の前に飛び込んできたのは、無造作に転がり折り重なるように倒れた何人もの黒装束の姿だ。当然ながら全員血まみれでぴくりとも動かない。
穏やかな昼下がりの寝起きに見るものとしては、あまりに寝覚めが悪すぎる光景だった。
その惨状の中心にはカナン、そして黒い執事服に身を包んだ爺さんが立ち――
「リーフ、ようやく起きたのね」
俺の隣ではアリスティアが座って俺を覗き込んでいた。
ううむ……さっきこいつに髪を撫でられていたような気がしたんだが、気のせいか……? アリスティアの手はすでに自分の膝の上に置かれ、普段のロイヤルフェイスで俺を見つめている。
「ぐっ……」
というか、頭が痛い。俺はなぜかずきずきと痛む後頭部を押さえながら、ゆっくりと周囲を見回した。
「……ここはどこだ?」
「サイロスたちに襲撃された屋敷よ。私はここで拐われたの」
その言葉でようやく現状を思い出す。
――そうだ。俺はカナンの引っ張る爆走ソリに乗せられ、森を駆け抜けてる最中に頭を打ち、そのまま気を失ったんだった。
ようやく現状を把握したところで、カナンが俺を見下ろしながらフンと鼻息を鳴らす。
「おいリーフ、こんなにぐっすり眠りこけるとはいい身分だな。姫様に止められなければ叩き起こしていたところだぞ」
「知るかよ。そもそもお前のソリのせいで気絶してたんだろ。もう少し加減というものを覚えたらどうなんだ、バカ騎士め」
そう言って睨みつけると、カナンが心底意外そうに目を丸くした。
「……むっ、どういうことだ? 今回はとても上手く走ったつもりだったし、あまりの快適さにお前が眠りに落ちたと思っていたのだが……?」
本気で戸惑いながら首をかしげるカナン。……やっぱりこいつと話すと余計に疲れるな。俺が深いため息をついたそのとき――
「リーフ様」
セバスが俺の傍にゆっくりと歩み寄ってきた。
「あなた様のお陰で、私は再び姫様のお側に立つことができました。心より感謝を申し上げます」
深々と頭を下げるセバス。
黒い服だからわかりにくいが、よく見たら生地はボロボロだし全身血だらけだ。こんな状態でよく生きながらえたものだと素直に感心する。
「……まあ、間に合ったのならよかったな」
乗り心地最悪のソリだったが、結果として間に合って爺さんひとりの命が助かった。それならこれ以上文句を言うのをやめてやろう。
俺にだってそのくらいの空気は読める。バカ騎士と違うのだ。
「本当に貴方のお陰よ」
アリスティアが、いつになく優しい声色で言った。
「セバスはね、カナンと同じように幼い頃から私をずっと支えていてくれて……本人は絶対認めないけれど、私にとっては家族同然なの。リーフ、本当にありがとう」
柔らかな笑みを浮かべるアリスティア。
「お、おう……」
思わず気の抜けた返事をしてしまった。こんなに素直な表情を向けられると、なんだかこちらまで調子が狂う。
だがアリスティアはすぐに表情を引き締め、周囲の惨状へと視線を戻した。
「さて、リーフも起きたことだし、ここの後始末を終えたらすぐに宿に戻りましょうか」
「――ああああああ! そうだよ、忘れてた!」
「えっ、なによ!?」
いきなり現実を思い出してしまった。大声を上げた俺にアリスティアがビクッと肩を跳ねさせる。
「俺の泊まってる宿だよ、宿! あの部屋もカナンのせいでどえらいことになっているんだった! 完全に殺人現場だぞ、アレ。死体は放置したまま飛び出てきたし、今ごろ大騒ぎになってるんじゃないのか!?」
「えっ、なにそれ。そんなの私は聞いてないわよ? ……どういうこと? カナン?」
そうして俺とアリスティアに視線を向けられたカナンは、気まずそうにそっと視線を逸らしたのだった。
◇◇◇
その後はセバスとカナンがテキパキと働き、死体を目立たぬ場所へ埋めていった。
ちなみに俺は少し離れた場所でアリスティアと一緒にその様子をぼけっと眺めていただけである。
カナンが手伝うように言ってきたが、やるわけねーだろ。断固拒否だ。俺は十分働いた。もう働きたくないでござる。
そうして屋敷周辺が何事もなかったかのように片付けられた後、俺たちは宿へと戻ることになった。
なおセバスは病み上がりというかほぼ死にかけたにもかかわらず、帝国に荒らされてしまった今回の件を報告しなければならないということで、町の支援者の元へと出かけていった。働き者にもほどがある。
そうして俺たちは、衛兵と野次馬が集まっているであろう宿へと、恐る恐る足を運んだのだが――
「……あれ?」
拍子抜けするほど、宿は普段と変わらない様子だった。
ごくりと唾を飲み込みながら俺の部屋の扉を開けると、そこにいたのは、スーリヤとその両親。
「あっ、リーフ! ねえ、一体どこに行ってたの!?」
俺の顔を見るなりスーリヤが駆け寄ってくるが、俺だって聞きたいことがある。
「まず俺から質問させてくれ。なんでここにいるんだ? それと、この部屋にはその……死体があっただろ? あれはどうした?」
「それは僕から説明しようか」
パパさんが苦笑いしながら一歩前に出た。
「実はね、せっかくの親子水入らずだし、家族でこの町をぶらりと観光していたんだ。そしたらリーフ君がそこの騎士さんにお姫様抱っこされながら町を走ってる姿を見かけてね」
「げっ……」
あの恥ずかしすぎる姿を見られたのか。案の定、スーリヤはニヤニヤしているし。
「あの様子はどう考えても普通じゃなかったし、かと言って追いかけるには君たちは速すぎた。でもやっぱり心配だし、せめて何があったのか確かめようってスーリヤが言ってね。それでみんなでこの部屋に来てみたら……まあ、あの有り様だったわけさ」
そこからの動きは早かったらしい。事情を察したスーリヤが即座に采配を振るい、一家総出で証拠隠滅を計ってくれたようだ。
それによく見ると、部屋の隅には姫様が入っていたのと同じようなズタ袋がひとつ転がっている。中身については考えたくもない。
ちなみに破壊された俺のフィギュアも片隅にひとまとめにされていたよ。くそっ、思い出したらまた腹が立ってきた、あのバカ騎士め……。
ともあれ、こうして町中で起きた殺人事件が表沙汰になることは回避されたようだ。
ここで目立つわけにはいかないのはアリスティアも同じらしく、俺以上に安堵の表情を浮かべている。
「状況が状況だけに仕方がなかったとはいえ、騒ぎになるのは避けたかったところです。皆様の機転に王族として深く感謝いたします」
よそ行きの王女顔で丁寧に礼を言うアリスティア。それに恐縮した様子でスーリヤ一家が応対し――
こうして、アリスティア誘拐事件は完全に片付いたのだった。
……片付いたよな? 片付いたはず。片付いたのなら――
俺は大きく息を吐き、凝り固まった肩をゆっくりと回す。
「よし。それじゃあ――」
話がひと段落し、ほっとした様子でカナンと言葉を交わしていたアリスティアに俺は声をかけた。
「――そろそろ、今回の報酬の話をしようか。お姫様?」




