35 癒やしの花
「――見えたぞ、リーフ! 北の森だ!」
カナンにお姫様抱っこされること一時間あまり――
俺とカナンはついに北の森に到着した。途中で速度を落とすことなく、ノンストップの爆走である。コイツって、こんな体力バカだったんだな。
だが、俺の方はすでに限界だった。
森に突入し、かぐわしい緑の匂いを吸い込んだ瞬間、張り詰めていた緊張がぶつりと切れた。
「オボボオオオロロロロロロロロロロ……」
俺の口からキラキラと滝のように液体が流れ出る。奇跡的に自分とカナンに直撃させなかったのは、人として最後の尊厳を守る意地だったのかもしれない。森の土に液体が叩きつけられる音が、やけに大きく聞こえたよ。
「うわあっ!? リーフ、どうしたんだ! しっかりしろ!」
俺の異変に気づき、ようやくカナンの足が止まる。
「気分が悪かったのか? だったら我慢せずに言ってくれてよかったんだぞ?」
「おえっ……。止まれって、何度も言ってたわ……このバカ騎士め……はあ、はあ……」
「そ、そうだったのか? すまなかったのだ……」
出すものを出し、地面におろしてもらって息を整えていると、カナンが俺の背中をさすさすと不器用な手つきで撫でてくる。さすがに悪いと思っているらしい。
「【水創造】。……ガラガラガラガラ……ペッ。……ふう、ゲロにまみれて死ぬかと思った」
俺は魔法で水を創り、口をゆすいだ。冷たい水が口の中を洗い流し、ようやく気分がマシになってくる。
さらに水をごくごく飲んでると、俺を物欲しそうに眺めているカナンに気づいた。
「ほら。手、出せよ」
「か、かたじけないのだ」
両手を差し出すカナンの手のひらにじゃばじゃばと水を出してやる。よっぽど喉が渇いていたのか、カナンはあっという間に水を飲み干し、ふうっと大きく息を吐いた。
どうやらここで小休憩のようだ。俺は地面にしゃがみ込み、森の奥に視線を向ける。
「それで、どうなんだ。姫様はこの森にいるのか?」
「少し待ってくれ。ううむ……」
カナンが例の姫様専用GPSを手に取り、魔力を込める。
「うん、ここで間違いない。かなり近づいたと思うぞ」
じっと姫様専用GPSを眺めながらカナンが言う。
苗木の曲がる角度が、宿で見たときよりもかなり緩やかになっている気がする。それで距離を予測しているっぽいな。
「さすがにあれだけ走ったら距離も縮まるか。というか、俺まで抱えながら走ってお前は大丈夫なのかよ」
「ああ、もちろんだ。姫様を救うまで、私は死ねな――」
不意にカナンの足がもつれた。額から血が流れ、ふらりと後ろによろける。
そういえば宿に来たときから、結構な傷を負ってたんだよなコイツ。
「おいおい、本当に大丈夫なのか?」
「へ、平気だ。この程度の傷、姫様の苦難に比べれば、どうってことはないっ!」
ぐっと胸を張るカナンだが、額からは血がどくどくと流れ続けている。さすがにこれを放っておくのはマズい。
「俺の移動手段が途中で倒れるのは困る。ちょっと待ってろ」
俺は地面に手を当てると、久々に世界樹の根源を意識しながら魔法を唱えた。
「むむ……。【癒やしの花】」
世界樹から流れた魔力が地面を伝い、俺の足元にポンッと一輪の水色の花が咲いた。透き通るような花弁を持つ、思わず見惚れてしまいそうな美しい花だ。
それがポンポンポンッといくつか咲いたところで、俺はその中の一輪を根本から摘んでカナンに差し出した。
「ほら、持ってくれ」
「リ、リーフ! お前の気持ちはよくわかったが、今はそんなことをしている場合では――」
カナンが顔を赤らめながらあたふたとしている。
「バカか。変な勘違いをするな。いいからさっさと受け取れ」
「あ、ああ……」
「その花弁をそのまま額の傷口に押し当てろ」
「む……? わかったのだ」
髪の毛をかきあげるカナン。
固い物でも叩きつけられたのか、ぱっくりと割れた深い傷口に、カナンは言われたとおり花弁を押し当てる。
すると次の瞬間、ふわりと光があふれて花びらが溶けるように消えた。だらだらと流れていた血はピタリと止まり、さっきまであった深い傷口が跡形もなく消え去っている。
「むうっ……。これは薬草だったのか?」
「正確には違うが、まあそんなもんだ」
「やはりエルフは草花の知識が深いのだな。こんな薬草は初めて知ったぞ」
そもそも俺が今この瞬間に生やしたんだが、バカは見ていなかったらしい。もちろん説明は面倒なので黙っておく。
「よし、休憩は終わりにするか。そろそろ行こうぜ」
「わかった! では――」
カナンがまたお姫様抱っこの体勢に入ろうとするので、俺は両手を突き出して阻止した。
「ダメだ。せめて背負ってくれ」
「こっちの方が楽なんだが……。わかったのだ」
こうして俺はカナンに背負われ、再び森を駆けていく。今度は揺れが少しだけ穏やかだった。




