106 オーガの温泉2
木の柵の向こう側に置かれた籠へ服を放り込み、俺は素っ裸で湯気の立ち込める温泉へと足を踏み入れた。今度こそ、ここが男湯である。
もうもうと立ち込める湯けむりで視界は白く霞んでいるが、人の気配はまったくない。ゴウマの話では、男連中はまだしばらく酒を飲んでいるだろうとのことだ。
つまり、この日の一番風呂は俺のもの。
俺は足早に広々とした湯溜まりに向かうと、置かれていた桶で湯をすくい、ざぶっと頭からかぶった。するとすぐに感じ取れたのが、肌にまとわりつく湯のわずかなぬめりと、鼻をくすぐる独特の香り――
「おお……そうだよ、これだ。これこそが本物の温泉だよ……」
思わず声を漏らす。魔法で作った水では再現できない、大自然が生み出した独特の奥行き。それがこの湯には確かに存在していた。
その感動に胸を震わせつつ、俺は湯船にざぶんと沈み、どっぷり肩まで浸かる。
「ふう…………」
そうして肺の中の空気をすべて吐き出し、百年ぶりの天然の温もりに身を委ねていると――湯けむりの向こうに巨大な人影がゆらりと浮かび上がった。もちろんゴウマだ。
一糸まとわぬ姿で堂々と胸を張って現れたゴウマは、湯船に浸かる俺の姿を認めるとニヤリと口の端を吊り上げる。
「おう、兄弟。どうだよ感想は?」
視界にボロンと飛び込んできた圧倒的なブツを前に、思わず『すごく……大きいです……』と答えそうになったのを慌てて飲み込む。
「お、おう。最高の温泉だぜ」
こいつが感想を聞いたのは股間のブツに対してではなくて、温泉の感想で合っているよな……?
「ガハハハ! そうだろう!?」
どうやら合っていたらしい。ゴウマは上機嫌に笑うと、デカい両手で湯をすくって頭から浴び、そのままゆっくりと湯船に沈み込んだ。
巨体が浸かった瞬間、湯が一斉にあふれ出し、湯船の縁から滝のような勢いで流れていく。
そんな様子を眺めながら、ゴウマが気持ちよさそうに目を細めた。
「ふいー。……酔いを覚ますにはちょうどいい熱さだぜ」
「ああ。俺もこれくらいがちょうどいい。マジでいい湯だな」
「当然だ。この温泉は俺たちの村の宝だからな」
「ふーん。……なあ、こういう温泉って他の場所にもあるのか?」
「さあな。俺は聞いたことはねえが、この森は広えし、どこかにはあるんじゃねえか」
「そうだよなー。俺もこの森に住むときは、こういう温泉がある場所を探すわ。でもまあ……最悪、自分で掘るのもアリか? 源泉があるならいけるよな……」
俺がぶつぶつつぶやくと、ゴウマが片眉を上げてこちらを見る。
「なんだよ、水くせえな。兄弟もあの姫さんを送り届けたら、ここに住めばいいじゃねえか」
「それじゃダメなんだよなあ」
「なんでだよ。歓迎するぜ?」
「拠点は場所選びから厳選して自分で作りたいんだよ。今後一生、引きこもるための聖域を作るつもりだからな。後、お前らはうるさすぎ。俺は静かに暮らしたいんだ」
「騒がしいのは結構なことじゃねえか。エルフってのは変わってやがるなあ。けど……拠点にこだわる気持ちならわからんでもねえか。だからこそ、俺らもゴブリンからこの村を守っているわけだしな」
そう言ってゴウマは眉間にグッとシワを寄せた。
「なんか肩の力入りすぎじゃね? ゴブリンなんて雑魚じゃん」
「ほとんどはな。だが、あいつらの中にたまに妙な連中が混じってやがるんだ。やたらしぶといヤツや、妙に知恵が回るヤツがな」
「ふーん……」
「……チッ、そういや昨日はいなかったな。いたらブッ殺してやったんだが」
湯けむりの向こうで、ゴウマの視線がわずかに鋭くなった。どうやら思った以上に油断ならない相手ということらしい。
俺たちの旅路にも関わってくる戦いだ。とにかく勝ってもらわないと困るのだけれど、今の話はなんだか少しひっかかる。
ユグ曰く、オーガはハイオーガに進化したらしい。ならゴブリンも――
◇◇◇
それから俺たちは、特に話すこともなく無言で湯船に浸かっていた。
頭の片隅にモヤモヤとしたものを残しつつではあったが、それでも温泉の心地よさに身を委ね続けていると――そこで俺のエルフイヤーが、どかどかと乱雑な足音を捉えた。
それからしばらくしてやってきたのは、満足するまで酒を浴び、真っ赤な顔をしたオーガの男連中だった。
「先客がいるじゃねーか!」「おっ、族長とリーフか!」「よーし、俺たちも混ぜてくれ!」「どけよオイ!」「押すなバカ!」
静寂だった温泉が、一瞬にして喧騒に包まれる。
俺は押し寄せる巨漢たちの波に飲み込まれる前に、そろそろ上がる潮時かと考えるのだった。




