踏み入る
フェリクスが目を覚ますと隣にいたはずの心地よい体温がいなくなったことに気付いた。
不安がよぎったフェリクスは急いで起き上がって、隣の部屋にでた。
「キエリ!?」
「どうしたの?」
キエリは隣の部屋にいて、フェリクスは胸をなでおろした。
ただ、大きな荷物を持っていて、まるで旅の準備をしているようだった。
「キエリ、体調は大丈夫なのか? それに、その鞄は‥‥」
「‥‥わたし、行かなくてはいけないところがあるの。その準備」
「行かなくてはいけないところ?」
キエリはフェリクスの手を両手で大事そうに握り、顔を見上げる。
その瞳は不安に揺れながらもどこか決意めいていた。
「フェリクス、一緒に来てほしい‥‥わたしが人形の姿の時に買われたお家に行ってみようと思う。正直、行ってどうこうあるわけではないけれど、自分の過去と向き合って心の整理がしたい‥‥」
「フェリクスに、その手伝いをしてほしいの」
フェリクスはまだ体調がよくなさそうなキエリが心配でならなかったが、キエリの願いを無下にできなかった。
「わかった。だが、無理はしないように」
「ありがとう」
キエリは不安そうではあったがフェリクスが承諾すると柔らかく微笑んだ。
「しかしどこに行くんだ?」
「たしか‥‥ブラッタという貴族のお家で、一度調べていて場所は知っているよ」
フェリクスはその名前を聞くと眉間に皺が寄った。
(よりによってブラッタ‥‥これは偶然か‥‥?)
(俺のキエリにトラウマを植え付けたとは‥‥ただではすまさん‥‥)
「フェリクス?‥‥やっぱり嫌? それとも何かあるの?」
フェリクスはブラッタ家に対しての憎悪が高まり、目が荒んでいたがキエリが心配そうに顔を覗くので慌てて負の感情を消した。
「いいや、何でもない。ブラッタ家に実は偶然招待を受けていてな。不思議に思っただけさ」
「そう、なんだ。でもよかった。どう理由をつけて行こうか悩んでいたから」
(キエリの訪問を拒める奴なんてこの国にはいないのだが、それが考えられないくらい悩んでいたのか‥‥)
(なにも、ないといいが‥‥)
フェリクスは、心に不安がよぎったがそれを振り払い、キエリを守るという決心をした。
キエリの負担を減らすために移動魔法を使ってブラッタ家に行くことになった。
移動魔法は多くの魔力と精密さが必要とされ、ゼノのように多くの魔力を持ち、さらに精密に操れる人物はそうそういない。
通常は何人かの魔法使いや魔女がしっかりと準備をして行うもので、さらに移動先も決まっていて、各地に移動先となる建物がある。
キエリたちは、ブラッタ家に一番近い建物に移動魔法で移動をし、そこから馬車に乗り換えた。
ブラッタ家は庭園も広く、大きくやたらと豪勢な屋敷だった。
キエリたちがつくとすぐに門は開かれて、馬車で屋敷の前まで進む。
庭園にはこれでもかと高価そうな彫刻が並べられていて、せっかくの花々が惜し負けている様子であった。
終始、キエリは緊張していてぎゅっと固く手を握っていて、口を結んでいた。
それをフェリクスが手を重ねて広げてやり、穏やかに大丈夫だといって安心させた。
ブラッタ家の執事に屋敷の中に招き入れられると、やはりというか、屋敷の中もやたらと豪勢で装飾品で目がチカチカした。
「いやー殿下に妃殿下、ようこそいらっしゃいました! この度はご結婚おめでとうございます!」
出迎えたのはふくよかな男性と背の高い細身の女性で、どちらもじゃらじゃらと装飾品をつけ、おおつぶの宝石がついた指輪をいくつもつけていた。
フェリクスは、こうも金遣いが荒そうな家主の資金源はどうなっているのだろうかと考えを巡らせていた。
「私はブラッタ家の当主、レンコル・ブラッタでこちらは妻のマラ・ブラッタです」
マラはにっこりと笑って礼をし、レンコルは腰を低くしてゴマすりをしながらフェリクスとキエリに礼をした。
「ブラッタ伯爵、夫人、今日は招待ありがとう」
フェリクスが人当たりの良い笑顔で話しているが口数は少なく、キエリはなんとなくフェリクスがいい気分ではないことをなんとなく察した。
キエリはここに来るまでかなり緊張していたがフェリクスたちがいてくれたおかげで少しは冷静さを取り戻すことができていた。
「ブラッタ伯爵、お招きありがとうございます。よければ、この機会にいろいろとお話しをしたいです」
キエリが丁寧に言葉を述べると、レンコルは脂汗を流しながら、笑う。
「そ、そうだ! よろしければ私どもの娘が妃殿下と年がお近いかと‥‥いい話相手になると思いますよ」
キエリは心臓がどきりと跳ねた。
「娘さん‥‥えぇ、ぜひお話ししたいです」
「すぐ呼んでまいりますね。あぁ、こんな玄関で長々とお話してしまって申し訳ございません! ささ、部屋へご案内いたします」
ブラッタはにんまりとした笑みを絶やさずにフェリクスとキエリを案内し始めた。
(キエリ、大丈夫か?)
フェリクスが心配を囁くとキエリは笑顔で(大丈夫)と返した。
ただ、その笑みは引きつっていて、せっかく緊張がなくなっていたところに「娘」という単語を聞いて再び戻って来たようだった。
フェリクスは、キエリの冷たく、ぎこちなくなっていた手を握ると、キエリは、フェリクスが気にかけてくれて心が少しだけほぐれた。
フェリクスとキエリは部屋に通され、お茶やお菓子でもてなされたがキエリはあまり手を付けられず、お茶をすするだけにとどまった。
フェリクスは、緊張して言葉少なになっているキエリの代わりにブラッタと話し、調査していることは察せられないようにはしつつ、領地経営について質問していた。
しかし、ブラッタはどうにも濁すところがあって、会話はかなりぎこちないものとなった。
「パパ、ママ! 殿下と妃殿下がきたって本当!?」
部屋の扉が不躾に開けられ、豪華な服を着た男女がずかずかと入ってきた。
ブラッタはそれを咎めるわけでもなく、紹介を始めた。
「殿下、妃殿下、こちらは娘のイラでこちらは息子のガーンスです」
イラとガーンスはフェリクスたちに礼をした。
この親にしてこの子ありという感じで娘も息子も装飾品で自分を飾るのに余念がない。
フェリクスはキエリの様子をうかがうとキエリはじっと娘のイラを見つめていた。
キエリは放心してしまっているようで、動きがぴたりと止まっていた。
「ガーンス・ブラッタです。この度は殿下とお美しい妃殿下のお目にかかれ、大変うれしゅうございます」
息子のガーンスが下心を隠しきれていない笑みでにたりと笑ってキエリに手を差し出して挨拶しようとしたが、キエリは昔の恐怖よみがえって動けなかった。
しかし、すぐにフェリクスがその手を代わりに取った。
フェリクスはにこりと笑っていたが手には力が込められ、ガーンスは痛みで顔で顔が歪み、すぐに手を離した。
「祝いの言葉ありがとう。あぁ、すまない、呪いに掛けられてから力加減ができなくてな」
「は、はは、いえ」
ガーンスは、引きつった笑顔になりながら、握られた手をさすった。
「あっ、あの、妃殿下」
キエリは、イラに呼ばれてハッとした。
イラは、どうしてかもじもじとしていて恥ずかしそうに頬を赤らめていた。
態度と見かけに大差がありすぎて、その行動が不審にフェリクスには思えた。
「妃殿下、実は私ずっと妃殿下に憧れておりまして‥‥こうしてお話しできるだなんて夢のようです!」
「あ、あ、あ、あのっ‥‥よければ、お友達に‥‥いえっ、申し訳ありません! 不躾なことをっ」
きゃー言っちゃったというように、イラは恥ずかしそうに顔を持っていた扇で隠した。
キエリは、イラの態度にあっけにとられていた。
(‥‥ずっと、考えていた。わたしを捨てた人はどんな人なんだろうって‥‥嫌な人だったら、怒りをぶつけていたかも‥‥でも、そうか、あの時は子供だったもの)
(もしかしたら、ロゼのように、仲良くなれるかもしれない‥‥許せる、かもしれない)
キエリは、やっといつもの通りとまではいかないが、微笑みが現われ、恥ずかしがるイラの手を握った。
「イラ伯爵令嬢、実はわたしもあなたとお話ししてみたくて‥‥」
「ほっ本当ですか!? やった! 嬉しいです!!」
イラは大げさに喜んでキエリの手を握り返して、ぶんぶんとふった。
その姿は無邪気な少女のようで、キエリは緊張していたのが緩んで、優しく微笑んだ。
「そうだっ! 私ぜひ妃殿下に見てていただきたいものがあるんです」
「なんですか?」
「言ってしまったら楽しみがなくなるではありませんか! さ、私の部屋に用意してあるので、どうぞこちらに」
イラは、キエリの手を引っ張って連れて行こうとした。
「キエリ」
フェリクスは嫌な予感がして、キエリを呼び止めた。
キエリは振り返るとフェリクスに安心させるように微笑んだ。
「大丈夫、少しだけお話ししてきます。すぐに戻りますから」
「遅くなれば迎えに行くからな‥‥」
キエリはこくりと頷いた。
ブラッタがフェリクスを宥める様に手をゴマすりしながら割入ってきた。
「まぁまぁ、殿下若い女性には女性同士の話もありますでしょうから」
「そうだ! 二人が話している間、庭園の散歩などどうでしょう? 私の屋敷の庭園は‥‥」
「いや、ここで待たせてもらう」
「は、はぁ‥‥」
フェリクスは、椅子に座って断固として動かないつもりのようだ。
ブラッタは明らかに残念そうにしていたがそれ以上はフェリクスに気圧されて何も言わなかった。




