愛している人は
(キエリ‥‥いったい何があったんだ?)
(あの日から何かおかしかった。上の空になることが多かったな)
フェリクスは、執務室で仕事をしながら、険しい顔で愛しい人がどうしてあんなことになったのかと考えていた。
常にフェリクスは、キエリに元気がないか気分はどうかと注意を払っていた。
祭りの日以来、キエリはどこか上の空であったことは気づいていて、それが祭りのときに出会ったある男性が原因だということも聞きだしていた。
しかし、キエリ自身もどうしてこんなにもその男性のことが頭から離れないのかわからない様子だった。
(なにか引っかかる。その男を探し出すべきだな)
予感でしかなかったが無視できそうにはなかった。
「そうだ。ゼノ殿‥‥ゼノ殿なら何か見ていたかもしれない」
そう呟いてみるがゼノが表れる様子はなく、神出鬼没なゼノに期待しすぎるのはやめた。
(あの人は何を考えているかわからないからな‥‥過度な期待はやめよう)
目を通し、サインや指示を書き終えた書類をまとめてコンゴウに渡した。
「お疲れ様です、殿下」
「コンゴウ、キエリのことなんだが‥‥」
「ご心配にはいりません。しばらくはゆっくり休めるように調整をしました」
「ありがとう」
「殿下もお体にはお気を付けください。もし、殿下まで倒れてしまわれては‥‥」
「大丈夫さ、俺には優秀な支えてくれる人間がいるからな。むしろ楽をさせてもらっているくらいだ」
コンゴウは、咳ばらいをして、厳しい面持ちの口元がぴくりと動いてにやけるのを抑えていた。
それが喜んでいるとフェリクスはわかっているので、ふっと笑顔になった。
「あと、頼みたいことがあるんだが、ある人物を探してほしい。魔法使いの男で身なりはいいことから貴族の可能性もある。身長は180といったところで、キエリと祭りのときに出会ったらしい」
「手がかりは少ないが何とか探し出してくれ」
「かしこまりました」
「ふぅー‥‥あと少し、頑張るか‥‥その後はキエリの様子を見に行こう」
フェリクスは首をこきこきとならして、送られてきた手紙に目を通す。
差出人の名前を見て顔をしかめる。
「ブラッタか‥‥」
「ブラッタ伯爵家ですね。そういえば、喪中とのことで結婚式にも出席していませんでしたね」
コンゴウも顔をしかめながら話す。
ブラッタ家には悪い噂が流れていて、実際に怪しい金の動きがあり、騎士団の隠密調査隊がブラッタ家の調査にのりだしていた。
「ブラッタ家は不穏な動きがある‥‥まもなく調査の結果がでて、場合によっては爵位の剥奪だな」
どんな内容なのか一応目を通す。
「俺とキエリに結婚祝いがしたいからぜひ屋敷に来てほしいだと? ふんっ、ふざけている。祝うならお前らが来い」
「しかも今‥‥怪しすぎますね。申し訳ありません。このような内容でしたら殿下の目に触れる前に処分するべきでした」
「いや、手紙を確認する者もブラッタ家の状況など知らなかったからな。こういうのが紛れても仕方がない」
フェリクスは無造作に手紙を机に置いて次の手紙に目を通し始めた。
しばらく手紙を確認して、そろそろおしまいにしようかと立ち上がると扉がノックされた。
ノックの音だけで誰なのかわかってしまうフェリクスは、驚いて急いで扉を開けた。
扉を開くとキエリが居た。
寝間着姿のままでここまで来て、走って来たのか息が荒い。
しかも、先ほど見た時よりも泣きはらしていて瞼が赤い。
「キエリ!? いったいどうしたんだ?」
「フェリ‥‥クス、う、うぅ」
「とにかくおいで、そんな恰好では寒いじゃないか」
キエリを部屋の中に入れて、コンゴウにかけてある羽織をとるように頼んだ。
フェリクスがキエリを落ち着かせるように椅子に座らせて、コンゴウが羽織りをキエリにかけてやった。
「キエリ、目が覚めたとき俺がいなくて寂しかったのか?」
フェリクスが穏やかに話しかけるとキエリはこくこくと頷いた。
「昔の‥‥夢を見てしまって‥‥」
「捨てられた時の?」
昔、というといい思い出の方ではなく、キエリにとって辛い方の思い出なのだろうと思った。
キエリは肩が震えていて、こくりと頷く。
「なんだか現実みたいで、とても怖くて‥‥」
「でも、あの時にはなかった感覚があって‥‥遊ばれなくなった寂しさも、顔を切られた痛みも、捨てられた時の悲しさも」
静かに話し始めたキエリだったが、どんどんと言葉が溢れて止められなくなってきていた。
「野良犬に噛まれた時も怖かった、馬車に泥水をかけられて嫌だった、行き交う人たちがわたしをないものみたいに見るのが辛かった!」
キエリはコンゴウもフェリクスも見たことがないくらい声を荒らげて泣きじゃくりだした。
「夢の中で、フェリクスはいつまでたっても来てくれなくて‥‥わたし、わたし‥‥!」
「キエリ!」
フェリクスに強い声で名前を呼ばれて、キエリはハッとしたようにフェリクスの顔を見た。
「キエリ、ちゃんと見ろ。今目の前にいるのは誰だ?」
「‥‥フェリクス」
「そうだ‥‥じゃあ、お前を愛しているのは?」
「フェリクス‥‥」
「そう、それが今の現実だ。決して過去に囚われ続けるなとは言わないが‥‥」
キエリは、泣きはらして瞳に陰りが見えていた。
しかし、フェリクスはそんなキエリを愛おしそうに見つめて、涙で濡れた頬を優しく拭ってやる。
「現在も大事にしろ。キエリのことを大事に想ってくれている人たちを大事にするんだ‥‥これは、キエリが教えてくれたことだ」
「わかった?」
キエリはゆっくりと頷いた。
キエリの瞳には光が少し戻ってきていた。
「さ、もう寝ようか。それか、眠るのが嫌なら本でも読むか?」
キエリはふるふると首を横に振って、フェリクスの服をきゅっと掴んだ。
「ね、ます‥‥」
「そうか‥‥」
キエリは立ち上がると、傍で見守っていたコンゴウにぎゅっと抱きついた。
「ご心配おかけしました‥‥」
コンゴウはからだがぴたっと止まったが次第に表情が柔らかくなり、キエリの頭を優しく撫でた。
「これからも何かあったらきちんと相談しなさい。どんな些細なことでもいいからな」
「はい‥‥」
キエリはコンゴウから離れると、フェリクスの服を掴んだ。
フェリクスはキエリの額に口づけをして、キエリの手を握ると自分たちの部屋に向かった。




