油断
祭りが終わり、数日経ったある日。
キエリはロゼが滞在している集合住宅の部屋にお邪魔していた。
ロゼの部屋にはキエリだけでなく、セイレーンのメレの姿もあった。
メレはキエリと出会ってからちょくちょく陸に上がってくるようになり、キエリは服を貸して、陸を案内しているうちにロゼとも知り合い、最近はこの三人で集まるようになった。
ロゼは未だにゼノからかけられた魔法を解くことができず、男性の姿のままだ。
ロゼは荷物を大きな旅用の鞄に服やら美容用品やらを詰め込んでいて、メレは様々なハーブで味付けした肉料理を美味しそうに素手で頬ばっていた。
キエリはというと、ぽーっとしながらロゼが用意してくれたローズティーを静かにすすっている。
「たはぁ、やっぱ陸の食べ物はいろいろ味付けしてあってうまいね」
「ちょっとメレ、食べながらうろうろしないで! その椅子に座って大人しく食べてて!」
「ロゼは変なこと言うな? 別に食べ物はどこで食べても同じだろ?」
「汚れるから言ってるの! もう、キエリもこの常識ナシの奴に何とか言ってよ!」
「へ? あ、ごめん。なんだった?」
キエリは、目の前で繰り広げられていた会話が全く耳に入っていなかったようで、苦笑しながら首を傾げた。
ロゼが不思議そうに眉をあげる。
「キエリ、どうしたの? ずっと心ここにあらずって感じだけど」
「雄となんかあったの?」
「あんたそろそろその言い方やめなさいよ」
ロゼが呆れたようにメレを見るが、メレは何がいけないのかときょとんとしている。
キエリは苦笑しながら首を横に振った。
「あはは、別にフェリクスと何かあったわけじゃないよ。ただ‥‥」
キエリは悲しそうに目を伏せる。
「‥‥よく、わからないの‥‥この前、会った人のことが頭から離れないの」
「う、うそ‥‥まさか、キエリが浮気!?」
ロゼが顔を真っ青にしておののくと、キエリはむっとしながら大きく首を横に振る。
「違う! それは絶対にない!!」
「ごめんごめん。わかってるわよ。でも、一体誰なの? そのキエリの心をかき乱しちゃうような人物ってのは?」
「わ、かんない‥‥この前のお祭りで会ったの。顔も隠れてて、親切な男の人で魔法使いってくらいしか」
キエリは寂しそうに俯いて手をもじもじといじる。
(なっ、男ぉ!? そんな一度出会った男のことが忘れられないなんて、それって危ないんじゃ‥‥いやいや、まだ間に合うわ)
「キエリ」
ロゼはキエリの両肩を掴み、真剣な眼差しでじっとキエリを見る。
「キエリ‥‥あんた、のほほんとしているし、隙だらけなの! 男はすぐにそういうとこに付け込むの!」
「そ、そう‥‥?」
「ちょっと優しくされたからって油断しない! 一回しか会ったことがないような男のことなんて忘れなさい! いいわね!?」
「うぅ、うん‥‥」
ロゼに肩を強くゆすられて、キエリは圧倒されて生返事をした。
食べながらキエリとロゼのやり取りを見ていたメレが口を開いた。
「キエリにいい雄が増えたのか? よかったな!」
メレはにっこりと笑っていたが、ロゼはキッと睨みつける。
「違うわよ! まったく、メレとは価値観が違いすぎて話すのは疲れるわ‥‥」
ロゼが頭を抱えてふらふらしながら椅子にどっかりと座る。
もう、旅支度は終えたようで、大きな鞄はきっちり閉じられていた。
「もぅ‥‥これから旅に出るってのに、あたしキエリのことが心配だわ‥‥」
「ゼノと一緒に行くんだよね?」
「そうよ、短期間だけどね。なんか調子が悪いとかなんとかで療養の旅するって急に言い出して」
「え‥‥ゼノの体調が悪いの? 心配だな」
キエリがしょんぼりとしたがロゼは呆れたように手をひらひらとして否定した。
「調子悪いっていうのは肌と魔法の調子だから、心配いらないわよ。旅で回るのも温泉とかマッサージとかほんと遊びに行くみたいなもんだから」
「そっか‥‥なんだ、よかった」
キエリは柔らかく微笑んで、胸をなでおろした。
「魔女としては尊敬できるけど、あのおばさんの奇行に付き合わされるのが耐えられないわ‥‥」
「ふふっ、ゼノはロゼのこと好きなんだよ」
「あれに好かれてもなぁ‥‥」
「そんなこと言ったらゼノ拗ねちゃうよ。今だって聞いてるかもだし」
キエリには観察魔法をかけられていて、ゼノは見たければキエリの行動をいつでも見ることができる。
ロゼは、キエリにそんな魔法をかけていると聞いたときにはかなり憤慨したがゼノはのらりくらりと責めの言葉をかわし、結局魔法は解かれていない。
「そう、その魔法、最近ゼノがキエリのことが見えにくいときがあるって言ってたけど、キエリは体調に変わりないの?」
「? ううん、特に変わりないよ」
「そう。このまま見えなくなればいいのよ! ほんとキエリもよく許すわね‥‥」
「約束だからね」
ゼノの不調とは観察魔法で現れたノイズのことのようだ。
「観察魔法に性別を変える魔法‥‥そのゼノってやつは本当にすごい魔女なんだな」
食べ終えたメレがペロペロと自分の手を舐めながら感想をもらした。
ロゼがもう!と言いながらお手拭きを作ってメレの手を拭いてあげた。
「そういえば、メレさんは性別を変える魔法は知ってたね」
それを聞いたロゼは瞳を輝かせる。
「ほっほんと!? じゃあ、もしかしてメレは使えるの」
「ううん」
しかし、望む回答ではなく、ロゼの希望は儚く砕け散った。
「存在は知ってるけど、やれるわけじゃない。おばばがあるよって教えてくれた」
「おばあさまはたしか陸で暮らしていたのよね?」
「そう、人間と恋をしたけど、体調を崩して海に戻って来た。そのあとかかあを産んで、かかあがあたしを産んだの。たくさん陸のことを話してくれたよ。でも、なんか聞いてた話と少し違うな。おばばがいた時はたくさんの人が殺し合いをしていたって言ってたから。戦争ってやつ?」
「戦争‥‥」
キエリはからだが硬直した。
戦争という言葉を聞くとじんわりと手のひらに汗をかいた。
(人間同士が殺し合う‥‥本当にそんなことが起こっていたのか、想像、したくないな‥‥)
しかし、歴史を学んでいたキエリは不思議なことに気付き首を傾げる。
「でも、大きな戦争をしていたのはたしかかなり前じゃ‥‥」
ロゼはうーんと考えていたあと、あっと口を開いた。
「そっか、そういうことか」
「なにが?」
「そりゃそうよ、セイレーンの寿命は人間よりもずっと長いんだから、そう考えるとだいぶ前にメレのおばあちゃんは陸に来ていたんだわ」
「あ、そういうことか」
キエリは納得といった様子で頷いた。
「メレ、あなたいくつ?」
「さぁ? 人間は数えるらしいね。でも、あたしたちは数えない。めんどいから」
「歳にも考え方の違いがあるのね‥‥」
ロゼはメレの年齢から戦争の年代を割り出そうとしたができそうではなかった。
ロゼは、ふと思い出したようにキエリをじっと見る。
「ね、そういえばキエリっていくつ?」
「え? ううん‥‥わたしも考えたことなかったから。そうだなぁ‥‥たぶんフェリクスが生まれるよりずっと前には作られたかな?」
「あ、あなた年上だったのね‥‥見かけは幼く見えるから」
「年上って言っていいのかな? そりゃ、からだは変わらなかったけど、長い間ただ存在していただけだから、なんだかみんなを見てると自分はまだまだ幼く思えるよ‥‥」
キエリがうーんと唸りながら、しみじみと呟いた。
「あのおばさんもいくつかわからないし、あたしの周りが不思議な人でかためられていく‥‥」
「あっはっは、いい経験じゃないか! あたしはロゼと会えてよかったよ。けっこうロゼ好きだもん、はきはき話すから」
メレがにこっと笑って言うとロゼは、呆れたようにため息をついたが微笑んではいた。
三章ほっこり部分はここまでです。




