海に沈む
キエリは一人、船で一心に目的地へと向かっていた。
後ろを一瞬振り返ると、すでに陸地は遠のいて見えなくなっていた。
こうやって海に出たことがなかったキエリは陸が見えないことに不安を覚える。
ゼノは船をあの短時間で改造していた。
船を操縦する取っ手がついている操作盤はいろんなボタンと特殊な羅針盤が取り付けられている。
通常の羅針盤であれば方角を指すのだが、針は光でできており、さす方向は目的地を指しているようだった。
「ゼノのおかげで海にでられて、迷子にならないでいられる‥‥ゼノ、大丈夫かな‥‥」
「捕まってしまったら、魔法も使えなくなる‥‥はやく戻ってゼノを解放してもらわないと」
「‥‥魔法が使えない、ってことは観察魔法でわたしのことも見てないんだよね」
キエリは、初めてこの広い海で独りになってしまったことに気が付くと、船が進む反動ではなく足元がなんだかふらついた気がした。
海に出てからずっとキエリはいろんな不安を抱えていたが、ふとキエリはゼノとの別れ際の言葉を思い出す。
(ゼノは望みを叶えろって‥‥わたしの望み)
(フェリクス様の呪いを解くこと)
「叶えてみせるから‥‥」
色んな不安が心に重くのしかかっていたがキエリはしっかりと前を見据えて船の操縦する取っ手をしっかりと握り直した。
日が暮れてきて、空が朱色に染まってきたがまだ目的地は見えない。
(お腹へった‥‥)
キエリは一旦船を泊めて、船に旅先でもしばらくもつ食べ物を詰め込んでおいた鞄を探る。
(ずっと前だったら、お腹が減るだなんて考えられなかったな‥‥二人分を一人で食べることになってはいるけど、遠くはないと言ってもどれくらいかかるかわからないし少しずつ食べないと‥‥)
鞄の中から大きな葉で包んだ干し肉とパンを取り出してかじる。
かじりながらでも運転はできると思い、立ち上がって取っ手に手をかけて船を進めた。
完全に日が沈み辺りが暗くなった。
月明りと星のきらめきがキエリと船を照らすがその灯りも雲で隠れると何も認識できなくなるほど暗くなる。
暗闇が心に不安と恐怖をもたらすがキエリはひたすらに羅針盤の光がさす方向へ進む。
夜の闇が深くなり、キエリは疲れもあって、瞼が重く下におりてしまいそうになった。
「だっだめ、だめ‥‥はやく、いかないと‥‥‥すぅ」
こくりと頭が下がって、その反動で取っ手を横に倒してしまい、船がぐるりと回った。
「おわっ!!」
しかし、おかげで目が覚めて、急いで航路を元に戻した。
「あ、危なかった‥‥しっかりしないと」
「口を動かそう! そうすれば眠気もどこかに‥‥いくはず」
「歌‥‥歌をうたおう。大事な思い出のあの歌」
キエリは、あの屋敷にいたころに練習した歌をうたう。
ついこの前の出来事のはずなのになんだかとても懐かしく思えて、キエリの心を温かくしてくれる。
キエリの歌が海のさざ波と混ざり合い、海底へと運ばれていく。
「誰かうたってる? 優しい歌声‥‥ふぅん、なかなかいいじゃん」
暗い海の中、優雅に泳いでキエリの船についていく何者かの姿があった。
「はぁ‥‥知ってる歌は全部うたっちゃった。他‥‥ほか‥‥ふぁ」
眠気を我慢するために歌をうたっていたキエリだが、知っている歌は全部うたってしまい、どうしようかと考えるとまた眠気が襲ってくる。
周りの暗闇の恐怖よりも眠気の方がキエリにとってかなりの天敵であった。
「なにか‥‥うぅ、そうだ。何か考え事しよう」
「頭が‥‥まわらない‥‥ふぁ‥…」
キエリは、大きいあくびがでて、目じりに涙が浮かぶ。
いけないと首を横に振り、目をこすって前に向き直ると前方に光るブイが見えてきた。
「あ、あれはここから禁止区域だって教えるための目印だ」
それでも迷わず船を進める。
これから危険な場所に入っていくのだと思うとキエリの手に汗がにじんだ。
「呪いをかけた魔女ってどんな人なんだろう。告白を断られた、ということはフェリクス様を好きだったんだ」
「‥‥好きなのにどうして傷つけてしまったんだろう‥‥フェリクス様は今も、二年前からもずっと苦しんで、周りの人たちだって‥‥」
キエリは魔女に対するこの気持ちが胸の中に炎のようになり、じりじりと熱くなった。
「よし! 決めた」
キエリは、呪いの元を絶たなければいけないといわれて、魔女に会った時にどうすればいいかを考えていた。
この胸の熱さが魔女に対する答えだと思った。
キエリが決意を決め、闘志を燃やしていたそのとき、頭にひやりとした粒が落ちた。
顔を上げると、先ほどまではまだ雲の切れ間から月明りが差し込んでいたのに、今は空はどんよりとした重い雲に覆われていた。
「しまった。雨だ」
キエリはかけていたフードを深く被り、荷物は床に船底に荷物を入れるスペースがあり、そこにしまって雨に備えることにした。
雨粒が大量に落ちてきて、緩やかだった波も大きく揺れるようになってきた。
「っつ‥‥!」
キエリは激しい波にさらされる船に必死にしがみつく。
しかし、気力はあっても疲れ切っているしがみつく手にはほとんど力もなく、しかも強くなる一方の波に翻弄され続けてしまう。
「きゃあ!!」
ひときわ強い波が船にぶつかり、キエリは思わずし手が離れてしまった。
キエリはからだが船縁に打ち付けられ、バランスを崩して落ちてしまいそうになったが間一髪のところでとどまった。
(このままじゃあ、どんどん流されていってしまう! そうだ、錨を下ろせばある程度は流されずに済むかもしれない!)
錨を下ろすボタンがあったことを思いだし、四つん這いになりながら操縦盤を目指す。
「おいっしょ‥‥えっと、錨‥‥錨を下ろすボタンは‥‥」
「え? 何あれ?」
目線が下になっていたキエリがふと不穏な気配に気づき顔を上げると、視線の先、何もなかったはずの海に突如として巨大な柱のようなものが現われていた。
しかし、暗くてよくは見えないが柱というには先の方はとがっていて、しかもゆらゆらとうごめいている。
キエリが目を細めてじっとその巨大な物体を見つめるとそれはひとつの物体ではなく、ヘビのような蔦が無数に絡み合って一本の大きな物体を作り上げており、さらには無数の棘がついていた。
「あれは‥‥茨?」
キエリがそう思った時、船の真下から不穏な気配が近づいてくる。
「何か来る!?」
急いで船を進めようと取っ手を握りしめて押し込むが、船が進むよりも速く新たな茨が船を真下から貫いた。
貫かれた船は海面から離れ、真っ二つになり、それと同時にキエリは海に投げ落とされた。
背中全体を強くぶたれたような痛みがきた後は、水が一気に押し寄せてキエリから空気を奪った。
(くるしっ! しまった、わたしは泳げない。でも、手を動かさないと)
じたばたと手を動かしてみるが効果はなく、しかも深く沈むにつれて暗い海の中は上下がわからなくなってしまった。
(わたし‥‥ここで死ぬの? フェリクス様を呪いから解放できないまま? 一緒に幸せになれないまま?)
(みんなにも会えないまま?)
(フェリクス様‥‥フェリクス様‥‥)
キエリは、暗闇の中で意識を手放してしまった。
その後すぐにキエリのからだを優しく抱きとめる黒い影の姿があった。




